『豪姫』
勅使河原宏監督が、宮沢りえと仲代達矢の共演で贈る、利休亡き世の茶人の物語。
公開:1992年 時間:142分
製作国:日本
スタッフ
監督・脚本: 勅使河原宏
脚本: 赤瀬川原平
原作: 富士正晴
『豪姫』
キャスト
古田織部: 仲代達矢
豪姫: 宮沢りえ
ウス: 永澤俊矢
豊臣秀吉: 笈田勝弘
徳川家康: 井川比佐志
高山右近: 松本幸四郎
喜多淳斎: 三國連太郎
蒲生氏郷: すまけい
お吟: 真野響子
細川忠興: 山本圭
前田利常: 別所哲也
板倉勝重: 川津祐介
勝手に評点:
(悪くはないけど)

コンテンツ
あらすじ
天正19年、時の権力者・豊臣秀吉の命により自刃した千利休に代わって、利休の高弟だった古田織部(仲代達矢)が秀吉の茶頭を務めることに。
加賀の大名・前田利家の娘として生まれ、秀吉の養女となった豪姫(宮沢りえ)は、天衣無縫に振る舞うおてんば娘。
京都の河原に利休の生首がさらしものとなっていたことに憤った彼女は、その生首を奪い去るが、彼女の忠実な部下たる青年のウス(永澤俊矢)は、騒ぎの責任を取って都を離れることとなる。
今更レビュー(ネタバレあり)
利休を継承する茶人の物語
勅使河原宏は『サマーソルジャー』(1972)を監督して以降、しばらく映画界を離れていた。1980年に草月流3代目家元を継承し、翌1984年にドキュメンタリー映画『アントニー・ガウディ』で監督復帰。
遺作となった本作は1989年の『利休』に続いて撮った作品で、二作続いて利休の時代の茶の世界を扱っている。華道の家元がなぜ茶の世界にこだわったのか不思議だが、勅使河原監督は多才な人物であり、陶芸にも打ち込んでいた。
茶の湯の世界にも造詣が深いが、関心を持ったのは本作で仲代達矢が演じている古田織部の茶碗に出会ってからだという。勅使河原宏は古田織部の茶碗に関する書籍を出すほどののめりこみようだ。
原作は富士正晴による『豪姫』。なかなか読み応えがあり、映画よりも分かり易い。トマソンで知られる(知らないか?)赤瀬川原平が、『利休』に続き、共同脚本を手掛けている。

映画は冒頭、豊臣秀吉(笈田勝弘)が千利休の後釜に古田織部(仲代達矢)を引き立てる場面から始まる。長いワンカットが印象的だ。利休が秀吉の命で切腹するまでが前作、『豪姫』はその死後から始まるため、利休は生首しか登場しない。
織部は武将であり茶人。世間では山田芳裕のコミック『へうげもの』の主人公といえば、通りがいいかもしれない。
その織部に庭先の樹の上から弓矢を放ち、「お爺ではないか、俺だ。久しぶりだな」と甲高い声を出すお転婆娘が登場。これが宮沢りえが演じているタイトルロールの豪姫だ。
女だてらに弓矢の腕も立つ。加賀藩・前田利家とまつの娘という血筋の良さだが、戦国の世で秀吉の養女となっているのだった。
宮沢りえが初々しい
この物語には、織部と豪姫、そしてもう一人、中心的な役割を担う人物がいる。それが織部の庭番をやっているウス(永澤俊矢)という屈強な青年だ。
彼はあるきっかけから豪姫に頼りにされ、さらしものになっていた利休の首を秘かに奪うと、それを利休の娘(実は愛人)のお吟(真野響子)に届けに行く。
騒ぎが大きくなり、ウスは都を離れるのだが、その際に石田三成の配下に襲撃される。
様子を見ていた豪姫は弓矢で応戦するが、傷ついたウスのために、もろ肌脱いでサラシを引きちぎり包帯代わりに。写真集「Santa Fe」が話題になった翌年だけあって、胸にサラシを巻いた宮沢りえに、当時の観客はドキっとさせられただろう。
ここまでは、どうみても、若い男女の恋愛ものだが、身分差の大きい豪姫とはそれ以上の発展はなく、逃げ延びたウスは山中で喜多淳斎(前作で利休を演じた三國連太郎)という老人に出会い、共に暮らすようになる。
面白いのはここからの時間の流れだ。ウスが山で生き延びているうちに、歳月は流れ、秀吉が亡くなり(ナレ死に近い)、関ヶ原の合戦を経て徳川家康(井川比佐志)の世になっている。織部は家康のもとで、殿に睨まれながら仕えている。
豪姫は結婚したが、夫の宇喜多秀家は関ヶ原で西軍についたため流罪となり、加賀に戻された姫は静かに暮らしていた。
#映画のカッコいいキャラクター名選手権
— くま (@0oCfVoLYv2vN4EL) July 18, 2024
92年映画 豪姫『ウス』(永澤俊矢)…ここからの殺陣のシーンがめちゃんこ格好良いのだ!! pic.twitter.com/0vddU5HbDe
その姫が野盗に襲われ、強姦されそうになったところを偶然ウスに助けられ、運命的な再会を果たすのだが、何とここまで20年。姫は自分を四十路だと言っている。
でも、20年はさすがに長い。宮沢りえはデビュー作『ぼくらの七日間戦争』の演技が好評だったとはいえ、時代劇は初だろう?
男勝りの娘役だけならよいが、二十歳そこそこで四十路の人妻役には無理があったのではないか。眉を剃って白塗りにしただけで20年の経過は伝わらなかった。

天下一の茶会であった
豪姫は利休の命日に古くからの茶人を集めて茶会を催そうとするが、高山右近(松本幸四郎)も細川忠興(山本圭)も家康に遠慮して参加せず、織部だけが姫と茶会を開く。
この席で姫は織部を前にかつての口調に戻り、「“オレ”が出ましたな」と懐かしがらせる。この茶会に出る織部は、家康に睨まれることで死を覚悟している。
一方の豪姫も、家康には夫を流人にされた恨みがある。そんな二人の茶会で、織部は思わず男泣きし、姫もまた、「天下一の茶会であった」と自認する。

屋敷を出た途端、織部は徳川の配下に連行され、幽閉されてしまう。ウスは豪姫の命を受け、危険を承知で織部に秘かに茶器を届けに行く。
結局、織部は切腹を断り、斬られてしまうが、その直前に、床下に隠れたウスと会話をすることができるのだ。
歴史小説であるため、史実を大きく覆して織部が活躍する訳にもいかず、茶の湯の世界をどうみせるかというあたりにしか自由度がない。
豪姫もどこまで豪気をみせてくれるか期待したが、若い頃の無茶な言動が、後半には途切れてしまっている。ウスとの恋仲だけはかろうじて復活の気配をみせる。
ラストでは、豪姫がウスを足蹴にして馬乗りになり、「オレを抱いてみるか、それともオレが抱いてやろうか」と若い頃の勇ましさの片鱗をみせる。
だが、どうにも台詞が上滑りしており、何が語りたかったのかが見えにくい。勅使河原監督は茶の湯の世界への傾倒で時代劇を好んだのだろうが、時代劇を撮る監督なら、他に何人もいるではないか。
これで遺作となるのであれば、かつて安部公房と組んだときのような、過去ではなく未来を見据えた、勅使河原監督にしか撮れない現代劇を、ぜひもう一度見せて欲しかった。