『ふがいない僕は空を見た』
窪美澄のベストセラーをタナダユキが映画化。コスプレ情事に耽る高校生と主婦。二人を取り巻く人々の心に渦巻く閉塞感と無力感。
公開:2010 年 時間:142分
製作国:日本
スタッフ 監督: タナダユキ 脚本: 向井康介 原作: 窪美澄 キャスト 斉藤卓巳: 永山絢斗 岡本里美: 田畑智子 岡本慶一郎: 山中崇 岡本マチコ: 銀粉蝶 斉藤寿美子: 原田美枝子 長田光代: 梶原阿貴 西村あや: 吉田羊 野村先生: 藤原よしこ 松永七菜: 田中美晴 福田良太: 窪田正孝 あくつ純子: 小篠恵奈 田岡良文: 三浦貴大 有坂研二: 山本浩司
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
助産院を営む母に女手ひとつで育てられた高校生の卓巳(永山絢斗)は、友人に連れられて行ったイベントで、アニメ好きの主婦・里美(田畑智子)と出会う。
それ以来、卓巳と里美はアニメのコスプレをして情事を重ねるように。そんなある日、同級生の七菜(田中美晴)から告白された卓巳は、里美と別れることを決心する。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
<あんず>と<むらまさ>だけじゃない
R-18文学賞と山本周五郎賞をW受賞した窪美澄の同名原作を、タナダユキ監督が映画化。同じく窪美澄原作の『かそけきサンカヨウ』(今泉力哉監督)を観て、久々に本作も観返してみた。
◇
主演は、当時もう20歳代だったと思うが高校生の卓巳役に何ら違和感のない永山絢斗と、大好きな魔法少女アニメの主人公<あんず>になりきり、理想の男性<むらまさ>様によく似た卓巳とのコスプレ情事に耽る主婦・里美の田畑智子。
その鮮烈なベッドの上のコスチューム・プレイとポスタービジュアルばかりに注目されてしまったが、この二人の関係はメインとなる一つの要素に過ぎず、そこから周囲の人びとのエピソードに広がっていく。
例えば、卓巳の高校の友人である良太(窪田正孝)の、スラムのような団地で痴呆の祖母と生活する話なども、メインの物語に負けない重みがある。
映画の構成は原作と同じように、卓巳と里美のコスプレ不倫を中心に短編の連作の形式をとるが、サスペンスタッチに時系列をいじくり、映画ならではの味付けがなされているのは、脚本の向井康介の仕事だろうか。
原作は電車で読むのが躊躇われるほどの濃厚なセックス描写だった。さすがに映画となると過激さは抑えられているが、それでも、窪美澄もタナダユキ監督も、女性ならではの云々というような、ありきたりな枕詞で語れるような表現者ではないのだ。
この両者のタッグで、ぜひ窪美澄の傑作『晴天の迷いクジラ』を映画化してほしいと願っている。絶望の底から少しだけ光が差し込むという流れは、本作とも通底するし。
今更レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
マザコン夫と、孫の誕生を待つ姑
さて、高校生と主婦の不倫で始まる物語なので、ご多聞に漏れず、明るく楽しい内容ではないが、その影響はこの町に住んでいる他の登場人物にも及び、作品全体に息苦しい閉塞感や無力感が充満している。
◇
大きな閉塞感のひとつは、里美の家庭だろう。彼女はマザコン気味の夫・慶一郎(山中崇)と暮らしており、姑のマチコ(銀粉蝶)が頻繁に訪れては、孫はまだかと嫁の不妊を責める。
昭和のドラマのような古臭さにデフォルメの強さを感じながらも、途中で見慣れない展開に。なんと、里美と拓巳のコスプレ情事を夫が盗撮しており、里美が帰宅すると、夫と義母がその動画を観ているのだ。これは怖い。
泣きだす夫はどうでもいいが、離婚してくださいと懇願するも里美を赦さず、米国に代理母を探しに行って子供を生ませようとする姑が恐ろしい。
この辺の展開と姑の怖さは岩井俊二の『リップヴァンウィンクルの花嫁』に似ているが、同作の原日出子と本作の銀粉蝶は甲乙つけがたい迫力だ。
里美の心の支えはアニメキャラの<むさまさ>様と卓巳だったが、別れを切り出して渡米してしまう。もう彼女の人生には絶望しか残っていない。
祖母との団地暮らしとコンビニバイト
もう一つの閉塞感は、卓巳の友人の良太(窪田正孝)の生活環境だ。バイト先のコンビニでは、団地の子供による万引きが増えたのは、良太が来てからだと、店長(山本浩司)に嫌味を言われる。
実際、彼の暮らす団地はスラムのようで、狭い部屋にボケた祖母と二人暮らし、男と出て行った母親はわずかな生活費しかよこさない。
◇
団地生活といえば同時期公開の『みなさん さようなら』(中村義洋監督)では永山絢斗が団地の子を演じていたのを思い出すが、本作では窪田正孝が、貧乏団地から抜け出せず苦悩する。
祖母が蛇口をひねり階下を水浸しにしてしまう場面がつらい。施しは受けないプライドと、チロルチョコの代金も自分でレジを打つ自制心のあった良太が、崩れていく。
◇
バイト仲間の団地の娘(小篠恵奈)と、卓巳のコスプレ写真を街中にばらまく。そこには、友人を貶めるつもりも正義感もない。ただ、今の冴えない毎日にムシャクシャしていただけだろう。
彼を団地人生から救い出そうと手を差し伸べてくれた、元塾講師のバイト先輩・田岡(三浦貴大)が、幼女いたずら容疑で逮捕されてしまうのも空しい。良太もまた、ふがいない僕の一人なのかもしれない。
考えと行動が読めない卓巳
そして主人公の卓巳。彼は物語の中心にいながら、何を考えているかよく分からない。『桐島、部活やめるってよ』の桐島君のようだ。
はじめは友人の付き合いでコミケに出向き、そこで里美と知り合う。<むらまさ>に似ていると里美に積極的に誘われ、金をもらって関係を持つようになる。
◇
好きだった級友・松永(田中美晴)に告白され、一旦は里美に別れを切り出すが、赤ちゃん用の靴下を物色する里美を店で偶然見かけ、再び里美が気になっていく。
異性を前にして、何を考えてどう行動しているか、この歳の若者が理路整然と説明できるものではない。そういう演出なのであれば、永山絢斗の演技は見事にハマっている。
やがて、コスプレ写真は学校や街中に出回るようになり、彼は登校せず、家に引きこもるようになってしまう。
助産師の母のおかげで映画は成り立つ
卓巳の母(原田美枝子)は助産師で生計をたて、子供を育てている。子どもの頃から雑務を手伝わされたおかげで、卓巳も女性の出産については知識豊富のようだ。
前向きで力強い母のおかげで、この助産院をかねた家には活気が満ちている。陰の気配にあふれている本作の世界において、唯一陽のオーラを放っている。
これは、母と助手のみっちゃん(梶原阿貴)のキャラからきているのだろう。卓巳の担任教師(藤原よしこ)の妊娠を一目で見抜いて、まだ彼氏にも言っていないと動揺させるやりとりは楽しい。
思えば、TVドラマ『俺の話は長い』の母親役でもそうだった。原田美枝子の演じる母親は明るくさばけていて、好感が持てる。
だが、助産院にも修羅場はある。自然分娩にこだわりが強い妊婦(吉田羊)を病院に緊急搬送するシーン。医師たちや妊婦の夫(これは暴論だが)に責められるシーンは見ている方もへこむ。吉田羊、ドラマ『コウノドリ』ではあんなに頼りになる助産婦だったのにー。
ただ、ヴァネッサ・カービー主演の『私というパズル』で助産師が流産で訴えられるのに比べれば、本件は無事出産だから上出来なのだろう。
◇
結局、卓巳は勇気を出して学校に行くようになる。そして実家では出産の手伝いをする。
米国に行った里美はきっと、産みたくない夫の子供を代理母に産んでもらうことになるのだろう。
一方、友人の良太は、「母ちゃん、なんで俺を産んだの?自分の都合で産まないでよ」と苦しみながら、どうにか今の環境を抜け出そうともがく。
◇
そんな中で、卓巳の母が、息子に伝える言葉は立ったひとつ、「生きていてね」だ。多くの出産と死産を乗り越えてきた彼女の言葉は、シンプルだが深い。
バカな写真が町に出回ろうが、母は特に小言を言うでもなく、人間が大きい。このカッコいい母のおかげで、息苦しく重圧に押しつぶされそうなこの映画のラストは、少し希望のあるものになっている。