『獄門島』金田一耕助の事件簿⑤|三作目の正直

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『獄門島』

市川崑監督と石坂浩二の金田一耕助シリーズ第三弾。原作は横溝正史の最高傑作。

公開:1977 年  時間:141分  
製作国:日本

スタッフ 
監督:           市川崑
原作:          横溝正史
            『獄門島』
キャスト
金田一耕助:       石坂浩二
等々力警部:        加藤武
了然和尚:        佐分利信
漢方医幸庵:       松村達雄
荒木村長:        稲葉義男
清水巡査:        上條恒彦
<本鬼頭>
鬼頭嘉右衛門(故人): 東野英治郎
鬼頭与三松(当主・狂人):内藤武敏
お小夜(後妻・故人):  草笛光子
鬼頭千万太(本家長男): 武田洋和
鬼頭月代(本家長女): 浅野ゆう子
鬼頭雪枝(本家次女): 中村七枝子
鬼頭花子(本家三女): 一ノ瀬康子
鬼頭一(分家長男):     不明
鬼頭早苗(分家長女):  大原麗子
勝野(使用人):      司葉子
竹蔵(使用人):     小林昭二
<分鬼頭>
分鬼頭儀兵衛:      大滝秀治
分鬼頭巴:       太地喜和子
鵜飼章三: 池畑慎之介(ピーター)
<その他>
床屋の清十郎:     三木のり平
床屋のお七:       坂口良子

勝手に評点:3.0
 (一見の価値はあり)

あらすじ

終戦後の引き揚げ船の中で死亡した鬼頭千万太の遺書を預かり、瀬戸内海に浮かぶ小島“獄門島”に向かった金田一耕助(石坂浩二)

島の名家、鬼頭家は本家と分家で争いを繰り広げていたが、千万太の通夜が行なわれた夜、本家の三姉妹の三女・花子(一ノ瀬康子)が何者かに殺され、続いて次女の雪枝(中村七枝子)も惨死体で発見される。

遂には長女の月代(浅野ゆう子)も絞殺死体で発見され、金田一は寺の屏風に貼られた三枚の色紙の俳句から、事件解決の糸口をつかむのだが。

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今更レビュー(まずはネタバレなし)

市川崑監督が石坂浩二主演で贈る金田一耕助シリーズ第三弾。

前作の『悪魔の手毬唄』が1977年4月公開、本作は同年8月公開、更に翌9月には東宝の向こうを張って松竹渥美清の金田一で『八つ墓村』を公開。世は空前の横溝正史ブームの真っ只中である。

本作は原作としては横溝正史の著作の中でも常にトップに君臨する傑作とされている。だが、映画としての立ち位置は微妙だ。

それにはまず順番が影響している。金田一耕助シリーズの小説としては、『本陣殺人事件』に続き二作目。ヴァン・ダインアガサ・クリスティーに触発され、横溝正史が俳句を用いて童謡殺人ものを書いてみたのが本作。

猟奇連続殺人と俳句の組み合わせは斬新だしミステリーとしても完成度が高い。

だが、本作は石坂浩二の金田一としては三作目。田舎の町を舞台にした本家分家の同族争いは三作に共通するし、『悪魔の手毬唄』では童謡に合わせて三人の娘たちが殺され、本作では俳句の見立てで三人姉妹が殺されることから既視感が強く、公開順で損をしている。

映画は冒頭、金田一耕助が船着き場で傷痍軍人の男(三谷昇)に道を尋ねる。この男が松葉杖をついているのが仮病だとすぐに分かるのだが、原作にない、このさりげないシーンが実は重要な意味を持つ。

金田一は友人の依頼で、本家の鬼頭千万太が戦地から戻る途上で病死したことを告げに獄門島に向かう。

その船には、分家の鬼頭ひとしが生きて帰還したという知らせを聞いたばかりの了然和尚(佐分利信)、漢方医幸庵(松村達雄)、荒木村長(稲葉義男)が乗り、更には、供出していた寺の釣鐘までが、終戦で島に戻されようとしている。

本家の跡取りが死に、分家が生き残り、そして釣鐘が戻る。これが、島で発生する猟奇連続殺人とどう結びつくのか。この導入部分は無駄がなく綺麗にまとまっている。

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映画は原作と犯人が異なることで話題になった。同時期に古谷一行によるドラマが放映されていたことも影響しているようだ。

この原作と犯人を変える手法は以降も多くみられるようになるが、私はあまり好きではない。原作者が苦労して作り上げたプロットが軽んじられている気がするからだ。

その点、ドラマは原作の犯人を踏襲、しかも個人的には古谷一行の金田一推しのため、どうも本作には苦手意識が働く

Hell's Gate Island 「獄門島」 - 予告編 Trailer #2

犯人もここでは明かさないが、監督が市川崑というだけで、すでにある程度想像ができてしまうのも困り物だ。

石坂浩二の金田一シリーズとして目新しい出演者は、大原麗子司葉子。役柄は異なるもののお馴染みの俳優は多く、草笛光子、大滝秀治、小林昭二

凄惨な事件現場に貴重なコメディリリーフとなっている三木のり平坂口良子も、今回は床屋の父娘で登場。「よーし、わかった!」加藤武は、毎回役名こそ異なるが、今回も早合点の警部役で登場。

意外なところでは、三姉妹の長女でその後の活躍とはあまりのギャップの浅野ゆう子

更に、言われなければまず気づかない、勝野(司葉子)の少女期を演じた荻野目慶子と、姉の付き添いで監督の目にとまり映画初出演となった荻野目洋子

今更レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見未読の方はご留意ください。

戦死した鬼頭千万太が恐れていた通りに、三姉妹が殺される。それが俳句の見立てで殺害されたことを金田一は後で気づくが、いつもの通り、殺人を未然に防ぐことはできていない。

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うぐいすの 身をさかさまに 初音かな
(宝井其角)

行方不明になった三女の花子(一ノ瀬康子)が、寺の庭にある梅の古木に足を帯で縛られた逆さまにぶら下げられて死んでいる。

みな灯籠を持って夜道を歩いている中で、なぜか花子の逆さづり死体は、スポットライトを浴びたような明るさで華やかな振袖を着ている。

了然和尚(佐分利信)「きちがいじゃが、仕方がない」と呟く台詞が、後に金田一耕助の推理を混乱させる要因となるわけだが、放送禁止用語云々以前に気になる点がある。

原作では、これが文字だから同音異議のトリックになり得たが、映画ではこの台詞が語られるので、イントネーションでバレバレなのである。

獄門島の方言はよく分からないが、標準語でとらえたときに、和尚のつぶやきは同音異議として使えない。

もっとハッキリ書けば、和尚は「気狂い」すなわち座敷牢の中の当主・鬼頭与三松(内藤武敏)を犯人と睨んでいるのではなく、「季ちがい」つまり俳句の見立てとは季節が違ってしまったと言っていることが、すぐに分かってしまうのだ。

むざんやな かぶとの下の きりぎりす
(松尾芭蕉)

次女の雪枝(中村七枝子)首を絞められて殺され、釣鐘の中に押し込まれている。梃子の原理で竹蔵(小林昭二)が釣鐘を押し上げるが、力尽きて落ちた鐘が雪枝の首を刎ねる。

この釣鐘殺人は『獄門島』の最も象徴的な場面だが、『犬神家の一族』の湖から突き出る足には遠く及ばず。アリバイ作りに利用されたハリボテの釣鐘が映像で見れたのは分かり易かったが、歩く釣鐘が遠景すぎて迫力不足。

また、そもそも映画では本物もすり替えのニセモノもともにハリボテなので、違いが伝わりにくい。小林昭二は梃子の原理で釣鐘を動かすほか、ふんどし一丁で海に潜ってニセの釣鐘を探すなど大活躍だ。

(C)1977 東宝

一つ家に 遊女も寝たり 萩と月
(松尾芭蕉)

残った一人、月代(浅野ゆう子)は白拍子姿となり母から伝授されたという祈祷を行う。

彼女の身を心配する警察の連中も、祈祷の鈴の音が聞こえるからと安心していたが、途中から猫が鳴らしていることに気づかず、月代は絞殺されて辺りには萩の花が撒かれる。

浅野ゆう子がこんなイカレ娘の役を演じていたとは知らなんだ。殺され方としては最もショボい。

三人娘があまり感情移入できるように描かれていないので、殺されてしまっても『悪魔の手毬唄』のときのような「ああ、あの娘まで殺されてしまった!」という悲壮感が高まらないのが惜しい。

故人の鬼頭嘉右衛門(東野英治郎)は、本家の長男千万太が戦死した場合に家督を分家の一(ひとし)に継がせたい。

だが、三人娘の誰かが分鬼頭の側についている鵜飼(ピーター)と結婚すれば、その目論見は崩れ、勢力図が大きく変わってしまう。

こうして、「もしも本家跡取りが死んで分家が生きていたら、三人娘を俳句に見立てて殺してくれ」との遺言を和尚らに遺す。

殺人は躊躇われたが、実際に跡取りの生死が分かれ、俳句の見立て殺人に不可欠な釣鐘まで同日に返還されてしまう偶然から、和尚たちは覚悟を決める。

俳句の書かれた屏風を予め金田一に見せることは、フェアな戦いにもなり、また未然に殺人を防いでくれるのではという期待もあったという原作の深みが、映画では薄まってしまう。

かわりに勝野(司葉子)のキャラ設定が大きく改変される。それ自体よくできてはいるが、完成度の高い原作をあえていじることでバランスが崩れたように思う。

ちなみに本作のヒロインは、そんな勝野が実の母だと知り、涙を流す鬼頭早苗役の大原麗子。生まれてから一度も島を出たことがない純粋培養の美しさ。金田一といい雰囲気になりそうだったが。

(C)1977 東宝

分家の一(ひとし)は生きていたという情報が冒頭の復員兵の詐欺で、実際は戦死していたという終盤のサプライズが、この連続殺人が全く不要なものだったという辛辣な事実をつきつける。

なお、美熟女が真犯人で、金田一の事件解明後に自殺するという市川崑パターンは、今回も健在。