『マグノリア』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『マグノリア』今更レビュー|カエルの歌が聞こえてくるよ

記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

『マグノリア』
 Magnolia

ポール・トーマス・アンダーソン監督が188分で描く壮大な群像劇。そこにはどのような繋がりがあるのか。

公開:2000 年  時間:188分  
製作国:アメリカ
 

スタッフ 
監督・脚本:
ポール・トーマス・アンダーソン(PTA)

キャスト
フランク・マッキー:   トム・クルーズ
アール・パートリッジ:
          ジェイソン・ロバーズ
リンダ・パートリッジ:ジュリアン・ムーア
フィル・パルマ:
     フィリップ・シーモア・ホフマン
ジミー・ゲイター:
      フィリップ・ベイカー・ホール
ローズ・ゲイター:  メリンダ・ディロン
クラウディア・ゲイター:
         メローラ・ウォルターズ
ジム・カーリング: ジョン・C・ライリー
スタンリー・スペクター:
        ジェレミー・ブラックマン
リック・スペクター:マイケル・ボーウェン
ドニー・スミス:ウィリアム・H・メイシー

勝手に評点:3.0
 (一見の価値はあり)

あらすじ

死の床で息絶えんとするテレビの大物プロデューサー、彼が昔捨てた息子、プロデューサーの若い妻、看護人、癌を宣告されたテレビのクイズ番組の司会者、彼を憎む娘、彼女に一目惚れする警官、番組でおなじみの天才少年、かつての天才少年……。

ロサンゼルス、マグノリア・ストリート周辺に住む、一見何の繋がりもない12人が、不思議な糸に操られて大きな一つの物語に結び付けられていく。

今更レビュー(ネタバレあり)

偶然は重なるものだ

ポール・トーマス・アンダーソン(以下PTA)は監督作3作目にして、この10名近い主人公が交錯する188分の長編群像劇を破綻なく手掛け、見事にベルリン国際映画祭で金熊賞を獲得。

エイミー・マンの音楽や超常現象研究家チャールズ・フォートの著作にインスパイアされ、自ら脚本を書きあげている。

冒頭、本編が始まる前に3つの出来事が紹介される。

①絞首刑になった強盗殺人犯三人の名前を並べると被害者の住む町の名になる話
②消防士が湖水から引き揚げたダイバーの死体がカジノで喧嘩したディーラーだった話
③屋上から身投げした男の落下途上に母親の猟銃が暴発し命中する話

いずれも偶然の出来事の強調のために引き合いに出されるが、本筋とは無関係だ。

そしてドラマが始まる。トム・クルーズは既に人気スターであったが、彼をとりたてて中心にクローズアップすることもなく、多くの主人公を偏りなく登場させ、フラットな群像劇を構成しているところは、PTAのこだわりだろうか。
群像劇はいくつかのグループに分けられるが、ここでは三人の父親を中心にまとめてみた。

①元番組プロデューサーの老人

老舗クイズ番組「What Do Kids Know?」の元プロデューサー、アール・パートリッジ(ジェイソン・ロバーズ)は、末期癌で病床に伏せている。

後妻であるリンダ(ジュリアン・ムーア)は、弁護士にアールの遺言状を書き変えるよう頼んでいる。普通なら有利に相続されるようにとなるところだが、リンダは、財産目当てで結婚したが次第にアールを愛し始め、自責の念から相続放棄を望んでいた。

だがアールの心中には全く別の思いがあった。彼には若い頃に見捨てて亡くなった妻と、その間にできた息子がいた。死ぬ前に息子と会いたいと在宅看護師のフィル・パルマ(フィリップ・シーモア・ホフマン)に頼む。

フィルが名前を頼りに探し当てたその息子は、Seduce and Destroy誘惑してねじ伏せろで知られる男性向け自己啓発セミナーのカリスマ、フランク・マッキー(トム・クルーズ)。だが、彼は自分の出生にまつわる過去さえ偽って公表し、アールとは断絶の意思が固かった。

セックスアピール全開のトム・クルーズがこれでもかとばかりのの肉体披露で、さすがにカリスマ性がある。ここまでお下劣な役は最近の彼では観られない。

ジュリアン・ムーアは夫を愛する妻役にしては『ブギーナイツ』に続き、Fワード連発の過激な言動。

PTA作品常連のフィリップ・シーモア・ホフマンは今回実に静かで裏表のない善人なのが、逆に不気味だ。

病床のアールは、死にゆく元妻を見捨て息子のフランクに押し付けて逃げて行った。死ぬ間際になって息子に再会を願う哀れな男の我儘に、ビッグになった息子はどう対峙する。なお、アール役のジェイソン・ロバーズは本作が遺作となった。

②クイズ番組のベテラン司会者

ジミー・ゲイター(フィリップ・ベイカー・ホール)は、長寿クイズ番組『What Do Kids Know?』の司会者。彼もまた、末期癌で余命数ヶ月の宣告を受けている。

病気の事実を伝えようと、疎遠になっていた娘のクラウディア(メローラ・ウォルターズ)の家を訪れるが、激しい勢いで追い返されてしまう。

LA市警のジム・カーリング(ジョン・C・ライリー)は、近隣住民の騒音通報を受け、クラウディアのアパートを訪れる。彼女はコカインを吸いながら大音量で音楽を流していた。ジムはそれには気づかず、彼女に一目惚れしてしまいデートに誘う。

ジミーはある日番組放送中に倒れる。自宅に戻り、妻ローズ(メリンダ・ディロン)にこれまでの浮気の懺悔をするが、彼女の聞きたいことは別にあった。

それは、なぜクラウディアが父親を頑なに避けているか。夫は娘に性的な悪戯をしたのではないか。

ジミーは分からないととぼけるが、答えは自明だ。ローズは泣きながら家を出る。かつての愚かしい父親の行為で、娘はドラッグに溺れ、一家は崩壊。ジミーは癌による死を待たずに、自分に銃口を向ける。

ジミー役のフィリップ・ベイカー・ホールクラウディア役のメローラ・ウォルターズ、警官役のジョン・C・ライリーはいずれもPTA作品の常連メンバー。

なかでも、クラウディアは本作の着想を得たエイミー・マンの音楽世界の中心にいる存在で、実質的なメイン・キャラともいえる存在。

③クイズ番組にのぼせ上がる父親

スタンリー(ジェレミー・ブラックマン)は、『What Do Kids Know?』に出演する天才クイズ少年。

父親であるリック・スペクター(マイケル・ボーウェン)は、息子に時間と愛情を注いでいるようにみえるが、番組の連勝記録と賞金目当てに熱心なだけの男だ。

ある日、スタンリーは本番前にトイレに行かせてもらえず、番組の収録中に漏らしてしまう。それを境に彼は番組進行や父親の指示に反論するようになる。

一方、かつての同番組のチャンピオンで天才クイズ少年だったドニー・スミス(ウィリアム・H・メイシー)。稼いだ賞金は両親が使い果たし、今では、つまらない仕事をしていた。

彼は同性愛者で、思いを寄せるバーテンダーの気を引こうと、彼と同じように歯列矯正を受けようと計画。だが突然解雇され手術の費用を盗み出そうと決意する。

新旧天才クイズ少年に交流はないが、強欲なステージパパとなっているリックが恐ろしい。ここにも愚かな父親の犠牲になっている子供がまた一人うまれた。

そしてかつて同じ道をたどった天才少年のなれの果てがドニ―なのだ。人生が不運な方向にどんどん転がり落ちていく様子が、コーエン兄弟『ファーゴ』(1996)でのウィリアム・H・メイシーと重なる。

見上げてごらん夜の星を

終盤、エイミー・マン「Wise Up」を複数の登場人物が各場面で輪唱するあたりから、これらの群像劇がつながりを持ち始める。

とはいえ、それは緻密に仕掛けられた脚本の仕事というよりは、なかば強引につなげられた力技といっていい。それは神の力だ。演劇手法的にいえばデウス・エクス・マキナ機械仕掛けの神といえるもの。

ここから先はネタバレになるのでご留意ください。

ドニ―の不法侵入現場を夜道を運転中の警官ジムがみつけ、Uターンしたところで突如それはおこる。空から大量の何かが降ってくる。

カエルだ。それも数匹というレベルではなく、町中に雹が降るかのように、激しい勢いで無数のカエルが降ってきて、道路を埋め尽くす。そのグロさは、苦手な人にはトラウマになりそうな凄さだ。

空から大量の異物(ここではカエル)が降ってくる現象はファフロツキーズ(日本では怪雨)などと言われる現象で、前述の超常現象研究家チャールズ・フォートの著作にも書かれている。

スタンリー少年が「そういうこともある」と冷静だったのは、この本を図書館で読んでいたからだ。空から魚が降ってきたのは村上春樹『海辺のカフカ』だったか。

デウス・エクス・マキナ

「デウス・エクス・マキナ」は現代の作品ではあまりお目にかかれない処理だ。最後に神の力でまとめてしまうのは「夢オチ」のような無敵の禁じ手に近いからだろう。

だから、本作のようにたまにお目にかかると、相当にインパクトはある。俗世間のゴタゴタが、すべてカエルによって洗い流されるようだ。PTA版の『岸辺のアルバム』だといったら、山田太一先生に叱られるだろうか。

カエルが降る話は旧約聖書『出エジプト記(Exodus)』8章2節に登場することを、PTAは後から知ったらしい。それが気に入って、作中に8と2にまつわる小ネタを散りばめる。

クイズ番組のフリップボード、降水確率82%、警官ジムの婚活用の私書箱82号。冒頭の偶然エピソードのカジノの喧嘩は8と2の争い、飛行機にも機体に82、飛び降りる屋上にはご丁寧にワイヤで82。

いや、やりすぎでしょ、というほどのサブリミナル効果。

本作は3時間の群像劇のまとめ方として見事な脚本だったとは正直いいにくい。だが、カエルの力ですべてを強引に終わらせたというほど雑な映画では勿論なく、エイミー・マンの曲のおかげもあるのか、最後には不思議な大団円を感じさせる。