『(ハル)』
森田芳光監督がパソコン通信を題材に、顔も知らず惹かれ合う(ハル)と(ほし)の淡い恋愛を描く。
公開:1996 年 時間:118分
製作国:日本
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
(ハル)というネームでパソコン通信の映画フォーラムにアクセスを始めた速見昇(内野聖陽)は仕事も恋もうまくいかず鬱屈していた。
そんな彼に(ほし)というネームの藤間美津江(深津絵里)から励ましのメールが届く。その日から、二人はメールを交換し始め、本音を伝え始めるようになる。
そして(ハル)は会うことを提案するが……。
今更レビュー(ネタバレあり)
あの頃、パソコン通信だった
トム・ハンクスとメグ・ライアンが『ユー・ガット・メール』(1998)でメールを介して惹かれ合う数年前に、時代の寵児・森田芳光監督は、本作でパソコン通信を題材にした恋愛ものを撮っている。
どこに出歩いていても、SNSでやり取りができてしまう今の時代からは想像しにくいだろうが、当時はまだ本作のように、家に帰ってPCを立ち上げダイアルアップで接続し、パソコン通信のフォーラムなるものを通して、見知らぬ者同士がコミュニケーションをする時代だった。
いや、それすらも、まだ一部の最先端の流行や技術に飛びつく人々に限られた話か。
のべつ幕無しにネットで繋がるシーンばかりの現代の映画に比べ、このようにチャットするにも時と場所を選ぶ方が、映画的には節度がある気もする。フォーラムでの会話も、現代のように攻撃的な会話が蔓延しておらず、どこか牧歌的だ。
映画の冒頭、速見昇(はやみのぼる)という若者が自分の名前の中を抜いて(ハル)というハンドルネームを登録する。
映画ファンのフォーラムに初参加した彼に、常連のひとりである(ほし)がなぜか関心を持ち、やがて二人はフォーラムと離れてやりとりをするようになる。
(ハル)(内野聖陽)は食品会社(ユウキ食品だった!)の営業マン。社会人アメフト部員だったが、怪我で引退し、落ち込んでいる。
一方、デパート勤めの(ほし)(深津絵里)はつきまとわれるのを警戒し男のフリをしているが、実は女子である(『モテキ』の長澤まさみと同じだ)。
◇
東京に暮らし、カノジョ(山崎直子)とうまくいっていない体育会系の(ハル)と、恋人を事故で亡くし、その後も奇妙な男たちに言い寄られて盛岡で転々と職を変える(ほし)。
二人は恋愛対象ではないが、それゆえに気楽に自分の胸のうちを吐露し、互いに励まし合って毎晩を過ごしていく。チャットの画面に出てくるRTの文字は、リツイートではなく、リアルタイム会議の意味だから念のため。
フレッシュな二人の組み合わせ
深津絵里も内野聖陽も、本作品の公開時点ではまださほど名前が売れているわけではないように思う。
でも、本作で既に深津絵里は、のちの『悪人』(2010、李相日監督)に繋がるような役者の才能の片鱗を窺わせる。
つい最近に主演した朝ドラ『カムカムエヴリバディ』と本作の間に、四半世紀以上の歳月が流れているとはとても思えない、深津絵里の変わらぬ美しさ。特徴である大きな瞳に惹き込まれるために、余計にそう感じられるのか。
◇
一方の内野聖陽。こちらは対照的に今の彼の『臨場』的な無頼漢キャラとは大分違うのが驚き(勿論、『きのう何食べた?』のケンジとも違うが)。
本作では体躯はガッチリだが、性格的にはどうも頼りない感じの若者。一見、内野聖陽と気づかない位だ。まあ、何せ映画初主演だから。
◇
ともあれ、本作の演技が買われ、深津絵里は『阿修羅のごとく』(2003)、内野聖陽は『黒い家』(1999)と、ともに森田作品に起用される。
やはり文字への依存度過多が気になる
さて、実は本作は今回久方ぶりに観直したところ、かつての高評価をやや下げる結果になってしまった。二度観て評価を引き上げることはあっても、逆は珍しい。
当初本作を観た時には、チャットのやりとりで不器用に時間をかけて進む二人の微笑ましい関係に、つい感情移入してしまったのだが、改めてみると、このチャットで伝える表現方法がどうも腑に落ちない。
チャット内容の羅列画面があまりに多すぎるのだ。読ませることで伝えたい内容ならば、映画にせず小説で出してほしい。こういうことは、一度気づくとずっと気になりだす。
◇
勿論、世界に先駆けてパソコン通信を題材にしたことはあっぱれだし、チャット文章を見せるのにも、その文章の出し方(打ち込みスタイルではない)や、ペース配分、あるいは背景などに気を使っていることは伝わる。
だから、安易に文章羅列に走っていない監督の姿勢は理解できる。
でも、そこに深津絵里と内野聖陽がいるのであれば、私は彼らの心の機微を文章ではなく、役者の演技で見たかった。二度目の鑑賞では、その演出方法がどうにも鼻についてしまったのだ。
「チャット文章読む映画なんて、倍速再生で十分じゃね?」みたいな、寂しい気持ちになる。
ほしに願いを
本作は(ほし)に肩入れして観ていると、胸が痛む。
高校時代に付き合っていた彼氏を1年前に事故で亡くし、その時に支えてくれた級友の戸部(竹下宏太郎)が彼氏ヅラでしつこくつきまとう。この当時も、ストーカーと呼んでいただろうか。ビジュアルはカッコいい男だが、ちょっとナルシストっぽい。
そして、更に上をいく濃いめの顔の自己陶酔キャラが、(ほし)にプロポーズする山上(宮沢和史)。自分も恋人を亡くしており、相手が忘れられない。だが、父の事業を継ぐには結婚が条件であり、ともに形式だけの結婚をしようと迫るのだ。おいおい、契約婚か、『逃げ恥』か。
◇
こんなアクの強い男ばかりに囲まれ、(ほし)が(ハル)に傾きそうになるのは分かりやすいが、その(ハル)もアメフトのやりすぎで脳にダメージを負ったか、愚行に走る。
フォーラムで知り合った(ローズ)(戸田菜穂)と速攻二人でオフ会にしけこみ、「カラダから入る関係もなかなかです」などと赤面もののチャットを(ほし)に送る(ハル)の無神経さよ。
一瞬のすれ違いでも
そのうち(ハル)の青森出張が決まり、東北新幹線で盛岡を走り抜ける彼を、線路脇の道路に停めた白い車で赤い服の(ほし)が待ち構え、互いに手を振り合うことにする。二人が初めて出会うシーンだ。
といっても、相手は鈍行列車ではない。それぞれビデオで撮り合うが、あの速度と距離では、きっと顔も分からないだろう。それが現実だ。ここは黒澤明『天国と地獄』の身代金渡しのドキドキ感の再来。しっかり会えない寂寥感がいい。
互いに私生活で傷つき、東京と盛岡を挟んで互いを求めあっていく二人。一瞬のすれ違いでも、相手がリアルな存在だったと分かり、心は満たされる。
(ローズ)が実は(ほし)の妹だったのは驚き。盛岡冷麺ネタの伏線はあったけど、ちょっと偶然が過ぎる。(ハル)と(ほし)がゆっくりと関係を育んだ大事な時間を、妹は瞬時に乗り越えてしまい、それが姉を傷つける。
でも「あの時、(ローズ)と寝たと言ったのは嘘でした」という言い訳は、事実なのだけれど、さすがに説得力はない。よく復縁できたものだ。
姉妹の関係にしこりが残らず、『間宮兄弟』(2006)のような温かさがある展開になるのは、森田風といえるのか。
(ローズ)の婚約者役にはチェッカーズの鶴久政治、(ほし)に言い寄る男役はTHE BOOMの宮沢和史と、ミュージシャン起用が目立つ。本作の主題歌『TOKYO LOVE』もTHE BOOMの曲だが、イントロがあまりにバド・パウエル激似なので笑。
◇
本作のラストは、ついに上京してくる(ほし)を東京駅のホームで迎える(ハル)。目印はフロッピーディスク。FDもそうだし、東北新幹線のグリーンの車両も時代を感じさせる。新幹線と深津絵里じゃX’mas ExpressのCMだよねえ、車体の色違うけど。
恋愛ものなのに、ラストシーンで初めて顔を合わせるというのは、なかなか斬新ではないか。そこまでやるのなら、二人が対面するラストのツーショット抜きで、嬉しそうにFDを振る(ハル)で終わったら、なお特徴的だった。
ネットで画像すら交換する術のない、ロマンチックな時代の佳作。