『楽園』 考察とネタバレ:吉田修一の短編を融合させたのは分かったが、どのあたりが楽園だったのか

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『楽園』 

吉田修一の短編二編を強引に統合した感が否めない。どの辺が楽園で、何を軸に映画が進んでいるのか。瀬々監督と原作者、この題材と配役では、ロクヨン+アクニンの印象が強い。Y字路をロケハンで探した努力は買う。

公開:2019 年  時間:129分  
製作国:日本

スタッフ 
監督: 瀬々敬久
原作: 吉田修一「犯罪小説集」

キャスト
田中善次郎:佐藤浩市
中村豪士: 綾野剛
湯川紡:   杉咲花
野上広呂: 村上虹郎
黒塚久子: 片岡礼子
田中紀子: 石橋静河
藤木朝子:  根岸季衣
藤木五郎:  柄本明

勝手に評点:1.5 
(私は薦めない)

(C)2019「楽園」製作委員会

あらすじ

ある夏の日、青田に囲まれたY字路で少女誘拐事件が起こる。事件は解決されないまま、直前まで被害者と一緒にいた親友・紡(杉咲花)は心に深い傷を負う。

12年後、同じY字路で再び少女が行方不明になり、町営住宅で暮らす孤独な男・豪士(綾野剛)が犯人として疑われる。追い詰められた豪士は街へと逃れ、そこである行動に出る。

さらに1年後、そのY字路に続く限界集落で愛犬レオと暮らす養蜂家の善次郎(佐藤浩市)は、村おこし事業を巡る話のこじれから村八分にされてしまう。追い込まれた善次郎は、ある事件を起こす。

レビュー(ネタバレあり)

原作由来の後味の悪さ

吉田修一の原作「犯罪小説集」から、二つの短編「青田Y字路」「万屋善次郎」を映画化したものだ。

後味の悪さは原作由来なので映画のせいではないとしても、もともと独立していた二編を融合し、紡(杉咲花)と広呂(村上虹郎)、或いは善次郎(佐藤浩市)と久子(片岡礼子)の男女の描写を新たに水増ししたことで、映画そのものは軸もぶれて、正直、何を語りたいのかがさっぱり伝わってこなかった。

瀬々敬久監督のヒット作にあやかりたいのは分かるが、佐藤浩市綾野剛、それに少女誘拐では『64ロクヨン』の印象が強すぎるし、また、被害者親族が柄本明では、同じ吉田修一原作の『悪人』あたりがどうもチラつく。

煮え切らない事件であるならば、いっそもう何話か挿入して、オムニバス形式にしたほうが受け止めやすかった気もする。Y字路にふさわしいロケ地を探したことは評価に値するが、ほかに見出せる材料は乏しい。

(C)2019「楽園」製作委員会

『楽園』というタイトルの意味や、映画における使われ方も、本来原作にはないので、後付け感が否めない。

また、電車の騒音でセリフを聞こえなくする手法も、期待ほどのサプライズはなく、伏線回収された気がしない。
余程のインパクトがない限り、この手法は使わないほうが無難だ。

原作を読んだうえでの感想

勿論映画ならではの差異はあって当然なので、いろいろな考えや制約から意図的に原作と変えている部分はあるものだとは理解している。

まず少女誘拐事件について。被害者祖父・五郎(柄本明)が周囲に流され、誰かが犯人として捕まらないとどうにも収まらなくなるが、本当は豪士(綾野剛)を疑ってはいない、という原作部分の微妙な心情が、映画ではあまり伝わらなかった。

五郎が豪士の部屋の押入れを開けてみつけた不自然なスペースも、少女を収納した場所だとは読み取れず(これは私の勘が鈍いのかもしれない)。

また、善次郎(佐藤浩市)の村人猟奇殺人事件についても、途中から善次郎が狂人になっていくサマが描かれておらず、また屋敷の周囲におかれた、女性の衣服を纏ったマネキン(トルソー?)も、特に説明なく、ただもやもやするばかりだ。

これが役所広司なら、彼の狂気は黒沢清監督のホラーで見慣れているから分かるが、佐藤浩市は説明してくれないと、狂人にはみえない。映画では狂人という設定ではないのだろうか。

(C)2019「楽園」製作委員会

以下、ネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。

ラストを振り返る

最後に犯人について語らせてもらうと、結局少女誘拐犯は豪士だったというのでは、今までの気の持たせ方はなんだよという脱力感いっぱいではあるが、これは原作通りだから映画としては罪はない。

また、善次郎は、村八分のあげくにみんな殺して自決してしまうので、こちらも、物語的にはひねりなし。

当然にして気が滅入る話なのだが、「楽園作れよ」と広呂に言われる紡の笑顔と、善次郎と愛犬レオの出会いと、上白石萌音の歌のラスト三連発畳み掛けで、なんだか和やかな気持ちにさせられてしまっている。

そりゃ、暗い気持ちで映画館を出るよりは、まだましかもしれないが、ラストでいっきにハートウォーミングに持っていくってのは、どうなのだろう。

読後爽快感はないですが、私は、原作の方をお勧めします。