『クリーピー 偽りの隣人』
怪しき隣人の正体は何者なのか。西島秀俊・香川照之・竹内結子の豪華競演で贈る黒沢清の不穏な世界。
公開:2016 年 時間:130分
製作国:日本
スタッフ 監督・脚本: 黒沢清 脚本: 池田千尋 原作: 前川裕 『クリーピー』 キャスト 高倉幸一: 西島秀俊 高倉康子: 竹内結子 西野雅之: 香川照之 西野澪: 藤野涼子 本多早紀: 川口春奈 野上刑事: 東出昌大 谷本刑事: 笹野高史 大川: 戸田昌宏 松岡: 馬場徹
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- 香川照之の怪しさは満点だが、西島秀俊だってなにげに不気味だ。どうやって探し出すのか、黒沢清監督らしいロケ地や舞台装置の見事さは今回も健在。
- 後半の歯止めの効かない展開には好みが分かれそうだが、この雰囲気は嫌いじゃない。
あらすじ
元刑事の犯罪心理学者・高倉幸一(西島秀俊)は、刑事時代の同僚である野上(東出昌大)から、6年前に起きた一家失踪事件の分析を依頼される。
しかし事件唯一の生き残りである長女・早紀(川口春奈)の記憶をたどるも、核心にはたどりつけずにいた。
一方、高倉が愛する妻・康子(竹内結子)と共に最近引っ越した新居の隣人は、どこか奇妙な家族だった。
病弱な妻と中学生の娘・澪をもつ主人・西野(香川照之)との何気ない会話に翻弄され、困惑する高倉夫妻。そしてある日、澪が告げた言葉に、高倉は驚愕する。
今更レビュー(ネタバレあり)
汝の隣人はサイコパス
日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した前川裕の同名原作を黒沢清が映画化。
どうにも怪しい隣人がサイコパス野郎だったという設定自体はさほど目新しくはないが、話の運び方だったりロケ地の選び方だったりが、どれも黒沢清監督ならではの仕上がりになっており、雰囲気は十分。
不安をあおる家の中で風にはためくカーテンも、今回はあちこちで揺れまくりだ。
◇
冒頭、警察署内でサイコパスな殺人犯(馬場徹)と面会する刑事の高倉幸一(西島秀俊)。彼は犯罪心理学の専門家だが、相手は警官を殺して署内で人質を取り、余裕綽々で交渉人を気取って接した高倉は撃たれてしまう。
ここまでは息もつかせぬ展開。そして1年後、彼は警察を辞め、妻の康子(竹内結子)と郊外に引越し、大学で犯罪心理学の教鞭を取っている。
大学で取り扱う未解決の事件の中で、日野市の一家消失事件が目に留まる。中学生の娘だけを残して、家族が蒸発した。
調べ始めると、捜査課で同僚だった野上刑事(東出昌大)が大学に現れ、一緒に現場に行くと、そこにはその生き残りの娘・本多早紀(川口春奈)がいる。
一方、高倉の私生活では、康子が隣家に挨拶にいくと、変わり者の西野雅之(香川照之)が現れる。受け答えがかみ合わず、話をしていて不快になるタイプの人物だ。夫人は顔を見せないが、中学生の娘・澪(藤野涼子)はきちんと挨拶をしてくれる。
これでメインの役者は概ね出揃った。
あちこちで豪華な再共演
西島秀俊と香川照之と言えば、潜入捜査官ものの傑作香港映画『インファナルアフェア』のリメイクドラマ『ダブルフェイス』(2012)を皮切りに、『MOZU』(2014)では公安と刑事役、『流星ワゴン』(2015)では父子役と、数々の名ドラマで共演。
そして西島秀俊と竹内結子は、これまた傑作刑事ドラマ『ストロベリーナイト』(2010)の姫川玲子警部補と配下の菊田和男の組み合わせ。好き合っていながら悲恋に終わった二人が、本作では夫婦役でちょっと嬉しい。
ちなみに、やや古くなるが竹内結子は香川照之とも『天国の本屋〜恋火』で恋人役を演じている。同作の香川は廃墟に住む世捨て人となっており、どこか本作の西野に似ている。
◇
過去作のイメージでいけば、この三人はみな刑事に見えてしまうのが難点だが、実際に現役の刑事を演じているのは東出昌大。どこか孤独の影を引き摺る本作のイメージが、『スパイの妻』(2020)での怪演に繋がったのかもしれない。
怪演といえば、本作で西野(香川照之)の娘役を演じた藤野涼子も、デビュー作『ソロモンの偽証』(2015)とは相当違うキャラを演じていて驚いた。
本作の公開後、東出昌大と香川照之がそれぞれ世間を騒がせるスキャンダルで活動自粛を余儀なくされ、また竹内結子に至っては他界してしまうという悲しい出来事に見舞われた。
今回改めて鑑賞すると、偶然とはいえ、それらが本作の醸し出す不穏な空気を更に強めているように感じられた。
特に、竹内結子が本作で演じる康子は、「私、もう諦めちゃったのよ、いろんなことに」と呟いて、いつの間にか西野にマインドコントロールされてしまう役だ。
黒沢作品なので無理もないことだが、竹内結子から、その魅力である輝く笑顔が見られなかったのは大変寂しい。先日観返した『ゴールデンスランバー』(2010、中村義洋監督)の笑顔が恋しい。
怪しすぎる隣人・香川照之
さて、本作の怖さはまず、何といっても西野の不気味な言動だろう。想像がつかない不思議なリアクション。娘と暮らしていることで、普通の所帯持ちかと安心するが、康子が家を訪れても、妻の姿は見えず、娘は父親に気づかれぬよう首を振る。
娘が突如言いだす。「あのひと、お父さんじゃないんです。全然知らない人!」これは怖い。
かと思えば、西野が公園で康子に近づき「ご主人と僕、どっちが魅力的ですか?正直にいっていいですよ」というのも相当キモい。
◇
怖い隣人となると『ミセス・ノイズィ』(2020、天野千尋監督)の鬼の形相のオバサンを思い出すが、今回は何人も殺していそうなサイコ野郎。『黒い家』(森田芳光監督)の大竹しのぶといい勝負か。
西野の不気味さに拍車をかけるのが、舞台設定のうまさ。黒沢清監督がどこで見つけてくるのか、何とも気色悪い古びた廃屋だったり、重い扉の地下倉庫だったり。殺風景な警察署の取調室でさえ、十分怖い。
犯罪心理学の専門家・西島秀俊
一方、不気味な西野を信用ならないヤツだと警戒する高倉(西島秀俊)だが、実はこの人物も全幅の信頼は置きづらい。
冒頭の殺人犯に撃たれた失態にも、犯罪心理学を心得た者の慢心があったし、大学の授業でも、猟奇殺人をどこか楽しそうに語る不謹慎さがある。
事件の生き残りの早紀(川口春奈)が事件の記憶を語る際に「面白いですね」と興味本位で言ってしまう性質。「ここからはボクの趣味です」という『時効警察』のオダギリジョーと近いのかもしれない。
早紀には「あなた、心を持ってるんですか!」と責められる高倉の仕事ぶり。そんな夫との日常生活に疲れたのか、妻の康子は、引っ越し先で既に何もかも諦めてしまっている。人たらしの西野は、おそらくその隙をついたのだ。
おそらくと書いたのは、本作では明示的にその部分が描かれていないからだ。物語で最大の謎は、康子がいつの間にか、西野の術中に落ちて、マインドコントロールされていることだ。
◇
腕にはシャブ中のような注射針の痕だらけだが、なぜそうなったのか。本来、生理的に嫌悪感が先に立つような人物に、なぜ支配されているのか。
黒澤監督は意図的なのだろうが、そのプロセスは想像に任されている。説明されないからこその面白味を理解できるかどうかで、本作の評価は変わってくるだろう。
気になった点をいくつか
日野市の一家消失事件を調べていくうちに、高倉家の周囲で起きていることと似通っていることが分かっていく。
その流れ自体は良かったが、早紀(川口春奈)の事件への絡み方がちょっと尻すぼみに思えた。事件現場に行ったら彼女が偶然いるという不可思議な出会い方から始め、感情の起伏の激しい印象的なキャラだったが、西野との接点はあまり描かれず、やや中途半端な気が。
また、彼女の家と隣家の配置が、高倉家や西野家の配置と似ているというのも、本作の特徴的な部分で発想はユニークと思ったが、残念ながら、騒ぐほど家の配置が同じではないのも惜しい。
一方、西野が自宅でお笑い番組をスナック喰いながらのんきに観ている一方で、澪(藤野涼子)が死体をビニールパックに入れて、大型掃除機で吸引して始末しているというのは、シュールな映像で面白かった。
普通この手の死体処理は、床がヌルヌルの血だらけになるところだが、これは片付けが楽でいい。
ラストシーンについて
終盤、康子を救い出しに来た高倉が、西野を倒して一件落着と思いきや、彼女に裏切られて敵の術中にはまる。先行きの読めない展開になったが、あまりにも唐突にケリがつく。
愛犬を殺せと西野に銃を持たされた高倉が、その銃口を西野に向け、何度も引き金を引く。あまりにも呆気ない死。これは、康子が高倉に注入したクスリの量を加減したから正気が保てたのか、或いは高倉の強靭な精神力か。
冒頭で慢心してサイコパスに撃たれた主人公が、最後には、同じように過信して油断している敵を撃ち殺すのだ。
ただ、元刑事だからといって、高倉が犯人を射殺していいはずもなく、今回もハッピーエンドとは縁遠い黒沢映画なのであった。
原作との比較について(ネタバレあり)
最後に、前川裕の原作との差異について触れたい。日本ミステリー文学大賞新人賞を獲っただけあって、原作はプロットがしっかりしている。
なぜ、高倉の家の隣に西野が住んでいたのか、家の配置などではなく、きちんと理屈があるのだ。そして、野上刑事にも映画では語られない数奇な過去があり、西野は彼の義兄なのである。
野上刑事は、日野市の殺人に西野が絡んでいるであろうことや新たなターゲットが田中家であることを知り、偶然近所に住んでいた、旧知の高倉に接触するという流れだ。
黒沢監督はおそらく、映画にミステリーに求められる論理構成を採用し、動機やキャラクターに説明がつくようにすると、西野の理解不能な存在の魅力が損なわれてしまうと考えたのではないか。
だからこそ、あの脚本で不気味な人間像が出来上がった。それは黒沢清監督ならではの好判断だと思う。
ただ、原作にある精巧なプロットをもう少しだけ取り込むと、ミステリーとしても面白くなったように感じた。