『雨あがる』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『雨あがる』今更レビュー|アキラ(明)とあきら(聰)

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『雨あがる』 

黒澤明の残した脚本をもとに、愛弟子の小泉堯史監督が師匠ゆかりのスタッフ・キャストで撮った時代劇。

公開:2000年  時間:91分  
製作国:日本

スタッフ  
監督:      小泉堯史 
脚本:      黒澤明 
原作:      山本周五郎 
         『雨あがる』
       (『おごそかな渇き』所収) 
キャスト 
三沢伊兵衛:   寺尾聰 
三沢たよ:    宮崎美子 
永井和泉守重明: 三船史郎 
奥方:      檀ふみ 
石山喜兵衛:   井川比佐志 
榊原権之丞:   吉岡秀隆 
内藤隼人:    加藤隆之 
おきん:     原田美枝子 
説教節の爺:   松村達雄 
辻月丹:     仲代達矢 
宿屋の亭主:   下川辰平 
お遍路の老人:  奥村公延 
鋳掛け屋:    頭師孝雄

勝手に評点:2.5
   (悪くはないけど)

あらすじ

職もなくあてのない旅をする武士・三沢伊兵衛(寺尾聡)、そしてその妻・たよ(宮崎美子)。ある日大雨で足止めを喰らい、立ち寄った宿で、さまざまな人々の喧嘩に出くわす。

命危険を顧みず、仲を取り持つ伊兵衛。その一部始終は藩主・永井和泉守(三船史郎)の目に届くこととなる。藩主は伊兵衛の人柄を気に召し「剣術指南番」として城に迎い入れようと申し出る。

職にありつけるかもしれない、大きな期待を胸に、たよに吉報を約束する伊兵衛であったが…。

今更レビュー(ネタバレあり)

黒澤明監督に届けたい

助監督として黒澤明に師事した小泉堯史の初監督作品。原作は山本周五郎による短編で、長門勇の初主演作として過去に映画化されている。主演は、本作から小泉堯史監督が主演に起用し続ける寺尾聡

黒澤明が脚色し、亡くなる寸前まで映画化実現を望んでいた企画だという。ラストシーンのみを残して未完となっていたが、黒澤明28年間師事し、最大の理解者といえる小泉堯史が、その遺志を継ぐこととなる。

黒澤の息子であるプロデューサーの黒澤久雄の声かけにより、企画は動き出す。

小泉堯史(監督)をはじめ、上田正治(撮影)、斎藤孝雄(撮影協力)、村木与四郎(美術)、佐野武治(照明)、紅谷愃一(録音)、黒澤和子(衣装)、そして野上照代(監督補)という、黒澤組の錚々たる面々がスタッフに結集する。

俳優陣も主演の寺尾聡と妻の宮崎美子はともに『乱』(1985)に出演。ワンシーンではあるが回想に登場する剣豪には仲代達也、そして藩主には三船敏郎の長男である三船史郎

そのほかの俳優陣も、松村達雄、井川比佐志、原田美枝子、吉岡秀隆など、黒澤作品ゆかりの人物が太宗を占める。子役の加藤隆之などは、『七人の侍』加東大介黒澤明の二人を祖父にもつサラブレッドである。

そして原作は、『椿三十郎』『赤ひげ』と黒澤作品の名作と馴染みの深い山本周五郎。文句のつけようがない布陣といえる。

無言の同調圧力

さて、ここまではステレオタイプな紹介だ。実は私は、この非の打ちようがない制作裏話のようなものに、少々居心地の悪さを感じている。

いわば、公開番組の収録中にサプライズでプロポーズされた女性のような気分だ。感激して応諾しろという、観客からの無言の圧力で、なかなか「ごめんなさい」とは言いづらい。

本作もそれに近い。ここまで、美しいサイドストーリーが仕立てられたら、「傑作です。まるで黒澤が監督しているようでした」というしかない。本職のライター諸氏は、観る前から、そんな原稿を用意していたかもしれない。

日本では、黒澤監督の作品にしろ、没後にその弟子たちが作った作品にしろ、<クロサワ>ブランドの映画にネガティブな批評をすることには、勇気がいる。大手のメディアならば猶更だ。

だが本サイトはただの無名な個人の映画レビューサイトゆえ、遠慮なく(相応の節度はわきまえながら)思った事を書かせていただく。

黒澤もどき映画

本作は冒頭にいきなり黒澤監督の生前の静止画が登場する。徹頭徹尾、黒澤愛に充ちている。それはよいのだが、本人がメガホンを取っていない以上、いくら脚本を本人が書いていても、これは黒澤映画ではない。

そうはいっても、スタッフや役者の顔ぶれ、企画の趣旨をふまえれば、小泉堯史監督は師匠のスタイルをまねて、「黒澤もどき」の映画を撮るしかない。実際、彼は長年の師事でその手法を熟知しているのだろうし、成果につながっているのだとは思う。

でも、諸々の情報を排除して一個の作品として本作を観た場合、やはり模倣の映画は、オリジナルを超えられない。だから訴えかけるものが弱いのだ。

小泉堯史監督にはもっと独自のスタイルで作品を撮ってもらいたいと思った。『阿弥陀堂だより』(2002)や『博士の愛した数式』(2006)などは、いずれも本作と同じ寺尾聡主演だが、監督の個性が滲み出る良い作品だった。

何をやっても黒澤明が引き合いに出される宿命にあるが、そろそろ偉大なる師匠の呪縛から解放されてもよいのに。もっとも、ご本人は、黒澤の名前がでることを光栄と感じているのかもしれないが。

再び時代劇に戻った新作の『峠 最後のサムライ』(2022)では、どのくらい独自のカラーが出せているだろう。

夫婦の絆を描いた作品

本作は、人を押しのけてまで出世する欲はないが腕だけはたつ、心優しい武士と、そんな夫を理解し支える妻の心暖まる絆を描いた時代劇。

天性の善人顔俳優の寺尾聡では、とても何人もの敵を相手にねじ伏せる剣客には見えないと思ったが、そもそも原作でもこの主人公は、涼しい顔をして飄々と相手の剣をかわして勝負をつけてしまう、少々風変りな剣術使いなのである。だから、寺尾聡の配役は的を得ているのかもしれない。

言葉数は少ないが、夫を支え、貧しい生活にも愚痴をこぼさない良妻に宮崎美子もフィットしていた。

夫の愛に生きている妻は、そのままの生活で満足している。しかし夫は、貧しい生活が妻を不幸にしていると思っている。

もっと出世してもっと楽な生活を送らせようとあくせくしている。妻は、そんな夫を見ているのがつらくて、悲しいのに、夫には妻の心がわからない

黒澤明自身の覚書より引用

この心情のすれ違いは前半ではなかなか伝わりにくく、妻の行動が謎めいて見えるが、後半で俄然存在感を示す。

腑に落ちなかった点

本作の前半では、雨による増水で川が渡れず、宿屋で何日も足止めを食らう三沢伊兵衛(寺尾聰)が、そこに暮らす貧しい町民たちに酒と肴をふるまう。

彼自身も貧しいはずだが、妻に禁じられていた賭け試合でまきあげた金品で、長雨でふさぎ込んでいる人々を一晩だけ饗応してあげるのだ。

この宴会での貧しく暮らす人々の喜びようといったらない。次から次へと、歌や踊りなど芸を披露する。このくらい屋敷の中で貧民が集う宴会風景は、いかにも黒澤的な絵になっている。

ただ、本作は元ネタが短編だ。短いゆえに切れ味のよい小説に仕上がっているが、映画となれば短めとはいえ90分はある。

結果、原作以上にこの宴会風景を長く手厚く膨らました感があり、(この宴会自体、作品の中で大きな意味を持つとはいえ)少々バランスが悪い。

ずいぶんと説明的な時代劇

もうひとつ、私がどうしても馴染めなかった点がある。これは特に人によって受け止め方が分かれるものなので、少数派意見かもしれない。

だが、本作で重要な役である藩主の永井和泉守(三船史郎)、そしてその家臣の榊原権之丞(吉岡秀隆)の演技、というか台詞の言い回しが、どうにも雰囲気を乱しているように思えてならない。

勿論、正解は分からない。この時代の藩主がどう話すかなんて、ライブ音源がありはしないから。だが、藩主(および家臣の権之丞)のお人柄の良さは伝わってくるが、あそこまで説明口調の台詞回しで良かったのかはやや懐疑的なのである。

本作は最後、三沢伊兵衛が藩の剣術指南番として迎え入れられるかどうかでクライマックスを迎える。

ここでネタバレはしないが、映画よりも原作の方にサプライズを感じたのは、先に読んでいたからという理由だけではない気がする。映画の方が、匂わせ感が強い。

原作も映画も、ラストは夫婦の絆と晴れ晴れとした気持ちが残る。ただ、スパッと切れ味良く終わる原作に比べ、映画ではこの爽快感のために、追加のシーンをいくつか付け足している。

推測するに、晴れ晴れとした気持ちで終われという黒澤の覚書が重圧となり、ラストに藩主を登場させずにはいられなくなったのではないか。ここはあっても変ではないが、私には蛇足に思えた。

本作は、小泉堯史監督作品ではなく、黒澤明もどきの監督作品としか感じられず、残念ながら私としてはあまり心に残るものではなかった。

ただ、天下の日本アカデミー賞では多くの部門で最優秀賞を獲得した黒澤ブランドの作品である。きっと、私は何かを見落としてしまったのだろう。