『ときめきに死す』今更レビュー|ジュリー!あんたの時代は良かった

スポンサーリンク

『ときめきに死す』

森田芳光監督が沢田研二主演で描く、静かなテロリストとそれを見守る男の心の交流。

公開:1984 年  時間:105分  
製作国:日本

スタッフ 
監督・脚本:   森田芳光 
原作:      丸山健二
          『ときめきに死す』
キャスト 
工藤直也:    沢田研二 
大倉洋介:    杉浦直樹 
梢ひろみ:    樋口可南子 
谷川:      岡本真 
中山:      日下武史 
新城:      矢崎滋

勝手に評点:3.5
  (一見の価値はあり)

あらすじ

歌舞伎町の医者を自称する男・大倉(杉浦直樹)は、謎の組織から若い男・工藤(沢田研二)の世話を引き受ける。男は暗殺者で、暗殺指令を待っていた。

田舎町の別荘で暮らす二人に、ある日、組織から若い女・梢(樋口可南子)が派遣される。三人の共同生活が始まり、その中で女はやがて暗殺者を愛するように。

しかしそれも束の間、暗殺司令が下り、暗殺者は犯行予定地へ向かう。

スポンサーリンク

今更レビュー(まずはネタバレなし)

今なお時代を先取りしている

森田芳光監督が、丸山健二による同名原作を沢田研二主演で映画化した作品。

公開順としては『家族ゲーム』(1983)の翌年になるが、同作のヒット後に生まれた企画ではなく、まだ知名度も覚束ない中で森田監督としては相当攻めた作品といえる。ただ、このあとに『メインテーマ』(1984)という薬師丸ひろ子主演の鉄板企画の監督が決まっていたらしいので、ある程度の打算があったのかもしれない。

この作品は公開当時にはあまり評価されなかったようだ。それは分からないこともない。オフビートな会話や冷徹な空間の切り取り方は、1984年の邦画としては一歩も二歩も時代を先取りしていたから。

でも、面白いことに40年弱が経過しても、時代はこの作品に追いついていない気がする。いまでも逃げ水のように、手が届きそうで届かない世界にある作品なのだ。

はじめの10分で相性が分かる

この作品との相性は最初の10分もあれば見極められる。ピンボールをする謎の男からのメッセージ。

「組織に必要のない男を摘出せよ」

そして高原のような田舎町にある渡島駅。ここにやってくる若い男・工藤(沢田研二)をクルマで迎えに来ている山荘の管理人・大倉(杉浦直樹)。工藤はあるミッションのためにこの地を訪れ、元医者の大倉は高給で彼の体調管理や食事の世話を任されている。

だが、そんな背景の理解の前に、無人駅と思しき渡島駅にある近未来的な造形の鉄骨跨線橋、音楽の塩村修によるジムノペディのような幻想的な調べ、突然の土砂降りから陽炎のたつ夏空の下の線路まで、空気感を伝える前田米造のカメラなど、森田作品ならではの魅力がすでにこの出会いまでに詰め込まれている。

丸山健二の原作では信州だった舞台を、北海道の渡島大野駅に移している。原作にあった青く冷たいイメージを具現化するために森田芳光監督はここを選んだらしい。

なんとこの寂れた駅は、今や北海道新幹線の新函館北斗駅へと変貌を遂げている。あの跨線橋ももはや撤去され、監督の遺作『僕達急行 A列車で行こう』の鉄オタたちなら、さぞ悔しがったことだろう。

緊張感のある会話

さて、この静かな作品は、山荘で生活を始めた大倉と工藤の男二人を、ひたすら淡々と追いかけていく。終盤で動きが出るまでは、ほぼこの二人のやりとりがメインである。

それを退屈と思う人もあるだろうが、何気に噛み合っていない二人の会話は、緊張感に満ちていて、とてもスリリングで面白い。客人の世話をし、希望はすべて叶えるよう厳命されている大倉は、若い工藤にも敬語を使う。

「どこから来られたんですか?ここへは何をしに?」
「……(この村は)涼しいですか?」

すれ違いが多く、はずまない会話。そもそも工藤は警戒心が強く、また饒舌でもない。

「ディナーは神戸牛のステーキです。お酒は召し上がりますか」
「フルーツ何ですか? 先にください。あっちの部屋のスタンド、電気消さないんですか」

山荘の室内は無機質で寒々しく、豪華な食事もちっとも楽しそうではない。そもそも山荘は建物の全景さえ写さず、不思議な感覚に陥っていく。なんとか会話の接ぎ穂をみつけ、盛り上げようとしては失敗する大倉が気の毒になる。

大倉と工藤の奇妙な生活は原作に書かれたものだが、森田芳光ディテールを膨らましてキャラクターに深みを持たせている。

工藤をナイフのマニアにしたり、食事にはまずデザートのフルーツから先に手を付ける習慣を伝播させたり。大倉には、かつて歌舞伎町で(モグリの)医者をやっていたという経歴をひけらかし、海水浴場でお下劣なナンパをさせてみたり。

スポンサーリンク

キャスティングの妙

何よりまず、この二人のキャスティングが面白い。工藤を演じた沢田研二は、刺客役ということで『太陽を盗んだ男』(1979、長谷川和彦監督)のようなカッコいい犯罪者イメージが頭に浮かぶ。

だが、本作の前の映画出演は『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』「寅さん、男は顔ですか?」「そうなんじゃないの」の会話が懐かしいあれである。だから、ジュリーは多才なのだ。

そんなに締まっていない体型で、最後まで頼りなさそうな神経質な男の役でも、沢田研二がやると、何だか意味や深みがあるように思えてしまう。

そうそう、海中で突如、英会話レッスンを売り込んできた謎の男(岸部一徳)が出てきたのは驚いた。ザ・タイガース繋がりの友情出演か。

そして一方の大倉役に杉浦直樹。この俳優は、これまで人の善い役や情けない役のイメージが個人的には強かった(代表例は山田太一の『岸辺のアルバム』の亭主)ので、本作のような、ちょっと昔はワルでしたみたいな役は新鮮だった。

しかも杉浦直樹は上背もあるし身体も大きいので、こういう、怒らせたら怖そうだがおとなしくしている設定のキャラはもってこいなのだ。本作は実質彼が主役と言ってもいい存在感。

今更レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。

ターゲットが見えてくる

ところで、原作でも映画でも大っぴらには語っていないが、工藤に与えられたミッションは何者かの暗殺であることは容易に想像がつく。

そして、原作ではその標的が、この町にやってくる有力な政治家であり、映画ではそれを新興宗教の会長という風にアレンジしている。谷川会長(岡本真)の来訪に向けて、信者が占める村では歓迎セレモニーの準備に追われる。

村中に、教会のシンボルであるグリーンのハートが掲げられている。<GREEN DA・KA・RA>のペットボトルならエコっぽくてカワイイが、これが宗教となると異質だ。

工藤は何も語らないが、彼がいつ、だれを狙っているのかは、もはや町でひょんなことから(女を買おうとして、です)情報を仕入れた大倉には、とっくに気づかれている。

ちなみに途中で何度も登場するパソコン画面『ハル』(1996)もどきで今や噴飯もののレベルだが、当時は最先端技術だったとか。

スポンサーリンク

さて、この作品にはどうしても、先日発生した安倍元首相の暗殺事件が頭をよぎる。

安倍さんは、街頭の応援演説の最中、凶弾に倒れ帰らぬ人となってしまったが、犯人には党と関係の深い統一教会への私怨があり、この犯行に及んだとされている。

勿論、本作にも原作にも何のかかわりもない、やりきれない事件だ。

原作のように政治家が暗殺の標的にされ、そして映画のように宗教絡みでこの犯行が引き起こされるとなると、どうにも不気味に思えてしまうが、ここでは、安倍元首相のご冥福をお祈りしたい。

ジュリーがやらねば、誰がやる

本作は中盤から、男二人の世界に、コールガールとしてあてがわれてきた梢ひろみ(樋口可南子)が黄色い服で渡島駅に降り立って、いっきに映像的には華やかさが加わる。

そして三人の共同生活が始まるうちに、大倉と梢は、このひたむきに鍛錬を重ね、緊張を続け、そして貧しい実家に暗殺の報酬であろうカネを送り届ける、神経質な若者に好意を抱き始める。この心情変化がいい。

犯行前日、大倉は工藤に救いの手を差し伸べる。

「冗談はこれくらいにして、逃げましょうよ!あなたじゃなくても、誰かがやるよ」
「誰がやるんだよ、バカ野郎!」

工藤にはもう引っ込みがつかない。彼は、決死の覚悟だった。

本作のクライマックスは、その日だけ突如賑わう渡島駅前の歓迎セレモニー。子供たちのブラバンと、緑の旗を振る大勢の市民。ここからの展開はあまりに寂しく、切ない。

そして歓迎セレモニーは始まる

以下ネタバレになる。工藤はナイフを持って近づくも、警官らに取り押さえられてしまう。失敗だ。だが、犯行を企てた教会のナンバー2の中山(日下武史)は、プランBを用意していた。

会長の乗るクルマの通行を一台のクルマが阻止し、跨線橋からスナイパー(矢崎滋)が狙撃に成功する。こうして当初のミッションはクリアとなるのだ。

哀れ工藤は自ら手柄を立てられないばかりか、伏兵に見事に獲物をさらわれてしまう。もはや生き恥をさらすよりも自決しよう。彼は日頃クルミ割りで鍛えた歯で手首の動脈を噛み砕く。

大量の鮮血と叫び声の衝撃のラスト。これまで青の基調で通してきた映像が、最後に血に染まる。

原作ではここまでのインパクトのあるラストではないが、映画用に出血大サービスだ。ポンプによる血の噴き出しは黒澤明『椿三十郎』を意識したのだろうが、後年、森田芳光監督自らリメイクのメガホンを取ることになろうとは。

そして動と静。ラストにはまた、あの幻想的なメロディが流れてくる。無力感と敗北感、それをときめきと呼ぶのだろうか。