『悪人』
吉田修一原作、李相日監督の名作を今更レビュー。微笑まない金髪の妻夫木が、愛にひたむきな深津が魅せる。
公開:2010 年 時間:139分
製作国:日本
スタッフ 監督: 李相日 原作: 吉田修一 キャスト 清水祐一: 妻夫木聡 馬込光代: 深津絵里 石橋佳乃: 満島ひかり 増尾圭吾: 岡田将生 石橋佳男: 柄本明 清水房枝: 樹木希林 清水勝治: 井川比佐志 矢島憲夫: 光石研 石橋里子: 宮崎美子 鶴田公紀: 永山絢斗 堤下: 松尾スズキ
勝手に評点:
(オススメ!)

コンテンツ
あらすじ
土木作業員の清水祐一(妻夫木聡)は、長崎の外れのさびれた漁村で生まれ育ち、恋人も友人もなく、祖父母の面倒をみながら暮らしていた。車だけが趣味で、何が楽しくて生きているのかわからない青年。
佐賀の紳士服量販店に勤める馬込光代(深津絵里)は、妹と二人で暮らすアパートと職場の往復だけの退屈な毎日を送っていた。
孤独な魂を抱えた二人は偶然出会い、刹那的な愛にその身を焦がす。しかし、祐一には光代に話していない秘密があった。
レビュー(まずはネタバレなし)
長崎・佐賀・福岡 遅すぎた出逢い
今なお吉田修一の最高傑作ではないかと思う原作を、『フラガール』の李相日監督が映画化した本作は、日本アカデミー賞やキネ旬日本映画ベストワン等、各所で絶賛された。
<今更レビュー>にふさわしい今更感だが、今年は吉田修一の映画化作品を振り返ってみようと思い、まずはこの代表作に手が伸びた。
◇
先だって、久々に原作を読み返した。最後に原作を読み映画を観たのは、もう10年以上前になる。だから、いまだに、ほとんどの台詞と映像が頭に入っている自分に驚いた。
主演の二人は勿論、柄本明も樹木希林も、悪徳商法の松尾スズキの身体の動きさえ鮮明に覚えている。完成度の高い原作と映画だったということだろう。
◇
長崎の漁村で年老いた祖父母の面倒をみて、土木作業の現場と家の往復。若さを持て余し、深夜までクルマを飛ばし、金髪に染める若者・祐一(妻夫木聡)。
卒業した高校も勤め先の紳士服量販店も佐賀の国道沿い、妹と暮すアパートとの往復で生活に潤いのない光代(深津絵里)。
出会い系サイトで出会った二人は、閉塞感だらけの毎日のなかで、互いを自分の求めていた相手だと気づく。そして愛する喜びを知る。だが、二人の出逢いは、ほんの少し遅すぎた。
原作をシェイプアップした脚本
群像劇のように見えるが、ピュアな恋愛ドラマだ。
吉田修一が著作の脚色まで手掛けたのは初めてとのことだが、なるほど、原作を徹底的にシャープに減量させながらも、そのテイストはきっちり残している、いや、かえって際立たせている。
新聞連載小説という出自から、原作は毎回読者の興味をひくように組み立てられ、また相応にページ数もある。ここから、何を削ぎ落すことで、よりメッセージが伝わるか。
◇
例えば、前半部分の保険外交員・佳乃(満島ひかり)の性に奔放な一面や、祐一が一人の風俗嬢にのめりこむ一面などは、映画では思い切って割愛。
一方で、主要人物の会話などはかなり忠実に再現されているし、クルマの中の二人を包み込み、慟哭をかき消すような激しい雨、久石譲の格調あふれる劇伴音楽など、映画ならではの表現も多い。

主演の二人の演技の素晴らしさ
祐一を演じた妻夫木聡は、誰をも魅了するあの笑顔を封印した大胆な取り組みで当時世間を驚かせたが、ナイーブな若者の揺れ動く心情を見事に演じていた。
妻夫木聡は、吉田修一と李相日監督が本作の後に再タッグを組んだ『怒り』でも主要キャストを演じるが、本作の意外性とパンチ力を超えてはいないと思う。
◇
光代を演じた深津絵里も、退屈な日々を送る前半から、熱情的に愛に突き進んでいく後半への変化、ほとばしる心情の吐露に圧倒される。
今までの彼女の演じてきた役柄とはまた異なるキャラクターであり、彼女もまた意外性のある演技をみせてくれた。
なお、二人は三谷幸喜の『ザ・マジックアワー』でも共演している。コメディなので、本作の演技とのギャップをみるのもまた楽しい。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレがあるので、未見・未読の方はご留意願います。
佳乃のはしゃぐ声が耳にこびりついている
さて、メインはあくまで祐一と光代ではあるが、前半で鉄鍋餃子の女子会解散から祐一をスルーして御曹司大学生・増尾(岡田将生)と夜道をドライブする佳乃のやかましさもまた、強烈な印象を残す。
増尾は確かに嫌なヤツだが、彼にクルマから夜の山道に放り出される佳乃もまた、仕方ないかと思ってしまうほどだ。
岡田将生はこういう役が実に似合う。同乗者を蹴りだしちゃうのは、自動車保険のCMタレントとしてはどうかと思うが。
◇
そして、山道で佳乃を助けようとした祐一はとんだとばっちりで、警察に訴えると脅かされた挙句、衝動的に絞殺してしまう。何という悲劇だろう。

彼が本当に悪人なのだろうか
本当は祖父母思いで心根の優しい若者のようにみえる、彼が本当に<悪人>なのだろうか。そう疑問を投げかけながら、物語は進む。
◇
だが、逃げまくった挙句に逮捕された増尾は、残念ながら犯人ではない。やはり、罪を犯したのは祐一だ。
彼に肩入れしたくはなるが、娘を突然殺された、石橋理髪店の父(柄本明)と母(宮崎美子)の悲しむ様子をみるのはつらい。
殺された娘を想い、事件のきっかけを作った増尾に復讐しようとする石橋。そして、その事件の犯人が、我が子のように愛情を注ぎ育ててきた祐一だと分かり、ショックを受ける祖母・房枝(樹木希林)。
柄本明と樹木希林という、日本映画界の誇る二人の名優。その真に迫った演技が胸を打つ。
離れられない二人を雨が包む
不条理が蔓延する現代社会のなかで、小さく咲きかけた一つの恋。
「もっと早う光代に会っとけばよかった!」
佐賀は呼子の食堂で、人を殺したことを光代に告げる祐一。卓上のイカの目にカメラが寄るのを不思議に思ったが、呼子はイカで有名な町だと、後日旅行で訪れて知った。
◇
自首するという祐一とクルマで最後の別れをする光代。激しい雨の中、警察署に歩きだす祐一をクルマから呼び止める、光代の長いクラクション。抱擁。ああ、メロドラマ。そして、二人の逃亡劇が始まる。
実は、原作ではあるトラウマが彼女にこの決心をさせている。
過去にバスジャック事件に巻き込まれそうになったが、自分だけが乗車せず危機を逃れた。あの時、周囲の人たちを止めることができたのに、という後悔が心の重荷になっていたのだ。
もっとも、この話がなくても、映画では最も盛り上がりをみせる抒情的なシーンだ。

正しく生きていくということ
スパナを忍ばせて増尾を執拗に狙う石橋は、最後に追い詰めた増尾に「そうやって、ずっと人のこと、笑って生きて行けばよか」と言い捨てて去っていく。
悪びれた様子もない増尾を見て、親友の鶴田(永山絢斗)が代わりにスパナをガラスに叩きつけるのは、原作にない動きだが、これで少し留飲が下がる。
◇
房枝は、殺人犯の祖母としてマスコミ攻勢をかけられる中、高額な漢方薬を売りつけられ泣き寝入りしていた堤下(松尾スズキ)に、金を返せと直談判に行く。
自分が正しいことをしなければ、祐一は帰ってこない、自首してくれない、という覚悟なのかもしれない。
結局、悪人とは誰か
さて、逃亡劇にも終わりは来る。自分が祐一に自首しないようけしかけたせいで、かえって彼の罪を重くしてしまった。そのことに今更ながら気づき、光代は彼に詫びる。
◇
悪人とは誰か。祐一は、房枝に隠れて、捨てられた母(余貴美子)に会っては金をせびっていた。だが、それは、母の罪悪感を軽くしてやろうと、わざとしていたことなのだ(原作によれば)。
そんな彼が、光代の罪悪感を軽くしてやろうと、彼女の首を絞めるふりをして、悪人を装う。俺のことは忘れろ、と。説明を極力排した演出がよい効果を生んでいる。
◇
ラストシーン。光代は花を手向けに佳乃の遺体が発見された山道にいる。原作では、路上に花を供える光代だが、映画ではタクシーに持ち帰ってくる。
祐一に殺されかけた自分も、佳乃と同じ被害者だ、という感情をより強く表現したのかもしれない。祐一の望んだように、彼女はすっかり、自分の人生をかけて愛そうとした男を、<悪人>だったと信じている。
◇
以上、お読みいただきありがとうございました。未読の方は、原作もぜひ。