『太陽がいっぱい』『リプリー』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『太陽がいっぱい』『リプリー』新旧比較レビュー|リプリーがいっぱい①

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『太陽がいっぱい』
Plein Soleil

映画史に残るピカレスク・ロマンの金字塔『太陽がいっぱい』と、原作に忠実なリメイク『リプリー』の新旧比較。

公開:1960 年  時間:118分  
製作国:フランス

スタッフ 
監督・脚本:       ルネ・クレマン
脚本:         ポール・ジェゴフ
原作:      パトリシア・ハイスミス
           『太陽がいっぱい』

キャスト
トム・リプリー:     アラン・ドロン
フィリップ・グリンリーフ:モーリス・ロネ
マルジュ・デュヴァル: マリー・ラフォレ
フレディ・マイルズ:   ビル・カーンズ
リコルディ刑事:     エルノ・クリサ
オブライエン:   フランク・ラティモア
ジャンナ夫人:      アヴェ・ニンキ
ボリス:       ニコラス・ペトロフ
ポポヴァ夫人:  エルヴィーレ・ポペスコ

勝手に評点:5.0
(何をおいても必見)

『リプリー』
The Talented Mr. Ripley

公開:2000 年  時間:140 分  
製作国:アメリカ

スタッフ 
監督・脚本:   アンソニー・ミンゲラ
原作:     パトリシア・ハイスミス
          『太陽がいっぱい』
キャスト
トム・リプリー:   マット・デイモン
ディッキー・グリーンリーフ:
            ジュード・ロウ
マージ・シャーウッド:
        グウィネス・パルトロー
メレディス・ローグ: 
        ケイト・ブランシェット
フレディ・マイルズ:
    フィリップ・シーモア・ホフマン
ピーター・スミス=キングスレー:
       ジャック・ダヴェンポート
ハーバート・グリーンリーフ:
        ジェームズ・レブホーン
ロヴェリーニ警部: セルジオ・ルビーニ
マッキャロン探偵:
     フィリップ・ベイカー・ホール
ニルヴァーナ:  ステファニア・ロッカ

勝手に評点:3.5
 (一見の価値はあり)

ポイント

  • 若きアラン・ドロンの眩しさと、最後のワンカットまで非の打ちどころがないサスペンスの魅力の『太陽がいっぱい』と、同じ原作から、より忠実な映画化を図った『リプリー』。
  • リメイクの出来も悪くないのだが、さすがに不利な戦い。マット・デイモンのファンならまた見方が違うかも。でもジュード・ロウのイケメンぶりは本家に負けてない。

あらすじ

貧しいアメリカ人青年トム・リプリーは、金持ちの紳士に頼まれ、その道楽息子を連れ戻すためイタリアにやってきた。

金にものを言わせ女遊びに明け暮れるその道楽息子に怒りと嫉妬を覚えたトムは、その若者に成りすまそうと殺害を計画するが……。

レビュー(まずはネタバレなし)

アラン・ドロンVSマット・デイモン

上品な詐欺師であり連続殺人犯である悪徳主人公トム・リプリーを主人公としたパトリシア・ハイスミスの原作の映画化。

若きアラン・ドロンを一躍大スターに押し上げたルネ・クレマン監督によるピカレスク・サスペンスの金字塔『太陽がいっぱい』(1960)。

そして40年後に同じ原作からマット・デイモンを主人公にアンソニー・ミンゲラ監督がリメイクした『リプリー』(2000)。

『ウェストサイド物語』『ロミオとジュリエット』の時も思ったが、何で映画監督はわざわざ不朽の名作のリメイクに挑戦したがるのか。

とはいえ、『リプリー』『太陽がいっぱい』よりも原作に忠実であり、しかもかつてアラン・ドロンの演じた役にマット・デイモンを起用するという大胆な作戦。

『華麗なるギャツビー』レッドフォードデカプリオが新旧で主演したような同系統の俳優ではなく、違う路線で勝負だ。果たして、この方針変更は吉と出るか、凶と出るか。

新旧のトム・リプリー

本作はいずれもサスペンスタッチの犯罪劇であり、まずはネタバレなしで、トム・リプリーが金持ちの放蕩息子を海の上で殺してしまう序盤までの話をしたい。

トムはアメリカで造船業を営むグリーンリーフ氏に近づき、息子のプリンストン大の親友と誤解させ、イタリアで遊び呆けている愚息を連れ戻す仕事を、多額の成功報酬目当てで引き受ける。

原作にも描かれたこの冒頭の経緯は『リプリー』にも登場し、私の好きなジェームズ・レブホーンが父親を演じている(フィンチャー『ゲーム』で一番怪しかった俳優だ)。

だが、『太陽がいっぱい』では台詞の説明のみでこの部分は大胆に省略し、父親も出てこない。個人的にはここはバッサリやってくれた『太陽がいっぱい』方がテンポもよく好きだ。

(C)1960 STUDIOCANAL – Titanus S.P.A all rights reserved

トムのキャラクターもだいぶ異なる。アラン・ドロンは登場のシーンから水も滴るイケメンと、イタリアの陽光が似合う浅黒く灼けた引き締まったボディ。殺意を内に秘めたダークヒーローだ。

一方マット・デイモンは、肉体こそ引き締まっているが、いかにも鍛えましたというこれ見よがしな筋肉の付き方。ビーチではただひとり不健康そうに白い肌で、おまけにメガネで冴えないキャラを強調。

途中からのイメチェン狙いとはいえ、トム・リプリーはカッコいい男という先入観を裏切る。

新旧の放蕩息子

トムが連れ戻そうとする放蕩息子は、『太陽がいっぱい』ではフィリップ・グリンリーフ(モーリス・ロネ)『リプリー』では原作通りの役名でディッキー・グリーンリーフ(ジュード・ロウ)

この二人はいずれ劣らぬ二枚目で、女遊びも盛んなボンボンに見える。どちらもトムを見下す言動をするが、フィリップの方が性格の悪い奴に見え、ジュード・ロウ演じるディッキーは、わりと陽気で憎めないキャラに描かれている。

どちらもトムに殺されるが、ディッキーの方が気の毒に見え、その分マット・デイモンには共感しにくい。

殺され方も、『太陽がいっぱい』ではヨットの上でポーカーの最中にナイフで刺殺『リプリー』では小さなボートの上でオールによる撲殺。

後者は原作通りだが、前者のゴージャスな殺人場面を知っている身には、後者はちょっと物足りない。

ヒロインは知性か色気か

そして放蕩息子の恋人役。『太陽がいっぱい』ではマルジュ・デュヴァル(マリー・ラフォレ)『リプリー』ではマージ・シャーウッド(グウィネス・パルトロー)

小説を書いているという設定からは、グウィネス・パルトローの方が知性を感じさせそれっぽく見えるが、イタリアを舞台にした情熱的な女性イメージからは、マリー・ラフォレの方が本作には合っているように私には思えた。

ちなみに、放蕩息子仲間のフレディ・マイルズは、『太陽がいっぱい』ではビル・カーンズ『リプリー』ではフィリップ・シーモア・ホフマンが演じているが、これはどちらもふてぶてしい役を好演し、甲乙つけがたい。

サイン、モノマネ、パスポート

トム・リプリーの犯罪者センスを強くアピールする、サインの模倣、モノマネ、そしてパスポートの偽造『太陽がいっぱい』ではいずれも名場面として記憶されている。

特に、壁に投射したサインを何度も真似して会得する姿や、パスポートの刻印を巧みに偽装する過程など、アナログな手口が実に映画的でカッコいい。これは、イマドキのデジタル技術でやられても盛り上がらない。

(C)1960 STUDIOCANAL – Titanus S.P.A all rights reserved

だが、原作や『リプリー』では、この辺の見せ場は登場こそするものの極めて淡泊だ。何とも勿体ない。

代わりに、クラシック好きのトムがジャズを必死で覚えてディッキー(ジュード・ロウ)に取り入るところは念入りに見せるのだが、見たいのはそこじゃないんだなあ。

イタリアの町の陰と陽

本作の舞台は、モンジベロ、ナポリ、ローマ、サンレモ、ベニスとイタリアの港町を次々と見せてくれるが、『太陽がいっぱい』はその題名に偽りなく、どの町も明るく輝いている。

一方で、『リプリー』のイタリアの町は、どこも翳りがあり、映画全体から受ける印象がまるで違う。これは意図的に変えているのだろうか。

明るいイタリアが正解というわけではないのは分かっている。パトリシア・ハイスミスの原作に敬意を払って忠実に描いているのは『リプリー』だろう。

トムに同性愛の気があることは原作でも窺えるが、本作ではかなりそれを前面に出してきている。そのせいもあってか、『リプリー』には、どこか背徳的な翳を感じる。

原作忠実なんてどうでもいい

映画としてどちらが好きかと言われると、私は断然『太陽がいっぱい』を推す。ニーノ・ロータによるあのテーマ曲の旋律と、明るいイタリアの海辺、豪華なヨットにアラン・ドロンのピカレスクロマン。

奇跡のような鉄板の組み合わせだと思う。原作に忠実である必要なんてない。ゲイの要素も、匂わせ程度で結構だ。鼻が利くひとなら、『太陽がいっぱい』でも十分伝わる。原作から更に面白さを凝縮した、ルネ・クレマンポール・ジェゴフの脚本には、まじレスペクト。

なお、『リプリー』は原作に忠実とはいったが、当然アレンジは加えている。トムと親しくなる大富豪の令嬢メレディス・ローグ(ケイト・ブランシェット)もオリジナルのキャラだ。

メレディスは後半重要な役となるが、これを面白いとみるか、余計な存在とみるかは、意見が分かれるかもしれない。

レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見・未読の方はご留意ください。

現金化できるかのスリル

さて、海の上で友人を殺したトムは、自分の才能を生かしてその友人になりすまそうと考える。はたして、逃げ切れるかどうか。そのハラハラがこの作品の醍醐味であり、なので、ここでは多くは語らない。

放蕩息子仲間のフレディが、なりすましているトムのもとにやってきて、正体がバレそうになるあたりの見せ方は、両作品ともよく出来ている。

サインと偽装パスポートについては前述したが、それを使って無事に銀行から現金を引き出せるか、これも盛り上がる場面であり『太陽がいっぱい』では、その演出も見事だ。

だが、『リプリー』はここも中途半端。トムはメレディス(ケイト・ブランシェット)と一緒に銀行に行き、どさくさ紛れに現金化してしまう。

遺産をどうやって手にいれるか

殺したあとに放蕩息子の資産をどうやって自分の懐に入れるか。これは両作品と原作でいずれも異なる。

原作ではトムがなりすまして「遺産はトムに譲る」と手紙を遺し、父のグリーンリーフ氏はそれを重んじる。『リプリー』では、放蕩息子が過去に知人を半殺しの目に遭わせたことの口止め料として、この遺産をトムに支払う。

『太陽がいっぱい』では手が込んでおり、「遺産は恋人のマルジュに」という手紙で彼女が金を受け取り、トムは彼女と恋人になることでそれを手にする。

不確実だが、怪しまれない方法として洗練されているのは、マルジュを介して入手する方法だろう。ただ、それならトムが危険を冒して銀行で現金化せずとも、遺書だけで事が足りた気もするのだが。

エンディングも三者三様

物語の終わり方も、両作品および原作で三者三様だ。トムは最後に泣くか笑うか。

採取された指紋のおかげで警察に捕まるはずが逆に無罪放免となるもの、まんまと逃げきるが新しい恋人に正体がばれそうになり殺人を重ねるもの、すべてがうまくいき幸福を満喫している中で、思いもよらぬ形で犯行が発覚するもの

どれがどれとは敢えて書かないが、この中には、映画史上屈指といえる鮮やかなサプライズを伴うエンディングも含まれる。遺体の手の動きと、次の場面のトムの手の動きが繋がるようになっている秀逸なカット割には鳥肌ものだ。

なお、トム・リプリーの物語は本作以降も続き、複数映画化されている(ヴェンダース『アメリカの友人』が有名)。

続編の存在を考えれば、本作でトムが逮捕されては都合が悪いのだろうが、やはりこの手の犯罪映画のラストは、罪を犯した者は罰を受けなければスッキリしない。