『女王蜂』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『女王蜂』金田一耕助の事件簿⑥|口紅にコウモリ

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『女王蜂』

市川崑監督と石坂浩二の金田一耕助シリーズ第四弾。そろそろマンネリズムも限界に近くなってきた。

公開:1878 年  時間:139分  
製作国:日本

スタッフ 
監督:        市川崑
原作:       横溝正史
           『女王蜂』
キャスト
金田一耕助:    石坂浩二
神尾秀子:      岸惠子
東小路隆子:   高峰三枝子
日下部仁志:   佐々木勝彦
大道寺智子:    中井貴恵
大道寺琴絵:   萩尾みどり
大道寺銀造:    仲代達矢
蔦代:        司葉子
大道寺文彦:    高野浩之
速水るい:    白石加代子
多門連太郎:     沖雅也
等々力警部:     加藤武
木暮刑事:     小林昭二
黒沢刑事:     冷泉公裕
山本巡査:     伴淳三郎
おあき:      坂口良子
九十九龍馬:     神山繁
駒井泰次郎:    佐々木剛
赤根崎嘉文:    中島久之
遊佐三郎:     石田信之

勝手に評点:2.0
(悪くはないけど)

あらすじ

十九年前に起きた日下部仁志の事故死の真相を調べに、天城・月琴の里を訪れた金田一耕助(石坂浩二)は、そこで謎の連続殺人に巻き込まれる。

大道寺家の娘・智子(中井貴恵)には三人の求婚者がいたが、「智子に群がる男の命は脅かされるであろう。彼女は女王蜂である」という警告を裏付けるかのように、三人は次々と惨殺されてしまう。

この一連の殺人事件は十九年前の事件につながると推理した金田一は、深い謎に迫っていく。

今更レビュー(ネタバレあり)

市川崑監督と石坂浩二金田一耕助シリーズ第四弾。他の作品で忙しい市川崑東宝が口説き落として本作を撮らせたというが、さすがにマンネリ感が否めない。

しかも、本作に至っては、原作未読の観客にストーリーを理解してもらおうという気があるのか疑わしいような展開。

まずはタイトル登場までの慌ただしさ。舞台は昭和7年伊豆天城

京都に戻る男子大学生二人をバス停で見送る大道寺琴絵(萩尾みどり)。3か月後に身籠っている彼女のもとに、その相手である学生・日下部仁志(佐々木勝彦)が現れ、別れ話を切り出す。場面が変わり、琴絵の悲鳴、ザクロのように頭を割られた日下部の死体。

そして昭和11年、もう一人の学生だった速水銀造(仲代達矢)は、琴絵に求婚し、やがて大道寺家の当主となる。

更に歳月がたち、19歳になった娘の大道寺智子(中井貴恵)は村にある時計塔の中で無残に殺された婿候補者の一人の死体を目撃する。現場には謎の若者・多門連太郎(沖雅也)がおり、彼女の唇を奪う。

ここでようやくタイトルである。すでに19年が経過し、男二人が壮絶な死を遂げているのに、未読者には登場人物も人間関係も殆ど分からないだろう。こんな乱暴な導入部では、謎を解く気も失せてしまう。

いや、ひとつだけ分かったことがある。琴絵の家庭教師として長年大道寺家に仕える神尾秀子(岸惠子)、事件の全貌も見えないうちだが、彼女がきっと犯人だろう。だって、市川崑美人女優しか犯人にしない監督だから。

だが、これは少々早計だった。何しろ、本作には『悪魔の手毬唄』岸惠子に加え、『犬神家の一族』高峰三枝子、そして『獄門島』司葉子と、これまでの石坂浩二シリーズ過去三作の前科者が総出演しているのだ。

これでは、誰が犯人だか見極められない。何とも豪華というか、節操のない配役を考えたものだ。

マンネリではあっても、横溝正史原作で石坂浩二主演の人気シリーズだし、本作でデビューの中井貴恵を化粧品のCMに起用したカネボウのタイアップ等、派手な広告もあって、映画はヒットする。

シリーズもので出演者も常連ばかりだが、『男はつらいよ』のように、レギュラー勢が同じ配役を演じるのではない。

前述の女優陣三人はみな違う役(犯人は自害するのが本シリーズの不文律だからやむを得ないか)。

大滝秀治三木のり平、草笛光子も別人、坂口良子だっていつも違う旅館の仲居。

「よーし、分かった」等々力警部(加藤武)でさえ、どうみたって同一人物だが他人の空似なのだ。これには混乱する。

また、これまでの映画化作品のように、三種の家宝や土地に伝わる手毬唄、或いは俳句の見立てなど、何かガイドラインがあると話の進行も追いかけやすいが、本作にはそれがない。

女王蜂に例えられたヒロインを愛する男たちが次々と死んでいくというルールだけなので、説明不十分で出来事を繋いでいくスタイルと相俟って、実に理解しにくい作品になってしまっている。

市川崑監督お得意の短いカットをスライドのように切り替えていく手法が、そこに追い打ちをかける。

物語は大きく二つの時代に分かれる。

メインは智子(中井貴恵)が19歳を迎えた昭和27年の話。彼女は伊豆天城の月琴の里から、京都に住む父・大道寺銀蔵(仲代達矢)に引き取られ、一緒に暮らすことになっていた。

銀蔵は智子の亡き母・琴絵(萩尾みどり)と結婚してすぐに、妾の蔦代(司葉子)と京都に暮らし、文彦(高野浩之)という子供までいた。

そこに、智子の京都行きを阻むように、「智子に群がる男の命は脅かされるであろう。彼女は女王蜂である」という警告文が送られ、19年前の事件との因果を匂わす。

警告通り、彼女の婿候補3名のうち遊佐(石田信之)が時計台で斬殺、赤根崎(中島久之)が野点の茶で毒殺される。

また、蔦代の兄で、19年前の事件の真相を知る祈祷師の九十九龍馬(神山繁)も、智子に襲いかかったところを何者かに刺殺される。そして、いずれの現場にも、容疑者として存在するのが、謎の二枚目・多門連太郎(沖雅也)

婿候補で唯一人生き残る駒井(佐々木剛)仮面ライダー2号、死んだ遊佐(石田信之)ミラーマン文彦少年(高野浩之)超人バロム1と、昭和ヒーロー俳優が大集合。

それにも拘らず、誰にも活躍の場がないところが、何とも寂しい。仮面ライダー一文字隼人は、本作で刑事役の小林昭二との共演まであるというのに。

そして金田一が調査を依頼されているのが、本件と関わりのある19年前の事件。

銀蔵が学生時代に親友の日下部仁志と伊豆旅行をした時、日下部は大道寺琴絵を愛し、彼女は妊娠するが、日下部は別れ話を持ち出し、その後に何者かに殺され、崖の上から転落事故死したことにされる。

大学を卒業し、銀蔵が琴絵に求婚し、彼は大道寺の婿養子となるが、銀蔵は京都、琴絵は月琴の里で別居生活を続け、名目だけの夫婦であった。

なお、殺される前に日下部が「面白いコウモリの写真が撮れた!」と喜んでいたが、現像してもそんな動物の写真はない。金田一が調査を進めるうえで、これが事件の手がかりになる。

自分の本当の父親は誰なのか、そして、亡き母は殺人犯ではないのか。不安を抱えながら真実を追い求める智子の周囲で、次々と婿候補が殺されていく。

惨劇を生き残る薄幸のヒロインをこれまで演じたのは、『獄門島』大原麗子『悪魔の手毬唄』仁科明子『犬神家の一族』島田陽子と錚々たる顔ぶれ。

本作で主役といえる智子は最重要の役柄だが、大スター佐田啓二の娘とはいえ、さすがに新人の中井貴惠には荷が重い。彼女をスターに押し上げる強引な企画だったのだろう。

本作にはいくつか原作からの改変がみられる。高峰三枝子が演じた旧華族・東小路隆子は原作では男性の皇族だったが、この性別変更はしっくりきた。

また、赤根崎が毒殺されるのが、歌舞伎座でチョコよりは野点の煎茶というのも違和感はなく、うまく纏めていた印象。九十九(神山繁)が智子を襲う密室が寄木細工構造になっているというオリジナルのアイデアも面白かった。

だが、気になる改変も多い(以下ネタバレです)。

序盤に日下部が頭を割られて殺される場面。本来容疑者である琴絵が、婚約指輪を取りに一度部屋を出て、その後に死体を見て絶叫するカットを入れている。

つまり、殺害時、この部屋は密室ではなかったことをはじめに明かしてしまうのだが、これは、いらぬお世話だ。

また、本来、謎解きのメインであるはずの、「コウモリの写真」の意味。これは、<旅芸人の一座>にも<土地の者>にも属さない人物の写真という意味で、「コウモリ」に例えられていることを、原作では金田一が明かす。

ところが本作では、コウモリの話をするたびに、金田一や駐在(伴淳三郎)「鳥類でも哺乳類でもない」という枕詞をつけるので、はじめからヒントが与えられている。

観客が理解できないだろうという親切心なら、こんな早すぎるヒントよりも、物語そのものをもう少し丁寧に説明してほしい。

最後に驚かされたのは、金田一によって全ての謎が明かされ、真犯人が自殺したあとの智子の言動である(ネタバレです)。

原作では、智子は殺された本当の父親・日下部が、母を弄んだ色魔ではなく、旧皇族ゆえに結婚できなかった、愛するに足る人物だったことを喜ぶ。

ところが、映画での智子は、「私の父親は、自分や母を愛してくれた大道寺銀造です」と言い放つのだ。これには耳を疑った。

確かに、銀造に日下部の一族への私怨があることは分かったが、いかに仲代達矢が演じていたからといって、相手の頭を割って殺していいわけではない。この原作改変はどうにも解せない。

真犯人の大道寺銀造を射殺したあと、彼を愛していた神尾秀子(岸惠子)が、自分にも銃を向け自害する。本作は、原作と映画で犯人を変えるプロモーションを展開してはいないはずなので、智子が発言を変えることに意味はない。

本当の父親である日下部は、親友に殺された挙句に、実の娘からは、「殺人犯が私の愛する父です」と宣言されてしまったようなものだ。これでは、浮かばれない。智子の最後の台詞は、口紅よりミステリーだった。