映画『怒り』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『怒り』今更レビュー|漢字は大きく一文字より、小さくびっしりのが怖いのに

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『怒り』

『悪人』に続き李相日監督が吉田修一原作を映画化。渡辺謙、宮崎あおい、松山ケンイチ、妻夫木聡、綾野剛、広瀬すずに森山未來。大河ドラマと朝ドラが何本できるか数えたくなる超豪華キャストで贈る群像ミステリー。

公開:2016 年  時間:142分  
製作国:日本
  

スタッフ 
監督:   李相日
原作:   吉田修一 『怒り』

キャスト
千葉編
槙洋平:  渡辺謙
槙愛子:  宮崎あおい
田代哲也: 松山ケンイチ
明日香:  池脇千鶴
東京編
藤田優馬: 妻夫木聡
大西直人: 綾野剛
藤田貴子: 原日出子
薫:    高畑充希
沖縄編
田中信吾: 森山未來
小宮山泉: 広瀬すず
知念辰哉: 佐久本宝
その他
南條邦久: ピエール瀧
北見壮介: 三浦貴大


勝手に評点:3.0
(一見の価値はあり)

あらすじ

東京・八王子で起こった残忍な殺人事件。犯人は現場に「怒」という血文字を残し、顔を整形してどこかへ逃亡した。

それから一年後、千葉の漁港で暮らす洋平(渡辺謙)と娘の愛子(宮崎あおい)の前に田代(松山ケンイチ)という青年が現れる。

東京で大手企業に勤める優馬(妻夫木聡)は街で直人(綾野剛)という青年と知り合う。

親の事情で沖縄に転校してきた女子高生・泉(広瀬すず)は、無人島で田中(森山未來)という男と遭遇する。

(C)2016 映画「怒り」製作委員会

今更レビュー(まずはネタバレなし)

『悪人』の監督と原作者の再タッグ

吉田修一原作を映画化し『悪人』という傑作を生みだした李相日監督が、今度は『怒り』を映画化した。

それも前作で素晴らしい演技をみせた妻夫木聡をはじめ、今回は錚々たるメンバーを出演者に集めた。渡辺謙、宮崎あおい、松山ケンイチ、池脇千鶴、綾野剛、原日出子、森山未來、広瀬すず、ピエール瀧……。

単独主演で大型作品が作れるような俳優陣をこれだけ集めて、はたして群像ミステリーとしてまとめきれるのか。

冒頭、八王子市の住宅街で、浴槽から夫婦の死体。殺人現場の検証を行う刑事の南條(ピエール瀧)と北見(三浦貴大)は、犯人が家の壁に残した大きな「怒」の文字を見つける。

千葉編

家出した娘の愛子(宮崎あおい)を歌舞伎町の風俗店から千葉の漁港に連れ戻してきた父親の洋平(渡辺謙)

姪の明日香(池脇千鶴)も心配するが、戻った愛子は次第に元気になり、やがて、洋平のもとで働くバイトの孤独な青年・田代(松山ケンイチ)と親しくなっていく。田代は、自分の過去を何も語らない男だった。

もう、千葉編だけで大河ドラマの主演経験者が三人もいる贅沢さだ。千葉編は家族ドラマ風に観られて落ち着ける点もいい。

(C)2016 映画「怒り」製作委員会
東京編

大企業勤めの藤田優馬(妻夫木聡)は、いつも同じ嗜好のゲイ仲間とつるんで遊んでいる。

発展場でみつけた迷子の犬のような大西直人(綾野剛)を強引に襲い、やがて惹かれ合う。過去を語らず居場所のない直人は優馬の部屋に転がり込み、入院中の優馬の母(原日出子)にも紹介される。

『悪人』とはまるで違う、奥田民生ならぬ<大西直人とやりたいボーイ>の妻夫木の肉食系ぶりに驚く。東京編はLGBTを扱った恋愛ドラマ風

沖縄編

母が男と揉めたことで沖縄に引っ越してきた女子高生・泉(広瀬すず)は、親がペンションを営んでいる同級生の辰哉(佐久本宝)に連れていかれた無人島で、勝手に住みついている素性不明のバックパッカーの田中(森山未來)と出会う。

エメラルドグリーンの海とまぶしい太陽。高校生の二人と謎めいた森山未來のミスマッチが新鮮。他の二編にみられた不健全さや不穏さがここにはなく、かえって危うさを感じさせる。沖縄編は、なつぞらがまぶしい青春ドラマ風

以上、千葉・東京・沖縄の三篇、さらにテレビの公開捜査番組などを活用する警察の動きが目まぐるしく入れ替わり、映画を作り上げていく。

犯人の手がかりは、目撃情報などから作られたモンタージュ、一重まぶたからの整形、頬に縦三つ繋がったホクロ、左利き等々。

一方で、千葉・東京・沖縄には、それぞれに過去を伏せている怪しい人物の田代・大西・田中がいる。

群像ドラマでありがちな、各エピソードの登場人物が少しずつ他に絡んでいくような作り込みはない。あくまでそれぞれが独立したエピソードのままである。

その中で、どのように容疑者を潰し込んでいくのだろうか。

レビュー(ここからネタバレ)

ここからはネタバレになる部分がありますので、未見の方はご留意願います。

犯人の内面を語ることが重要ではない

本作は犯人さがしという形式をとってはいるが、そこに何かトリックが仕掛けられているミステリーでもないし、必死に逃げ回る逃亡劇でもない

冒頭の殺人現場の「怒」という文字は、終盤にも現れ大きな意味を持つが、山上が何に対して怒りを感じどうしてそれが抑え込めないのかという、普通の小説であればメインになる部分は、映画にも原作にもあまり描かれていない。

観ていればどこかで記憶がよみがえると思うが、モチーフになっているのは、千葉県市川市で英国人女性英会話講師が殺害され、犯人の市橋達也が整形を重ねながら何年も逃走した実在の事件だ。

モンタージュに出てきた一重瞼の男、或いは山上一也という容疑者の名前から、思い出される方もいるかもしれない。

一重瞼の部分は田中に似ているし、モンタージュ写真の雰囲気は田代に似ている気がする。ホクロの特徴は大西と同じだ。どの容疑者も怪しく見えるように作られている。

ドラマから映画にもなった『MOZU』に出てきた、みんなの夢に出てくる男の顔のように、出演者に合わせて作られているのだから当然か。

小説では伝えにくいビジュアルをバシッと映し出すことができるのは、映画の強みだ。

そういえば、実際に映像で見ると、『怒』の漢字一文字が大きく壁にあっても、あまり恐怖感を与えないことが分かった。ああいうものは、写経のように小さい文字で大量に書かれている方が、インパクトが強い

無実だった容疑者の周囲にもドラマがある

三つの舞台に三人の容疑者(らしき人物)がいるということは、真犯人以外ははずれということになる。だが、むしろドラマとしては、そこにスポットが当たっているのが、特徴的だ。

ある町の話では、経歴を語らないその男に対し、何か触れられたくない過去があるのではないかと疑念を膨らます。そこに警察の公開捜査情報が報道される。どうにも似ているような気がする。

ある町では、経歴を語らない男が突然姿を消したまま、姿を見せなくなる。やがて警察から電話がかかってきて、その失踪した男の名前をだし、知っているかと問われる。報道を知り犯人ではないかと思い、そんな男は知らないと電話を切る。

いずれのケースも、男は真犯人ではなかった。だが、男を信じていた筈の自分が、ほんの少しの不安から、警察に通報してしまう或いは、信じあっていた筈なのに、信じきれず逃げていた自分がいる

そのために、本来ならば容疑が晴れて喜ぶべきところを、深い自責の念で慟哭する結果となるのだ。

(C)2016 映画「怒り」製作委員会

オールスターキャストの功罪

本作は三人の容疑者よりも、その周囲の人々の物語だ。だから、容疑者となる三人の俳優よりも、宮崎あおい妻夫木聡、広瀬すずや、新人には見えぬ佐久本宝の涙ながらの迫真の演技が、胸を揺さぶる。

ただ、群像劇という性格上、どうしても関心が目移りしてしまい、腰が据わらない。なので『悪人』のような直球で胸に響く話とは、やや毛色が異なるものになっている。

豪華キャストは勿論作品に厚みを与えるし、役者はみな魅せてくれるが、そこまでメジャープレイヤーを揃えられると、既視感ばかりでドラマに集中できない副作用もある。

ただ、これは『オーシャンズ11』のようなオールスター出演のキャスティングにしてほしいという、吉田修一からの要望のようだ。

マイノリティを超メジャー俳優が演じることに意味があると考えたとか。私は共感できないが、一定の効果はあったのだろうか。もっとも、『怒り』の映画化は『悪人』より難しいであろうことを、吉田修一は見抜いているけれど。

原作と比較して感じたこと

吉田修一の原作は大長編だ。例えば、以下のような部分は映画では割愛されている。

  • 千葉編における、田代を借金取りの荒っぽい連中が追いかけてくる話
  • 東京編における、優馬の元同級生の兄嫁が、彼をゲイだと知っている話を絡めた家族の話
  • 刑事にはプライベートで交際し始めた隣人女性がおり、彼女も過去を伏せている話

言い出せばキリがないが、時間の制約からはこの程度の捨象は当然仕方ないところだ。140分にうまくまとめ上げたものだと思う。

ただ、沖縄編だけは、捨象しすぎた結果、少々物足りないものとなってしまった。

原作では、米兵に襲われた泉は、その事実を絶対に誰にも言わないでほしいと懇願し、辰哉は約束を守る。彼女の母も必死に娘を護る。だが、その辰哉を救うために、泉は自分の受けた被害について、警察に打ち明けようと決意する。

彼女の心境の移ろいは作品の読後感に直結する、とても重要なもので、原作では丁寧に描かれていたが、映画では海に向かって泉が絶叫するだけで、拙速に片付けられてしまったように思う。

そして追伸のように、原作のラストには辰哉から泉への短い手紙が添えられる。

その内容は『悪人』とまったく同じ行動原理に基づいているのだが、そのせいで類似した作品に見えてしまうことを避けるために、李相日監督は映画には採用しなかったのではないか。