『ゆれる』
西川美和監督の代表作。渓谷にかかる吊り橋のように、オダギリジョーと香川照之の兄弟の間を揺れ動く心理と確執。真木よう子が初々しい。
公開:2006 年 時間:119分
製作国:日本
スタッフ 監督: 西川美和 キャスト 早川猛(弟): オダギリジョー 早川稔(兄): 香川照之 早川勇(父): 伊武雅刀 川端智恵子: 真木よう子 岡島洋平: 新井浩文 早川修(伯父):蟹江敬三 丸尾検察官: 木村祐一 船木警部補: ピエール瀧 裁判官: 田口トモロヲ アシスタント: キタキマユ
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
東京で写真家として気ままに暮らす猛(オダギリジョー)が、母親の一周忌で久しぶりに帰郷。
猛は家業を継いだ兄の稔(香川照之)と幼なじみの智恵子(真木よう子)とともに近くの渓谷へ行くが、智恵子が吊り橋から転落してしまう。
智恵子の近くにいた稔が逮捕され裁判となるが、そこで猛は今まで見たことのない兄の姿を目の当たりにする。
レビュー(まずはネタバレなし)
都会者が田舎に入っていく導入部
私にとって西川美和監督といえば、やはり本作になる。公開時以来、実に15年ぶりに観たが、今回もグイグイと引き寄せられた。
売れっ子の写真家で事務所を構え、気乗りしない法事で久々に帰省する猛(オダギリジョー)。『探偵物語』のような浮世離れした風貌と恐ろしく古そうなフォードのステーションワゴン。
都会者が田舎に入っていく映画の導入部分は『ディア・ドクター』にも継承されている。その田舎のガソリンスタンドには、早川燃料店の看板。そう、ここは彼の実家だ。
◇
継いだのは兄の稔(香川照之)。そして、なぜかスタンドで窓拭きしているのは、彼とちょっとした過去がありそうな、幼なじみの智恵子(真木よう子)。なにか、ドロドロした愛憎のもつれの予感。
堅実さと事なかれ主義で、何とかGSの経営と一家のいざこざを調整してきたような兄は、智恵子に気がある風だが手も出せない。
そこに対照的なキャラの弟がやってきて、あっという間に兄に内緒で智恵子と寝てしまう。その晩に家で洗濯物を畳みながら弟と接する兄が、弟の情事に気づいたのかどうか微妙なタッチなのがうまい。
◇
そして三人で蓮美渓谷にドライブにでかけ、惨事が起きる。というか、その前の車中の後部座席やら川原やらで、一人はしゃぎまくる兄貴が痛すぎる。これは何かありそうと思った矢先の、吊り橋からの智恵子落下である。
キャスティングについて
その智恵子を演じた真木よう子を、当時は確か『サマータイムマシン・ブルース』くらいしか記憶になかったが、田舎娘風に見せても、魅力が滲む存在感。まさか序盤で呆気なく退場となるとは、少々勿体ないと、今回も思う。
数年後に彼女は、大森立嗣監督『さよなら渓谷』に主演するのだが、渓谷と吊り橋に縁のある女優だと、昔の備忘録には書いてある。
◇
オダギリジョーは、最近は『深夜食堂』の巡査的ないい人役が定着しつつある気がするが、こういう危険なモテ男系の役が、やはり似合う。『花束みたいな恋をした』でも、ちょっと危ない役がハマっていたし。
ヘアスタイルもファッションも独自路線で、並みの男が真似しても悲惨なことになりそうだが、オダジョーがやるとカッコいい。
だが、本作の演技力においては、やはり香川照之の本性がわからない演技のすごさに尽きる。この時代はまだ『半沢直樹』や『クリーピー』などで見慣れた過剰演技がなく、善人か悪人か本当に分からない迫真さがある。
あえて言えば、前半の法事での調子のよさや川原のはしゃぎ方などは、少し鼻についたけれど、それは映画の流れに必要な演出なのだろう。
◇
抑え目な演技といえば、伊武雅刀の父親のキャラクターも、たまには激昂するものの常人の範囲内で、作品の中の立ち位置としてはいい塩梅。
伯父の蟹江敬三も、深刻なテーマである本作に、弁護士でありながらコミックリリーフを務めるという、いかにも彼らしいポジションで良かった。
◇
その他、世間を騒がせた二人、刑事のピエール瀧とGSのバイトの新井浩文が本作に出演。特に新井の演じた岡島は、出所する稔を職場の上司として慕っていて、猛に迎えに行くよう詰め寄る、結構重要な役だ。
本作では好人物キャラだが、ファミレスで猛を一喝した時の一瞬の三白眼が、めちゃくちゃ怖い。新井浩文、『クヒオ大佐』でもファミレスで主人公を睨んでたなあ。
そうそう、最後に検事役の木村祐一。こんな検事いるのかわからないキャラだけれども、意外とネチネチ責める感じが似合っていて、蟹江敬三や裁判官の田口トモロヲより、本物らしくみえた。実際はよう知らんけど。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからはネタバレしている部分があるので、未見のかたはご留意願います。
私のせいで死んだのです
吊り橋から落ちる瞬間は、当初には登場しない。事故なのか、事件なのか。刑事による現場検証、遺体解剖、そして思わぬところで兄の自供。
警察署内で、刑事(ピエール瀧)が部下に逮捕状の請求書類を指示する。どういうことかと思っていると、カメラは奥の取調室に力なく座る兄を写し出す。このカメラワークは面白い。
◇
ここから、物語は法廷劇へと転換していくように見える。だが、根底にあるのは家族ドラマ、それも兄弟の確執であることに変わりない。ぶっちゃけ、法廷劇というには、アラが目立つ。
弁護士の指示を無視して被告が供述をはじめたり、唯一の目撃者である弟が証言を大きく覆したり、更には、大きな証拠となるはずの兄の腕に被害者が残したひっかき傷さえ、裁判の争点にならない。
◇
だが、そのリアリティのなさを気にするべきではないのだろう。弁護士(蟹江敬三)は稔と猛の伯父であり、家業のGS経営を二人の父・勇(伊武雅刀)に押し付けた兄弟の確執が残っている。そして目前で盛り上がっている、それよりも更に深刻な子供たちの兄弟喧嘩が、最大のテーマなのだから。
アニは何でも知っている
稔は、弟と智恵子の関係を最初から察知していたのだ。
「彼女、酒飲みだすと、結構しつこいだろ?」
「うん。飲めるんだねえ」
智恵子が酒を飲めないことを事件後に父親から聞き、兄の問いかけにまんまと嵌められたことに気づく。
◇
そして、裁判では検察官(木村祐一)が、「被害者は前日に被告以外の男性と性交渉を持っていた。あなたは嫉妬したのでは?」と責めたてる。
その恋人にも謝罪したいと兄が頭を下げる傍聴席。そこに弟がいることは、知ってのうえでの行動だろうが、どちらとも解釈できるような演出が緊張感を高める。
◇
そして、兄は弟にブラフをかける。
「お前は俺を無実と思っていない。人殺しの弟になりたくないだけだろ? 最後まで人を信じたりしないのが、俺の知っているお前だよ」
ここで、弟はキレる。そして、たとえ兄弟が惨めな人生になっても、元の兄を取り戻すために、真実を語ると証言しだす。「兄が突き落とすのを見ました」と。
腐りかけた板を踏み外したのは誰か
兄は劣等感の塊だ。弟は自分の才能で面白い仕事につき、東京で高給をとり、女にモテる。自分は田舎のGSで単調仕事に精を出し、女もいないし、家では父親の小言ばかり。
そんな兄が結婚相手にと思っていた女さえも、容易く弟に奪われる。こんな弟に救われて無罪放免でGSに縛られる人生より、刑務所暮らしの方がマシだ。そういう極論に理性が働かないのも、身内の確執にありがちな話だ。
◇
弟にしても性質が悪い。いまは兄の心配をして駆けずり回っているようだが、事件のきっかけは自分にある。それも女の取り合いというほど真剣味もない、ただ気まぐれで抱いた女のせいで、兄の人生が破綻する。
だから少しは救いの手を伸ばしたものの、智恵子の性交渉相手として名乗りをあげ、兄の情状酌量余地を広げるわけでもなく、ブラフに乗って証言してしまう。
さて、散々法廷の中と外でバトルしていた兄弟だが、結局弟の証言が決め手になり兄は服役し、7年後に出所時期がくる。
新井浩文の三白眼にも負けずに、今更俺は迎えに行けないよと突き放した猛だったが、亡き母の残した8ミリ映写機で、子供の頃の家族イベントの映像を観ることになる。
幼い頃に、自分を守ってくれた頼れる兄、意外にも自分にも愛情を注いでくれていた父。渓谷と吊り橋ではしゃぐ家族の映像や、事件の最中に自分が撮っていた白い花を見て、猛は自分の過ちに気づき号泣する。
◇
「危うくも確かにかかっていた板をふみはずしたのは僕だった」
私がひねているせいか、前半に8ミリフィルムが登場した時点で、この甘っちょろい展開は想像でき、やや鼻白んだ。
映写機のまわる音でノスタルジーと感情をかき立てるのは、常套手段だ。こんなことで、兄を監獄にぶち込んだ反省をされてはたまらない。若き伊武雅刀の父子ヒゲダンスはちょっと泣けたけど。
ノベライズ版を読んで
ここから一機にラストの出所シーンに向かうのだが、その前に西川美和自身によるノベライズ版について少し触れたい。
映画の理解を深めようと読んでみたが、各単元が登場人物それぞれの視点で書かれていて、小説単体として非常に読みごたえがあった。台詞回し等は概ね映画と重なるが、智恵子(真木よう子)や岡島君(新井浩文)の人物設定が、より深いのだ。
◇
時間的な制約から映画で割愛する点は当然あるが、終盤ファミレスで岡島が猛を説得できず帰る車中、不穏な空気を感じ取った幼い娘が駄々をこねるエピソードは味わい深く、映画でも観たかった。
ただ、それを加えると、新井浩文の存在感が増して、兄弟を食いかねないと監督は危惧したのかも。
◇
出所した稔を路上でみつけ、猛が必死で追いかけるシーン。「兄ちゃん、うちに帰ろうよ!」と泣き叫ぶ猛にようやく気付く稔。目の焦点が合って、ゆっくり微笑み、そしてバスが遮る。香川照之の顔芸の独壇場だ。
だが、そんな甘い言葉で復縁できる亀裂ではない。彼はバスに乗るだろうと私は思ったが、判断は観客に委ねられている。