『ナイトオンザプラネット』今更レビュー|夜は寒く寂しいけれど優しい

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『ナイト・オン・ザ・プラネット』
 Night on Earth

ジム・ジャームッシュの放つ最大ヒット作。世界の五つの都市で夜の町にタクシーを走らせる運転手のオムニバス・ストーリー。

公開:1992年  時間:129分  
製作国:アメリカ
  

スタッフ 
監督・脚本:   ジム・ジャームッシュ
音楽:      トム・ウェイツ
キャスト
<ロサンゼルス>
コーキー:    ウィノナ・ライダー
ヴィクトリア:  ジーナ・ローランズ
<ニューヨーク>
ヘルムート:  
    アーミン・ミューラー=スタール
ヨーヨー: ジャンカルロ・エスポジート
アンジェラ:  ロージー・ペレス
<パリ>
運転手:    イザック・ド・バンコレ
盲目の女性:  ベアトリス・ダル
<ローマ>
ジーノ:    ロベルト・ベニーニ
神父:     パオロ・ボナチェリ
<ヘルシンキ>
ミカ:     マッティ・ペロンパー
乗客1:    カリ・ヴァーナネン
乗客2:    サカリ・クオスマネン
アキ:     トミ・サルミラ

勝手に評点:3.5
      (一見の価値はあり)

(C)1991 Locus Solus Inc.

あらすじ

大物エージェントを乗せる若い運転手、英語の通じない運転手、盲目の女性客と口論する運転手、神父相手に話し出したら止まらない運転手、酔っ払い客に翻弄される運転手。地球という同じ星の、同じ夜空の下で繰り広げられる、それぞれ異なるストーリー。

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今更レビュー(ネタバレあり)

世界中がゆる~く繋がっている

ジム・ジャームッシュ監督は私にとってはミニシアターや日比谷スバル座あたりに君臨する巨匠であった。初期の作品は斬新さに惹かれたものの、90年代に入りメジャーな監督となってからは、すっかりご無沙汰してしまった。

ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキ五つの都市で同時に走るタクシーの物語をオムニバスで描く本作品も、今日に至るまで観ることがなかった。

だが、現在公開中の池松壮亮伊藤沙莉の映画『ちょっと思い出しただけ』(松居⼤悟監督)があまりに濃厚なオマージュを本作に捧げていたことで、俄然興味が湧いてしまった。すると期間限定で本作の再上映もされていたのだ。「チョイおも」効果なのだろうか。

映画は冒頭からトム・ウェイツの音楽が鳴り響き、その瞬間からジャームッシュの世界に入っていく。壁にかかった五つの時計の針は、それぞれの都市の現在時刻を刻んでいる。

『ストレンジャー・ザン・パラダイス』『ダウン・バイ・ロー』に鍛えられた身には、これといった起承転結がなくても、思い切り間の悪い沈黙があっても驚かないが、予想に反してどのエピソードもそれなりにドラマがきちんとある。

終わり方が分かりやすくない話もあるが、行間を自分で埋められるだけの材料は与えられているように思え、話の途中で丸投げされた感じではない。

気候も文化も言語も違うそれぞれの町で、客を乗せて走るタクシー。各エピソードにこれといった繋がりは何もない。なのに、時差はあっても同じ瞬間にタクシーを走らせている、そう思うだけで何か不思議な連帯感を感じさせる。

ロサンゼルス:朝7時過ぎ

若い女性タクシー運転手コーキー(ウィノナ・ライダー)は、空港で出会った中年女性ヴィクトリア(ジーナ・ローランズ)を乗せる。行先はビバリーヒルズ。

映画のキャスティング・ディレクターであるヴィクトリアは、新作に出演する女優を探し出すのに手を焼いていた。口は汚いがチャーミングなコーキーとの長い道中で、ヴィクトリアは彼女に女優の可能性を見出す。


本エピソードは二大女優を起用した本作の看板商品であり、ポスタービジュアルに使われている。何といっても、仕事中常に煙草をふかし、同時にガムを噛み、行儀の悪い小娘のドライバー・コーキーがカッコいい。まだスキャンダルとは無縁の、『シザーハンズ』時代のウィノナ・ライダー

(C)1991 Locus Solus Inc.

乗客はプライベートジェットから降りてきた、いかにもハリウッド業界人っぽいヴィクトリア。ジーナ・ローランズとくれば思い浮かぶのは、拳銃を向けた『グロリア』だが、その迫力は健在。コーキーの乱暴な仕事ぶりにいつキレるかと思っていると、次第に仲良くなっていく。

コーキーはタクシー運転手をイカす仕事といい、でも夢はクルマの整備工になることだという。不良っぽさを忘れ、照れくさそうに結婚観や子供の話までする彼女が可愛い。今は夢に向かって順調に進んでいるところで、せっかくの女優の話にも飛びつかない毅然とした態度に惚れる。

ちなみに、『ちょっと思い出しただけ』は基本このエピソードから膨らました話であり、多くの会話や映像も引用されている。運転手がドアを閉める時に乗客が足を挟みそうになるシーンまで、再現されているのには笑った。

(C)1991 Locus Solus Inc.

ニューヨーク:夜10時過ぎ

寒い街角で、黒人の男ヨーヨー(ジャンカルロ・エスポジート)はブルックリンへ帰るためタクシーを拾おうとするが、なかなか捕まらない。

ようやく捕まえたタクシーを運転していたのは、東ドイツからやってきたばかりのヘルムート(アーミン・ミューラー=スタール)。しかし彼は英語がうまく話せず、その上AT車の運転もろくにできない。仕方なくヨーヨーは、自分でタクシーを運転する羽目に。

舞台は冬のニューヨークだが、本作の中で一番心温まるエピソードで、ジャームッシュらしくないともいえるが、個人的には気に入っている。

人種差別なのか、無一文に見えたのか、乗車拒否されまくるヨーヨーの前に、ようやく停まってくれたタクシー。運転手は東ドイツで道化師をやっていたヘルムート。ノッキングし続ける運転が凄い。MT車なら運転できるとも思えないが。

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「ヘルメットかよ」「そっちこそ玩具ですか」とそれぞれの名前をネタに笑い合い、ヘルムートの運転下手にあきれ降りるつもりが、ハンドル握ってブルックリンまで走らせる羽目になるヨーヨー。

同じ帽子ですねとヘルムートに言われ、「ざけんな、俺のはハイプ(フレッシュの意?)なんだよ」と返すヨーヨー。この会話に痺れ、尾崎世界観<クリープハイプ>というバンド名を思いついたとか。

最後はカネを払って、「ちゃんと金額確かめろよ」とNYの流儀を伝授するヨーヨー。本当に一枚足らない。二人の会話に愛を感じるし、夜遊び中の義妹のアンジェラ(ロージー・ペレス)をヨーヨーが無理やりクルマに乗せ家に連れ帰るのも楽しい。ロージー・ペレス、最近では『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』の女刑事役で活躍。

(C)1991 Locus Solus Inc.

パリ:夜明け前4時過ぎ

大使に会いに行くという黒人の乗客二人の態度に腹を立てたコートジボワール移民のタクシー運転手(イザック・ド・バンコレ)は、我慢ならず途中下車させる。そこに若い盲目の女(ベアトリス・ダル)が乗車する。

当初、運転手は気が強く態度の大きい女にいらだっていた。だが、自分以上に鋭い感覚を持つ女には物事の本質が的確に見えているように思え、感銘を覚える。

このエピソードで初めて、嫌な客が登場する。見下したように運転手をからかうのだが、朝4時に寂れた町に置き去りにされ、ざまあみろという感じ。これに懲りた運転手は、次に手のかからなそうな盲目の女性客を拾うが、当てが外れる。

(C)1991 Locus Solus Inc.

彼女は行先までの経路を細かく指示し、「プロに任せろ」というと、「指示に従いますと書いてある」と言い返す。後部座席のメッセージボードには、アルファベットがはめ込んであり、触って読めるのだ。

「盲人はみんな黒眼鏡してるけど、あんたはしないのか」と聞くと、「見たことないから知らないわ」。乗客を演じるベアトリス・ダル、よく見ればベネックス監督の代表作『ベティ・ブルー』のベティじゃないか。

ただこの女性、生意気なだけではない。運転手が自分の肌の色が分かるかと聞くと、「肌の色なんか無意味よ」といい、更には言葉だけで、彼がコートジボワール出身だと見破る。

更に、割引してあげたタクシー料金まで、「そんなはずない」と正確にメーター料金を言い当てる。男はすっかり感心してしまう。

前の客には見下され腹を立てていた運転手だが、盲人女性の前では、無意識に自分が優位に立っている気になっている。

「気を付けて」という彼の別れの言葉にそんな尊大な気持ちはなかっただろうが、「あんたの方こそ」と彼女に言われた直後、運転手は衝突事故でタクシーをお釈迦にする。このナンセンスな笑いがジャームッシュっぽい。

KinoweltTV Trailer - "Night on Earth" am 6. April

ローマ:夜明け前4時過ぎ

一人で無線相手にうるさく話しかけるタクシー運転手ジーノ(ロベルト・ベニーニ)神父(パオロ・ボナチェリ)を乗せたのをこれ幸いと、勝手に懺悔し始めるジーノだが、その内容はくだらないハレンチな艶笑話ばかり。

神父は心臓が悪く薬を飲もうとするが、ジーノの乱暴な運転のせいで薬を落としてしまう。仕方なく神父は、我慢してジーノの懺悔を聞き続ける。

ローマとパリとは時差がないが、運転の荒っぽさはイタリアが一枚上手か。乗客がいなくても、見聞きするもの何でも話のネタにして一人マシンガントークのジーノ。さすがお国柄か、よく喋る一方通行の逆行が大好きで、警察相手にも動じない。本作の中で、私が乗客なら一番遠慮したい運転手がこの男だ。

ロベルト・ベニーニといえば、あの感動作『ライフ・イズ・ビューティフル』の監督・脚本・主演ではないか。今回は打って変わっての軽薄男。神父を乗せたことで、「せっかくだから懺悔させてください」とバカ話を始める。

思春期にカボチャ相手に自慰行為に耽ったのち、やはり生き物がよいと次には家畜の羊と深い仲に。それに気づいた父親は、羊を肉屋に売ってしまう。話の行先が見えない。

途切れることのない懺悔の間、神父は荒い運転のせいで心臓病の薬を落とし、飲むことができず、ついには死んでしまう。「大変だ、殺してしまった」と動揺するジーノは、結局クルマから死体を引っ張り出して放置する。

(C)1991 Locus Solus Inc.

ヘルシンキ:夜明け前5時過ぎ

凍りついた街で無線連絡を受けたタクシー運転手ミカ(マッティ・ペロンパー)。待っていたのは酔っ払って動かない三人の労働者風の男。

その中の一人アキ(トミ・サルミラ)は酔い潰れていて車に乗ってからも眠っているが、残る二人はミカに、今日がアキにとってどれほど不幸な一日かを高らかに語り始める。しかし、ミカは今、アキとは比べ物にならないほどに不幸であるがために、彼らの話に動じることはなかった。

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最後はヘルシンキの凍てつく街。無線で呼ばれた場所で並んで立って寝ている三人の男。中央の男が泥酔状態で、それを送って酒場から帰る設定。

何だかナンセンスな演出がアキ・カウリスマキの映画のようだ。そうえいば、フィンランドで役名もアキとくれば、関係があるのか。いや、あるだろう絶対。ジム・ジャームッシュアキ・カウリスマキ監督の『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』に出演しているくらいだから。

泥酔しているアキは、遅刻で会社を解雇され、返済を終えたばかりの新車は当て逃げされ、娘は妊娠し、妻には離婚を言い渡され、今日は散々な一日だった。そういう同僚たちに、ミカは自分の不幸話を始める。

結局ミカが不幸比べでは勝利するのだが、何も知らず泥酔したまま家に送り届けられ、支払いだけするアキは、ただ一人夜が明けたばかりの凍った路上に座り込む。不思議な余韻を残すエンディングである。

武満徹が本作に曲を書いていたのだが、ギター一本が基本のジャームッシュ作品にオーケストラ曲は合わないのでボツになったとキネ旬で読んだ。それは<系図 Family Tree>という曲に転化しているそうだ。曲の出来栄えはさすがだが、たしかに本作には合わない