『横道世之介』
吉田修一の同名原作を沖田修一監督が見事に映像化。高良健吾と吉高由里子の奇跡のキャスティングによる青春グラフィティ。
公開:2013 年 時間:160分
製作国:日本
スタッフ
監督: 沖田修一
原作: 吉田修一
『横道世之介』
キャスト
横道世之介: 高良健吾
与謝野祥子: 吉高由里子
倉持一平: 池松壮亮
阿久津唯: 朝倉あき
片瀬千春: 伊藤歩
加藤雄介: 綾野剛
大崎さくら: 黒川芽以
小沢: 柄本佑
川上清志: 黒田大輔
戸井睦美: 佐津川愛美
世之介の父: きたろう
世之介の母: 余貴美子
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
長崎の港町で生まれ育った18歳の少年、横道世之介(高良健吾)はその春、東京の大学に進学するために上京する。少々お人よしだが、明るく素直な世之介の周囲には、自然と多彩な顔ぶれからなる同世代の友人が集まった。
そんな中のひとりが裕福な家庭の世間知らずのお嬢様、祥子(吉高由里子)。意気投合した世之介と祥子は互いに好意を抱き合うようになって、世之介が長崎にある実家に祥子を呼ぶなどずっと純愛の関係を続けるが…。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
ああ、懐かしの新宿東口
吉田修一の新聞連載小説を、名前が一字違いだからという縁で沖田修一が監督し映画化(嘘です)。
この原作を160分の映画に仕立てるとは、「相変わらず作品が長えなあ、沖田修一」といつもならボヤいてしまうところだが、本作は少々違う。この長さが心地よい。
長崎の田舎から大学生となり上京してきた若者の青春ストーリーだから、これといった序破急もなくダラダラと起伏のない展開といえなくもないのだが、それを効率優先で話の展開を端折らずに、丁寧に映像化しているところが、本作にはフィットしている。
憧れの東京にやってきて、都心から離れた安アパートに住み、希望と不安に満ちた大学生活を始める主人公の若者、横道世之介。ちょっと頼りないお調子者だけど、周囲を温かくしてくれる、どうしようもなくいいヤツを高良健吾が演じる。
世之介の入学は1987年。時代的にはほぼ私の大学生の頃と重なるせいだろう、公開以来10年ぶりに観たが、冒頭の新宿駅東口のシーンからエモすぎて言葉にならない。
スタジオALTAにカメラのさくらや、MYCITY前には斉藤由貴のAXIA看板。新宿PePeのステージではグリコ・キスミントのキャンペーン。ああ、青春が蘇る。
サンバとキャンパスライフ
武道館で入学式をやるマンモス大学。原作では実名は出なかったはずだが、映画では随所に法政大学の名前がみえる。協賛なのだろうが、これには驚いた。
だって、ここで出会って世之介と親友になる倉持(池松壮亮)は、「人生妥協したくないから、来年早稲田を受けるんだ」と明言するのだから。法政大、太っ腹。
この入学式で世之介は倉持や阿久津唯(朝倉あき)と知り合い、なぜか三人揃ってサンバサークルに入部することになる。
かといって部活動にも授業にも身が入るわけではなく、世之介はホテルマンのバイトをしたり、マスコミかぶれした同郷人(柄本佑)に刺激を受けたり、きれいなオネエさん(伊藤歩)とお近づきになったり。
そんなモラトリアム生活を謳歌するうちに、一緒に教習所通いをする級友の加藤(綾野剛)とダブルデートで出会ったお嬢様の祥子(吉高由里子)との交際が始まる。
◇
『パレード』、『悪人』、『怒り』、『楽園』、『さよなら渓谷』、最新は『湖の女たち』と、映画化された吉田修一作品は多いが、どれも胸にずしりと重たいものばかり。
本作のように、ほのぼのと楽しく笑って観ていられる作品は珍しい。横道世之介と同じ年に、長崎から上京し法政大学に入った吉田修一の自伝的要素が強いことが理由だろうか。
高良健吾と吉高由里子
本作の魅力は、何といっても主演の高良健吾と相手役の吉高由里子のキャスティングの妙だろう。もはや、この二人の配役以外には、この作品は考えられない。久方ぶりに原作を読んでも、二人の顔が浮かんでしまう。
この二人は吉高の初主演作『蛇にピアス』(2008、蜷川幸雄監督)で共演しているが、まるで違うキャラ設定なのにも驚く。
◇
横道世之介を演じた高良健吾は端整なルックスと繊細そうなイメージで、従来は硬派な役柄が多かった印象だが、本作では打って変わって、隙だらけでフニャフニャの善人キャラである。
これが斬新だし、妙に似合っている。本作以降、彼の配役の幅は広がったと思う。
有村架純と共演した坂元裕二ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』で高良健吾が演じた田舎育ちの純朴青年は、本作なしでは生まれなかったかもしれない(情けないキャラだけが目立った『水は海に向かって流れる』(前田哲監督)は無駄遣いだったけど)。
あの、不器用な笑顔は間違いなく世之介のものだと思える。高良健吾が太陽の被りモノでサンバを踊るなんて想像を超えた。
一方、お嬢様の与謝野祥子を演じた吉高由里子も見事にハマリ役だ。祥子は単なる深窓の令嬢ではない。どこにでも運転手付きの黒塗りの車で送迎され、「ごきげんよう」と現れ、そして箸が転がっても大笑いする。
本当におかしそうにケタケタと笑う姿と、バカ丁寧な言葉遣い、そして微妙なファッションセンス。世之介とのドライブでも、後部座席に座るお嬢。こんなキャラを魅力的に演じられるのは、吉高由里子しかいないよなあ。
世之介の愛の告白が照れくさくてカーテンに隠れて丸まっていく姿の、なんと可愛らしくも面白いこと。
その他キャストと時代考証
改めて思うと、本作はこのメインの二人以外も、脇を固める配役が実に豪華、というか絶妙なのである。
大学の友人にホットな池松壮亮とクールな綾野剛、妊娠して学校やめる朝倉あき、同郷友人に柄本佑、なぞの高級娼婦の伊藤歩、祥子の親友には佐津川愛美。
世之介の両親はきたろうと余貴美子、祥子の両親は國村隼と堀内敬子。更には世之介のアパートの並びに住んでるのが、井浦新と江口のり子ときた。
80年代の後半の時代を描くのに、ファッションやヘアスタイル、看板やドリンク等の小道具など、かなり気合を入れている様子は伝わった。
この手のアイテムが画面に映り込むだけで、当時の空気が出せるのは、意外とお手軽なのかもしれないが、懐かしかったのは確か。
長崎の世之介の仲間たちが乗っている車が、パルサーやスカイライン、ギャランなど、時代がバラバラな気もしたが、レパードだけは今でも通用するデザインに見えたのは『あぶ刑事』のせいか。
◇
さて、世之介が帰省した長崎の夜の海で、祥子といい雰囲気になったときに突如ボートピープルが出現する。急遽シリアスな展開になるが、映画よりも原作ではこの事件の扱いが大きい。
この時に二人は、生ぬるいバブルの日本の中で、初めて社会情勢の厳しさに触れたのだ。それがやがて、二人の人生にも影響を与える。祥子は国連の職員になり、世之介は隣人(井浦新)に借りたライカがきっかけで、報道カメラマンとなる。
今更レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
世之介のことを思い出したよ
世之介のような気のいい好人物は、学生時代を振り返ると、誰にでもひとりくらい思い浮かぶのではないか。だが、社会に出ればみな毎日仕事や日々の雑務に追われ、そんなヤツの存在も、久しく思い出さなくなってしまうもの。
本作も、中盤からところどころ、16年後以降のシーンが挿入される。結婚して子供が中学生になった倉持(池松壮亮)と唯(朝倉あき)、ゲイのパートナー(眞島秀和)と暮らす加藤(綾野剛)、みんな、ふとしたことで懐かしい世之介を思い出す。
学生時代の付き合いなんて、多くは途中で途絶えてしまう。男女の仲もそうだ。祥子もつまらないことで、世之介とは別れてしまった(そんなシーンはないが)。
◇
比較的早い段階で、世之介がどうなったかは明かされてしまう。J-WAVEのDJで人生相談をする千春(伊藤歩)が読むニュース原稿にその答えがある。
代々木駅のホームに転落した女性客を救おうとした韓国人留学生と日本人のカメラマンが、逃げ切れずに亡くなった。それが40歳の世之介だった。
彼が事故死したことを、観客は知っている。だから一層、のんきに過ごす学生時代が輝いてみえる。
最後に欲しかった場面
原作のラストには、韓国人の若者と駅のホームで女性を助けようとする場面が出てくる。だが、なぜか女性は助かり、世之介も死なない。
私は長年、これは、自分が死んだことにも気づかずにいる、どこか抜けてる世之介の幸福なエピソードだと思い込んでいた。今回読み直して、誤読と気づいた。
これは20歳の頃の話であって、彼が死んだのは20年後。世之介は、あの時と同じように、女性を救えると信じたのだ。
映画ではこのシーンはカットされている。死なないのだから、本筋に必要なシーンではないという判断もあるだろう。だが、20歳の頃の話としても、駅のホームで世之介が人を救おうとする場面が映像化されれば、効果は一層強まったように思う。
学生時代から事故死までの20年間、世之介がどう過ごしてきたのかを、吉田修一は二作の続編小説で書き綴っている。だが、本作公開時にはまだ、その手がかりはない。
あるのは、彼が事故死したあとに、母親(余貴美子)が祥子に送った現像写真だ。
世之介の撮った最初の写真を見せるとの約束から「与謝野祥子以外、開封厳禁」と世之介が書いた封筒は、20年前に祥子が『ベルばら』のキャラを落書きした紙だ。この映画オリジナルネタは泣かせる。そして写真はどれも、平和な街の人物たちを撮ったものだ。
◇
嬉しいことに、映画のラストシーンは、けしてしんみりと暗いものではない。世之介の人懐っこい笑顔には、ここから20年間を生きる若者の生命力に溢れている。