『ちょっと思い出しただけ』
池松壮亮と伊藤沙莉の恋愛の日々を、一年ごとに遡って描く、ジム・ジャームッシュに捧げるラブストーリー。
公開:2022 年 時間:115分
製作国:日本
スタッフ 監督・脚本: 松居大悟 キャスト 照生: 池松壮亮 葉: 伊藤沙莉 さつき: 大関れいか 康太: 屋敷裕政 (ニューヨーク) 泉美: 河合優実 フミオ: 成田凌 牧田: 市川実和子 ジュン: 永瀬正敏 ジュンの妻: 神野三鈴 中井戸: 國村隼 ダンサー仲間: 広瀬斗史輝 ミュージシャン: 尾崎世界観
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
2021年7月26日、この日34回目の誕生日を迎えた佐伯照生(池松壮亮)は、朝起きていつものようにサボテンに水をあげ、ラジオから流れる音楽に合わせて体を動かす。
ステージ照明の仕事をしている彼は、誕生日の今日もダンサーに照明を当てている。一方、タクシー運転手の葉(伊藤沙莉)は、ミュージシャンの男を乗せてコロナ禍の東京の夜の街を走っていた。
時は一年、また一年と遡り、照生と葉の恋の始まりや、出会いの瞬間が丁寧に描かれていく。不器用な二人の二度と戻らない愛しい日々を、ちょっと思い出しただけ。
レビュー(まずはネタバレなし)
時代を遡るラブストーリー
『くれなずめ』の松居大悟監督が、ジム・ジャームッシュの映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』と、同作に着想を得て<クリープハイプ>の尾崎世界観が作った曲「ナイト・オン・ザ・プラネット」に触発されて撮ったラブストーリー。
池松壮亮が演じるダンサーの夢を諦めた照明スタッフの照生と、伊藤沙莉が演じるタクシードライバーの葉の恋物語を、ふたりが別れてしまった後から、時を巻き戻すように追いかけていく。
派手さはないが、こういう地に足のついた恋愛映画は結構好きだ。
◇
予備知識なしで観ていると、主演の二人の出会いと思っていたシーンは、実は別れた後なのだと分かる。やけにしつこく登場する照生の部屋の壁かけ時計も、それがずっと、一年前の同じ日(それは照生の誕生日)を遡り続けているのだと気づく。それは、冒頭の一日が、コロナ禍のオリンピックを目前にした東京を舞台にしているから。
コロナとは無縁の日々、東京オリンピックの市松模様のエンブレムのないタクシー車体、時間が遡っていくたびに、二人の関係も振り出しに戻っていく。愛し合った日、喧嘩した日、冗談を言い合った日、出会った日。
既視感が随所にあるのはちょっと残念
本作は公開のタイミングで損をしているように思う。既視感を覚えずにはいられないのだ。愛し合いながらも、ボタンの掛け違いで修復困難な仲になっていく二人は、坂元裕二の『花束みたいな恋をした』の菅田将暉と有村架純を連想させる(あそこまでサブカル満載の名台詞だらけ会話ではないが)。
また、何度も時を遡って二人の関係を出会いまで辿っていく映画構造は、燃え殻の『ボクたちはみんな大人になれなかった』を思い起こさずにはいられない。それもよりによって、同作の主演は伊藤沙莉なのだ。そこまで似ていると、数年どころかバブル期にまで遡った渋谷を描き、NETFLIXで予算も潤沢だった同作との比較では、分が悪い。
既視感という意味では、クルマの脇でずっと客を待っている女性運転手のカットなども、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』をちょっと思い出したりして。
本作の登場が一年以上早ければ、もっと新鮮な気持ちで映画が楽しめたのに。
だが、この時機だからこそ、東京オリンピックをうまい具合に映画の中に取り込めたという恩恵もあったか。『茜色に焼かれる』(石井裕也監督)のように真っ向からコロナ社会を描く映画もあるが、私はオリンピックやコロナをさりげなく本編に採り入れる本作の慎ましさが好きだ。
主演の二人について
本作の伊藤沙莉はとてもチャーミングだ。いつものように自然体な言動と魅惑のハスキーボイスが観る者を惹きつける。タクシードライバーの制服姿も可愛いし、コントのようなおかしさがある。
今回は毒舌控えめだが、恋愛絶頂期での池松壮亮とのベタベタな甘い会話なども、並の女優だとそのまま恋愛映画モードに深入りしてしまい、濃厚になりすぎるところを、伊藤沙莉ならではのコミックリリーフで抑えている。
◇
松居大悟監督は当初、彼女をダンサー役にして、池松壮亮をタクシードライバーに考えていたようだが、それではユニークさがない。この設定で本当によかった。池松壮亮は将来を嘱望されたダンサーに見えるし(素人目ですが)、女性ドライバーだからこそ、乗客との会話にも面白味が出てくる。
我慢しろ、我慢しろ
松居大悟監督といえば、本作にも照生の友人役で登場する成田凌が主演の前作『くれなずめ』で終盤に唐突に現れる<心臓の投げ合い>シーンの衝撃がいまだに忘れられない。トラウマになりそうだった。
あそこまで自ら映画を壊しにかかる監督は、ある意味すごい。あれと不死鳥がなければ、よい作品だったのにと当時レビューに書いたと思うが、監督自身もエゴサーチでそういう声が少なくなかったことを認識されていたそうだ。
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前作の例があったので、本作もよもや途中から脱線してしまわないかと半分ヒヤヒヤしながら観ていたのだが、幸いにして、今回はエンディングまで道を外さない(予定調和ということではない)。
私はそこがとても嬉しかったのだが、本作でミュージシャン役でも出演している尾崎世界観も「今までの松居作品と違って、今回は監督が最後まで(爆発しないように)我慢できているところが良かった」といったことを語っているのが、とても腑に落ちた。
ただ、「よい映画は、たとえ爆発しても、悪い映画にはならない」というのが松居大悟監督の持論のようなので、今後も<心臓の投げ合い>が起こらない保証はない。
ちなみに、監督は本作のラストはタクシーが夜空を飛ぶシーンを考えていたという。周囲の猛反対で思いとどまったそうだが、本作の流れからは、けして<爆発>というほど素っ頓狂なものとは思えず、むしろ監督の演出で観てみたかった気さえする。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
毎年の誕生日を振り返る
ごく簡単に時系列に沿って照生と葉の関係を毎年の誕生日ごとに追いかけてみる。
友人の出演する小劇場の芝居を観に行った葉は、初日の打ち上げに参加しそこで出演者でダンスの振付も担当していた照生に出会う。そうとは知らず、思い切り舞台のダメ出しをした葉は、お詫びにビールおごってと照生に言われ、親しくなる。人気のない高円寺の商店街で、路上ミュージシャンの脇で踊り出す二人。騒ぎすぎで営業妨害と言われないか気になったが。
◇
翌年はまだ交際前か。誕生日プレゼントを持ってダンス練習場に行く葉だが、先にダンス仲間の泉美(河合優実)が照生にプレゼントを渡す。一旦は引きさがる葉だが、バイト先のシーパラダイスに押しかけ、深い仲に。営業時間外に侵入しての水族館デートは、なかなか絵になる。二人のキスをシロクマが眺めているシーンがいい。
その翌年、足の怪我が原因でダンサーの夢を諦めなければならなくなる照生。まだ心の整理がつかない彼と、何も相談してくれず放っておかれていることに怒る葉。タクシー車内での運転しながらのやりとりをワンカットで見せる。ここの喧嘩別れが切ない。「追いかけてこないのかよ」と、照生を降ろして発車する葉だが、足を痛めているから、それは厳しいっす。
◇
翌年の誕生日には、照明の仕事を始めた照生が、先輩の牧田(市川実和子)にオタンコナスと罵倒されながら、<クリープハイプ>のMVの撮影スタッフをしている。照生はダンサーを続けている泉美と偶然再会し、國村隼がマスターをやる馴染みの店に。一方その頃、葉は居酒屋のコンパで別の席にいた男(屋敷裕政)と親しくなりLINEの交換をしていた。
◇
翌年、いや翌々年か、いよいよコロナ禍。葉が乗せたミュージシャンがトイレに立ち寄ったホールのステージで、彼女はダンスをひとりで練習する照生を偶然みかける。
ざっと、こんな展開が、時系列を遡って展開されるが、最後にはまたコロナ社会の現代に戻ってくる(もしかすると、何年分かスキップして書いているかもしれない)。
ナイト・オン・ザ・プラネット
何年も同じ日を立て続けに見せられると、いい歳した男の誕生日など、そんなに騒がれるものなのかという違和感(俺が不遇なのか)や、誕生日ケーキのシーンばかり何度も見せられても食傷気味なことは否めない。
時は流れ、二人の心も変わっていくなかで、照生の誕生日にあたるその日は月命日にあたるらしく、毎年公園のベンチでひとり、奥さんが戻ってくるのを待っている男が永瀬正敏。変わるものと変わらないものの対比。彼が風変りな男を演じていると、『星の子』(大森立嗣監督)の父親のようだ。
それにしても松居大悟監督。ジャームッシュにこだわるあまり、縁の深い永瀬正敏まで起用してくるとは恐れ入った。
照生と葉がよく部屋で観ているウィノナ・ライダーとジーナ・ローランズの出ているタクシー運転手の映画。本編の台詞ではタイトル名を言わなかったのではないか。部屋のポスターはジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』の原題である『Night on Earth』。
そして、エンディングに流れる<クリープハイプ>の曲が「ナイト・オン・ザ・プラネット」だ。もともとこの曲に触発されて撮った映画だから、両者の雰囲気はドンピシャに合っている。とってつけたように、映画から浮き上がった曲だけがエンドロールで登場する凡作とは違う。
◇
本作のエンディングは少しほろ苦い。でも、最後には常に結ばれるのが恋愛映画の鉄則という時代ではないことを、『花束みたいな恋をした』あたりから、我々は薄々感づいている。
冒頭にでてくる再会のシーンは、厳密にはすれ違いであり、ここで最後に復縁してしまっては、ちょっと嘘くさい。「ちょっと思い出しただけ」などと強がってみるのが、丁度いいのだ。ちなみにこのタイトルは、尾崎世界観の『ナイト・オン・ザ・プラネット』の歌詞から拝借したもの。
ところで、終盤に葉の走らせるタクシーのシーンでは、信号が全部青に変わるところが喜びの表現なのだそうだ。これ、うっかりしてて気づかなかったよ。やっぱり、タクシーは空飛んでも良かったのでは。
ほろ苦いけど、ちょっと前向きな気持ちになれる映画だった。無性にジャームッシュが観たくなった。