『マルタイの女』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『マルタイの女』今更レビュー|あんたは私のマルタイだ、命をかけて守る

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『マルタイの女』 

『〇〇〇の女』シリーズのラストを飾る、伊丹十三監督の遺作となった作品。カルト教団がねらうマルタイを警察が守る。

公開:1997 年  時間:131分  
製作国:日本
 

スタッフ 
監督・脚本:    伊丹十三

キャスト
磯野ビワコ:    宮本信子
小清水マネージャー:近藤芳正
お手伝いさん:   あき竹城
真行寺編成局長:  津川雅彦
<警察・当局>
立花刑事:     西村まさ彦
近松刑事:     村田雄浩
波多野管理官:   名古屋章
稲村刑事:     六平直政
検事:       益岡徹
トロ刑事:     伊集院光
<教団側>
二本松弁護士:   江守徹
大木珠男:     高橋和也
ナカムラ:     山本太郎
エイジ:      木下ほうか
教団幹部:     隆大介
キタムラ班長:   高橋長英

勝手に評点:3.0
(一見の価値はあり)

ポイント

  • 西村まさ彦の和製ケヴィン・コスナー、宮本信子のクレオパトラ。ハチャメチャな展開にみえて、結構きちんとカルト教団の社会問題にメスを入れている。
  • 「びっくりした、面白い、誰でもわかる」伊丹十三のこだわり三要素は本作にも詰まっている。監督の遺作と知れば、観ずにはいられない。合掌。

あらすじ

カルト教団による殺人事件を目撃した女優の磯野ビワコ(宮本信子)は、裁判の証言者として<マルタイ>(身辺保護の対象者)となる。

堅物の立花刑事(西村まさ彦)とビワコのファンの近松刑事(村田雄浩)が彼女をガードするが、教団側は様々な手で攻撃してくる。

今更レビュー(ネタバレあり)

西村まさ彦がケヴィン・コスナーなの?

伊丹十三監督の『〇〇〇の女』シリーズのラストを飾る、というよりも、本作公開後に監督は帰らぬひととなってしまったため、遺作となった作品である。

国税局査察官の通称<マルサ>から始まった本シリーズの最後になった<マルタイ>とは、捜査対象者や警護対象者を指す警察用語。被害者を<マルガイ>というのと同類だ。

冒頭は女王のように周囲に指示や文句をとばすベテラン女優の磯野ビワコ(宮本信子)による、出産シーンの稽古。

「出産は女の花道だ。だから痛いとは言わないよ!」

宮本信子が演じる主人公は、今回も威勢よく啖呵を切る。

ビワコが夜に野外で早口言葉の練習をしていると、弁護士の家に宅配便を装った男が現れ、妻を殺し、追ってきた夫も路上で返り討ちにする。

その殺人現場を目撃してしまったことで、ビワコはマスコミに囲まれ、調子に乗って雄弁に語り出す。犯人の大木(高橋和也)はカルト教団「真理の羊」の信者で、敵対する弁護士をねらったのだ。

結果、教団は口封じのためにビワコをねらうようになり、警察は彼女を<マルタイ>に二人の刑事を張り付ける。

ケヴィン・コスナー岡田准一かというこのポジションにつくのは、立花刑事(西村まさ彦)近松刑事(村田雄浩)という異色コンビ。この人選が伊丹映画らしい。

©1997 伊丹プロダクション

カルト教団を斬る

先日観たばかりの『ビリーバーズ』(2022、城定秀夫監督)もオウム真理教を題材にした作品だったが、25年前の本作製作当時はまだ事件の記憶も生々しかったのだろう。

弁護士一家殺害という事件や「オウムの麻原は空飛ぶらしいけど、あんたのグルはどうなんだ?」という台詞など、分かりやすいネタも多い。

伊丹十三監督は、ヒット作『お葬式』(1984)も妻である宮本信子の亡父の葬儀からの着想だし、それで法外な税金を持ってかれたことで、転んでもタダでは起きず『マルサの女』(1987)を撮る。

そして本作は、『ミンボーの女』(1992)で暴力団に襲撃された伊丹十三監督自身が<マルタイ>になった経験から生まれた。不屈の監督魂といえる。

シリアスとコメディの間に

本作は、常に社会問題をエンタメ路線でアレンジしてきた『○○○の女』シリーズの中では、他作品とは違うテイストだと感じた。

ひとつには、シリアスな殺人事件が描かれていることだ。これはシリーズでは前例がないのではないか。冒頭に発生するこの殺人は映画の根幹となる部分だけに、コメディタッチで処理するわけにもいかなかったのだろう。

では、全編がシリアスタッチかというと、全くそうではない。これにはお馴染みの伊丹脚本の面白さもあるが、三谷幸喜の影響もあるように思う。

三谷脚本自体は採用されなかったということだが、三谷作品常連組西村まさ彦近藤芳正らが目立つポジションにいることもあって、伊丹組の常連との相乗効果でさらに喜劇要素が強まっている。

©1997 伊丹プロダクション

殺人事件を含めて全編コメディタッチを貫いてしまう作品は多いが、事件そのものや、泣き落としで犯人(高橋和也)を自白させるくだり、教団顧問の二本松弁護士(江守徹)が不倫ネタで恐喝しビワコを証言台に立たせないよう迫るあたりなど、重要な部分はしっかり社会派ドラマとして成立させているところはうまい。

マルタイと護衛の二人

主人公ビワコを演じる宮本信子は常に伊丹作品の主演であり、まして本作の役柄は女優役ということもあって、何をやってもビワコに見える本物感。

クレオパトラのような衣装にフェイクの生乳(必然性あるか?)で、何の違和感もないのはさすがだ。これまでの『○○○の女』のように仕事に一途の清廉潔白・猪突猛進とはちょっと違い、女優業では女王様気取りで不倫に溺れる女で、証人台に立つかどうかで、終盤に心揺らぐ。

©1997 伊丹プロダクション

本作でおいしい役だったのは、立花刑事役西村まさ彦。すでに『古畑任三郎』今泉クン役で人気を博しており、何をやっても笑いが取れる。

無口な堅物だったが、ビワコの質問攻めで、元不良が刑事になった半生を語り出す。映画など『ウェストサイド物語』以来観たことがない男が、護衛のために民族衣装でステージに出る羽目になる。

アイラインを入れて槍を振り回してビワコを守る立花刑事が、頼もしいやらおかしいやら。

立花の相方の近松刑事(村田雄浩)はビワコのファンで文化・芸術にうるさく、二階を見上げ監視し続けて腰を痛める自分たちを天井画のミケランジェロに例え、フィレンツェに思いを馳せる変わり者。

腕っぷしの強さで選ばれたのだろうが、活躍の機会はあまりない。『ミンボーの女』の弱気なホテルマンが今回は随分頼もしくなった。

©1997 伊丹プロダクション

その他メンバーの活躍

その他刑事で活躍するのは、管理官役名古屋章。これはもう、見るからにたたき上げの刑事。彼のおかげで、犯人の大木(高橋和也)は自供を始める。

そして、その大木が地方のカラオケ店で「大都会」を熱唱しているところを逮捕したのが、田舎警察の太った刑事(伊集院光)。他のシーンとはまったく絡まないが、『スーパーの女』の従業員だった伊集院が、本作ではずっこけながらも大活躍。

ビワコに証人喚問のリハーサルをしてくれる検事役益岡徹『マルサの女2』では宮本信子に仕える東大出の新米キャリア官僚。今回は検事と、順調にキャリアを歩む。

意外なところでは、執拗にビワコをつけ狙う教団の信者二人組山本太郎木下ほうか。どちらも今のキャリアとはギャップが大きい役どころ。山本太郎はすっかり政治家として活躍中であり、木下ほうかは別な意味で世間を賑わせている。

そして今回最大の大物ゲストは、教団顧問の二本松弁護士役江守徹。いかにも悪役を楽しんで演じている風。実質的に、教団の中心人物として動いているのはこの男に見える。

「証人台に立つことで我々に不倫騒動をリークされて女優人生を棒にすることはない。そもそも証人になるなんて、何の得もないじゃないか」

そう言いよって、ビワコの懐柔を試みる。

そのビワコの不倫相手というのが、テレビ局の編成局長役津川雅彦。伊丹作品においては、宮本信子同様に全てに出演している盟友である。

本作での出番はけして多くはないが、不倫が明るみに出ても証言台に立とうと決意するビワコに理解を示すところは器が大きい。

「脅かされた男が引き出しの中に手を伸ばしたら何が出てくるか、キミたちは映画を観ないのか」

一連の伊丹作品の彼の演じた役の中では、いちばん男らしいかも(『あげまん』の銀行マンが最低かな)。

わたし、責任を引き受けるわ

『スーパーの女』デコトラ・カーチェイスで味をしめたか、本作では更にレベルアップしたバイクチェイスが登場する。伊丹作品に必要かの議論は置いておこう。スタントなのはミエミエだが、まあ楽しめる。

はたしてビワコが脅かしに屈するのかどうか。結論は自明だが、「これは私の花道よ。絶対に怖いとは言わないわ」と、冒頭の台詞やらクレオパトラの舞台劇や西村まさ彦の言葉やら、いろいろ混ぜて彼女の言葉にしてしまう。

それが花形女優たるゆえん。そう、本作は証言台に上がるまでの映画なのだ。

ビワコが日の当たる裁判所の階段を上がるラスト。ここを希望のあるシーンにするために、監督はNTT幕張ビルの野外の階段を借りてそこに円柱のセットを置いたらしい。

円柱の人影が目立ってしまったが、柱の上に建物がないことに気づかれたら、我々の負けだ。そう監督は語っている。私は影には気づいたが、セットとまでは思い至らなかった。

「年寄りには二種類ある。いつまでも長生きしたいヤツと、いつ死んでもいいと思ってるヤツ」

拳銃を教団の暴漢にぶっ放す津川雅彦の台詞だ。彼が演じるビワコの愛人は、後者なのだろう。

はたして、伊丹十三監督はどうだったのか。自死を選んだのか、真実は別にあるのか。私には知る由もないが、彼の作品が後世に語り継がれることを願ってやまない。