『エデンより彼方に』
Far from Heaven
トッドヘインズ監督がジュリアン・ムーア主演で描く、50年代の保守的な住宅街で起きる同性愛と人種差別のドラマ。
公開:2002 年 時間:107分
製作国:アメリカ
スタッフ
監督・脚本: トッド・ヘインズ
キャスト
キャシー・ウィテカー:ジュリアン・ムーア
フランク・ウィテカー: デニス・クエイド
レイモンド・ディーガン:
デニス・ヘイスバート
エレノア・ファイン:
パトリシア・クラークソン
スタン・ファイン: マイケル・ガストン
シビル(メイド): ヴィオラ・デイヴィス
ボーマン(医師):ジェームズ・レブホーン
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
1957年のコネチカット州ハートフォードに暮らすキャシー(ジュリアン・ムーア)は、一流企業に勤める夫と二人の可愛い子供を持ち、家族のために家事にいそしむ主婦で、周りからは理想の家族と見られていた。
しかしある日、夫のフランク(デニス・クエイド)がゲイであることが分かり、夫婦で転向療法を試みたものの最終的にはキャシーの元を去ってしまう。
悲しみに暮れるキャシーは、ふとしたことから庭師のレイモンド(デニス・ヘイスバート)と親しくなる。しかしレイモンドが黒人だったため、二人は周りから白い眼で見られることになる。
今更レビュー(ネタバレあり)
トッド・ヘインズ監督の美意識
新作『メイ・ディセンバー 揺れる真実』(2024)が公開中のトッド・ヘインズ監督の名を広く世間に知らしめた代表作の一本。いずれも主演はジュリアン・ムーア。
米国の保守層の白人たちが多く暮らす高級な住宅街コネチカット州ハートフォードを舞台にした、1950年代のメロドラマ風な作品。
但し、採り上げる題材は同性愛であり、レイシズムであり、この時代にそれが世間にどのように扱われていたかを映画は克明に映し出す。
◇
トッド・ヘインズ監督が映像的に目指したものは、ポスタービジュアルだけでも鮮明に伝わる。ジュリアン・ムーアの50年代を思わせる壮麗な衣装とヴィヴィッドな配色、そしてそれを引き立てるようなハートフォードの美しい樹々と町並。
滲み出るような色合いは全編を通じ徹底され、細部にまで監督のこだわりが行き渡っている。この映像美学は、もう一つの代表作といえる『キャロル』(2015)にも踏襲されている。
白人たちが住まう郊外の高級住宅街、瀟洒な家屋に手入れの行き届いた芝生と庭、ガレージにはパステルカラーの米国車。
表向きは平和そのものの住環境で繰り広げられるホームドラマは、シニア世代には見慣れた光景だが、若い層にはDisney+で配信のマーベルドラマ『ワンダヴィジョン』に出てきた感じというと分かり易いかも。
貞淑な妻が目撃した夫の行為
ジュリアン・ムーアが演じる主人公キャシーは、会社重役を務める夫フランク・ウィテカー(デニス・クエイド)を支え二人の子供を育てる良妻賢母。
その内助の功は雑誌の記事にも取り上げられ、地元では優しい夫に愛される美しい妻として知られる。子供たちはいい子だし、ご近所のママ友たちとの交流も盛んに繰り広げられる。
幸福の典型のような四人家族だが、そんな状況が続くはずがなく、当然にして悲劇は起こる。瀟洒な住宅街の舞台設定は『金妻』のようだが、ここで起きるのはただの不倫ではない。
◇
仕事もできて家庭も大事にする、理想的な夫にみえたフランクが、実はゲイだったのである。キャシーは夫の職場に夜食を届けに行き、現場を目撃してしまう。
フランクが同性愛者であることを仄めかす演出がうまいなと思う。キャシーの服装は大抵が赤系で、それに合わせるものは、背景やコートがグリーンというクリスマスカラーのような組み合わせが多い。
対照的に、フランクは徹底してミッドナイト・ブルー。夜の雨に濡れる舗道にたちこめる青い空気。そこに彼がフラッと一人で入るバーはその筋で知られる店なのか、ここでゲイの相手と出会う。
傑作SF『オーロラの彼方へ』(2000)でタフな父親を演じ感動をくれたデニス・クエイドが、まさか家庭を顧みず男に走るとは。当時衝撃を受けた記憶がある。
夫が同性愛者だと知って傷つくキャシーだが、そんなことを迂闊に相談できる相手もなく、胸の奥に苦悩をしまい込む。
ジュリアン・ムーアは同年公開の『めぐり合う時間たち』では自分がレズビアンと気づく妻を演じ、本作とは真逆の役でどちらもオスカー・ノミネートを果たす。才媛だなあ。
楽園の彼方にあるものは
塞ぎ込むキャシーに優しい言葉をかけ、彼女の良き相談相手となるのが、屋敷の庭師で雇っている黒人男性レイモンド・ディーガン(デニス・ヘイスバート)。
レイモンドのクルマで気晴らしにドライブし、黒人の店で食事やダンスに興じる。だが、せまい町ではそれがすぐに噂になる。
かつてはキャシーが庭師に労いの声をかけただけで、「二グロにも優しいウィテカー夫人」と記事に書かれるような、人種差別が根強い土地柄であり時代でもある。
周囲の人々が手のひらを返したように彼女を白い目で見るのは、想像に難くない。
本作を妻の不倫ドラマだというのは酷な気がする。実際、キャシーとレイモンドは愛を語らっているわけでもなく、ただ二人で食事に行って、軽くダンスを踊っただけだ。
それでも世間は、良妻賢母の筈のウィテカー夫人が黒人と対等に付き合っていることが我慢ならないのである。
◇
物事をカタチではなく本質を見て向き合うことがいかに難しいか。レイモンドはそれを思い知らされて育っているが、キャシーは初めて現実社会に晒される。
「楽園より彼方に、永遠に輝く場所を見つめて(生きるしかない)」
こんな世の中を諦観したようにレイモンドがキャシーに語る。これが邦題になっている。
天はすべて許し給う
トッド・ヘインズ監督は『All That Heaven Allows(天はすべて許し給う)』(1955、ダグラス・サーク監督)という日本未公開作品に触発されて本作を撮った。
原題”Far from Heaven”もそれに由来しているのだろう。そこに『エデンより彼方に』という邦題は、センスがいい。
さらっと気の利いた台詞も引用できたり現代美術も語れたり、経営学も学んで知性も教養もある紳士的なレイモンドだが、街を歩けば迫害される。『グリーンブック』の天才黒人ピアニストを思い出させる。
何をされても激昂することなく、いつも静かな大男レイモンドだが、彼をそうさせるだけの辛辣な半生があったのだろう。
演じるデニス・ヘイスバートは公開当時の人気ドラマ『24 -TWENTY FOUR-』で、オバマ大統領が誕生する何年も前に黒人初の大統領役を演じていた。
本作は、妻は夫をたてて家庭を守り、子供を育てるという古くさい因習に縛られた社会のなかで、その夫がゲイだったと知る主人公キャシーが、やがて離婚をすることになり、絶望のはてに黒人の庭師レイモンドに救いを求めるという話だ。
だが、そのレイモンドも、キャシーとの噂のせいで娘はいじめをうけ、自分も仕事がなくなってしまい、生まれ育ったこのハートフォードを旅立つことになる。悲恋の物語である。
フランクにも苦悩があった
意外に感じたのはデニス・クエイドが演じる夫フランクのキャラクター。普通この手の作品では、ゲイなのに偽装結婚をして家庭を持った男が、妻を傷つける悪いヤツとして分かり易く描かれることが多い。
だがフランクは、自分が男とキスしているのを妻に目撃されたあと、ボーマン医師(『ゲーム』のジェームズ・レブホーン!)の治療で、懸命に治そうとする。同性愛は病気であって、クスリや注射で治すものというのが、当時の考え方だったのだ。
◇
しかし皮肉なことに、治療経過良好にみえたフランクは、妻とのマイアミ旅行で、またも新たな男に出会ってしまう(相手も一目で察するものらしい)。
その後、家に帰り「君にはすまないが、初めて愛を知った!家族のために忘れようとしたのに」とキャシーの前で慟哭し、恋人と暮らしたいというフランク。彼もまた苦しんでいたのだなと、複雑な思いになる。
夫は新しい運命の男性と暮らし始める。もうウィテカー夫人ではなくなるキャシーだが、頼りにしたいレイモンドは亡き妻との一人娘を大事に思い、父娘でボルチモアへ旅立っていく。
子供たちと暮らしていこうと意を決し、駅にレイモンドを見送りに行くキャシー。周囲を意識してか何も語らず、小さくホームで手を振るだけの二人が泣かせる。現実はそう甘くはない。
走り出す列車の車体には大きく「NH」のロゴとニューヘブン鉄道の文字。「天国より彼方に」の原題にひっかけたとみるのは考え過ぎか。結局、キャシーはその列車には乗れなかった。