『それから』今更レビュー|花一輪、ふたつの鉢には盛れません

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『それから』 

森田芳光監督が松田優作と再タッグを組み、夏目漱石原作に挑んだ文芸ロマンス。藤谷美和子が輝く。

公開:1985 年  時間:130分  
製作国:日本
 

スタッフ 
監督:      森田芳光
脚本:      筒井ともみ
原作:      夏目漱石
          『それから』
撮影:      前田米造
音楽:      梅林茂

キャスト
長井代助:    松田優作
平岡三千代:   藤谷美和子
平岡常次郎:   小林薫
長井得(父):  笠智衆
長井誠吾(兄): 中村嘉葎雄
長井梅子(義姉):草笛光子
長井縫(姪):  森尾由美
門野:      羽賀健二
菅沼(三千代兄):風間杜夫
寺尾:      イッセー尾形
佐川:      加藤和夫
佐川の令嬢:   美保純

勝手に評点:3.0
(一見の価値はあり)

(C)1985 東映

ポイント

  • 漱石、森田、優作という不思議な異能のケミストリーで生まれた、ちょっと新しい香りのする文芸作品となっている。たしかに、あっけらかんとした『三四郎』よりも、本作の男女関係の方が絵になる。
  • 優作の代表作とは言い難いが、藤谷美和子の不思議な魅力と息遣いにより、ちょっと忘れられない作品に仕上がった。ああ、高等遊民なるものに、私もなってみたい。

あらすじ

明治後期の東京。裕福な家庭に育った長井大助(松田優作)は30歳になっても定職を持たず、読書や思索にふける気ままな毎日を送る。

ある日、親友の平岡(小林薫)が会社を辞め、妻・三千代(藤谷美和子)とともに東京へ帰ってきた。大助はかつて三千代に恋心を抱いていたものの、同じく三千代に惹かれる平岡のために自ら身を引いたのだった。

三千代もまた、代助を愛しながらも平岡に嫁ぎ、数年の間に三人の心は微妙な変化を見せていた。

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今更レビュー(ネタバレあり)

森田監督と優作タッグの文芸ロマンス

スマッシュヒットとなった『家族ゲーム』(1983)に続き、森田芳光監督と松田優作がタッグを組む。それだけで話題性は十分だが、まさかそれが夏目漱石の原作を映画化する文芸路線に挑むとは、当時驚いたことを覚えている

『家族ゲーム』に前後して松田優作は、『陽炎座』(1981、鈴木清純監督)や『探偵物語』(1983、根岸吉太郎監督)など、既にハードボイルドを行く肉体派からの脱却を目指しており、この手のバイオレンスも狂気もない役を演じることだって、まあ想定内ではあった。

むしろ意外だったのは、常に時代をリードしていた森田芳光監督が、ここまで純然たる文芸ものに挑んだという点だ。

今回観返すにあたり、夏目漱石の原作も読み直してみたが、驚くほどに台詞のひとつひとつが原作をほぼ忠実に再現している。

それでいて、映画はきちんと二時間程度で物語が完結するように構成され、更に独自の映画表現により、原作とは違うイメージの広がりにも成功している。

これには、いかなる作品にも好き勝手に斬新さを詰め込もうとするのではなく、作品ごとにそれに相応しい演出や技術を考えていく森田芳光の職業監督としての姿勢が読み取れた。

いつもの森田作品とは違う

いつもの見慣れた森田監督作品を期待して本作に臨むと、あまりに正攻法で奇をてらわない内容に、肩すかしをくらってしまいそうだ。

白状すると、私も以前観た時には少々退屈に感じたものだが、時間をおいて観直したり、原作と比較してみると、何とも奥深い作品であることに気づく。

【予告編】それから

いかにも森田的な遊び心のあるシーンは、松田優作演じる主人公の長井大助が、友人の妻・平岡三千代(藤谷美和子)の家を訪ねる行き来に使う路面電車の中くらいか。

何度か登場するのだが、乗客が手持ち花火をかざしていたり、自分と同じ人物が何人も月を見上げていたり、或いは暗い車内に孤独に座っていたりと、彼の心象風景を映し出す。このカットが時おり挟まることで、作品に少し現代の風が吹き込む。

高等遊民の悲恋

物語の主人公は、大実業家の息子で裕福に暮らすが、職に就かず自由気ままな毎日を送っている長井代助(松田優作)。いわゆる「高等遊民」というやつだ。

『こゝろ』をはじめ夏目漱石作品には頻出の設定であり、川端康成『雪国』の島村もそう。映画化された三島由紀夫『美しい星』の火星人父さんも、原作では高等遊民だったな。

(C)1985 東映

さて、この代助が、学生時代の親友・平岡(小林薫)と再会する。平岡は部下の使い込みの責任を取り銀行を退職しており、代助に対して借金を申し込んでくる。

無職ながらも、実家に頼んで何とか力になってあげようとする代助だが、実は彼にとって、平岡の妻・三千代(藤谷美和子)秘かに想い続けていた女性だった。

彼女の亡くなった兄・菅沼(風間杜夫)は、代助と平沼の共通の友人で、ともに三千代に好意を寄せたが、結局代助は彼女をあきらめ、義侠心で平岡に譲る形となった。

だが、三年ぶりに会った三千代は、子供を亡くし病弱の身となり、更には夫の放蕩で借金苦に喘いでいた。代助の実家では彼にお見合いをさせる話が進むが、彼には三千代に対する想いがますます募っていく。

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夏目漱石の前期三部作

破局を予想しながらも、それに突き進まずにはいられない、道ならぬ恋。原作は『三四郎』『それから』『門』漱石前期三部作の一つ。

『三四郎』は明るく元気な作風だが、映画化するには話が拡散しすぎ、一方で、本作のあとに主人公と友人の妻が、日陰者のような所帯をもつ『門』は、漱石が途中で療養生活に入ったため、あまりに暗い話に終わる。

そうなると、タイトルとしては地味だが、物語としては一番情熱的でロマンスを感じさせる『それから』が選ばれたのは理解できる。高等遊民の主人公が、遅きに失したものの、終盤でちゃんと行動を起こしているので、映画としても成り立ちやすい。

デ・ニーロ好きな松田優作が、当時海外でヒットしていた不倫ものの『恋におちて』金妻じゃなくて洋画の方です)みたいなのをやりたいと、自身取材で語っていたのを聴いたことがある。それが本企画の発端らしい。

キャスティングについて

松田優作の抑えた演技と鬼気迫るオーラは、アクションなしでも十分の存在感。

対照的に、四角四面で堅物のようにみえ、実は俗物である友人の平岡を演じた小林薫も、当時はこういう男性が幅を利かせていたのだろうと思わせる憎まれ役を好演。

ちなみに小林薫と、同じく友人の一人を演じたイッセー尾形は、ともに森田芳光監督の次作『そろばんずく』にも出演。演技の幅の広さを見せる。

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そして、何といっても薄幸のヒロイン三千代を演じた藤谷美和子が、浮世離れした輝きを放つ。ポスタービジュアルは彼女のバストショットしか目に入らない。

松田優作の主演映画で、彼がこれだけ脇に追いやられたことがあっただろうか。それだけ、本作は彼女の魅力でもっている。

演技力ともルックスともちょっと違う、藤谷美和子の天性の不思議ちゃんキャラが、本作の三千代のミステリアスさとシンクロし、望外の効果が生まれたのではないか。

(C)1985 東映

その他、キャスティングで面白かったのは、代助にお見合いで政略結婚を急かす了見の狭い父親役の笠智衆、珍しく本作では意地悪しない義姉の草笛光子、ただただ仏頂面の見合い相手の美保純、ナンパな男ではなくただの書生をやる羽賀健二など、普段のイメージとはかけ離れた役を演じているあたり。

本作は本格派の文芸ロマンスゆえか、スタッフも重厚だ。

まず、いつもは自身で脚本を手掛ける森田芳光だが、漱石原作はさすがに手強いと感じたか、ドラマ経験豊富な筒井ともみを起用。以降、彼女は『失楽園』『阿修羅のごとく』等、森田作品に複数参画することになる。

また、撮影はお馴染み前田米造。全編を通じて、手狭な日本家屋の中のドラマを巧みなカメラワークでとらえ、後半に増えていく長回しのショットにも緊張感が漂う。そして音楽は、森田作品初参画の梅林茂。彼も本作以降、森田組との仕事が続く。

恋愛ものに相応しい丁寧な演出

不倫ものでありながら、代助と三千代は抱き合うわけでもなく、触れ合うこともない。回想シーンで、雨の中を百合の花束をはさんで寄り添うくらいしか、二人の仲を匂わすものはないが、それでも思慕の情が伝わる。

(C)1985 東映

二人だけの会話のシーンはどれも風情と緊張感があってよい。

代助の屋敷を訪れた三千代がのどの渇きを癒そうと、代助の運ぶコップの水を待たずに花瓶の水を飲むシーン。これは理解不能な演出だと思ったが、原作通りなのには驚いた。この奇行の意図はなんですか、夏目先生。

夜に平岡の家に訪れた代助が新聞を読み退屈そうな三千代と会話するシーン。金銭面の心配は片付いたかと心配する彼に、「そう見える?」と手をかざす三千代。ここは一瞬悩んだが、かつて代助にもらった指輪を質に入れたことを示すカットなのだ。なかなかさりげない。

そして、日中彼女の家に再び訪れる代助。廊下に映る風鈴の影とチリンと鳴る音色。そして素足から登場する三千代が彼にラムネをグラスに注ぐ。煮詰まる会話。自分は瓶ごとラムネを飲む。ビー玉の音。彼女の声がわずかに瓶の中に響く。

「寂しくていけないから、また来て頂戴」

風鈴からここまでのカットに、全くの無駄がない。彼女の代表作、朝ドラ『心はいつもラムネ色』にちなんでいる?

結局、本作のラストはすべてが明るみに出て、平岡からの不倫告発の手紙により実家を追われる代助。原作とは若干異なり、父(笠智衆)と兄(中村嘉葎雄)同時に激しく責められて、街を彷徨うカットで終わる。

彼は三千代とともに覚悟を決めたのだから、そこに後悔がある訳ではない。だが、ラストに幸福の予感はない。そもそも、入院した彼女に会う術がないのだ。

本作では最後に二人が結ばれるところは描かれていない。それは、『それから』のそれからを綴った『門』に委ねられる。