『この空の花 長岡花火物語』
大林宣彦監督の戦争三部作第一弾。セミドキュメンタリーと舞台劇、そして花火の奇跡的な融合。
公開:2012 年 時間:160分
製作国:日本
スタッフ
監督・脚本: 大林宣彦
脚本: 長谷川孝治
キャスト
遠藤玲子: 松雪泰子
片山健一: 髙嶋政宏
井上和歌子: 原田夏希
元木花: 猪股南
元木リリ子: 富司純子
高橋良: 森田直幸
松下吾郎: 筧利夫
三島貴: 池内万作
村岡秋義: 笹野高史
山下清: 石川浩司
花形十三朗: 草刈正雄
野瀬鶴吉: 犬塚弘
野瀬真: 片岡鶴太郎
野瀬清治郎: 柄本明
野瀬ヤエ: 根岸季衣
野瀬富美子: 星野知子
中畑教頭: ベンガル
里中先生: 勝野雅奈恵
本村保成: 並樹史朗
佐藤文彦: 高橋長英
新開純夫: 品川徹
森民夫: 村田雄浩
高山忠彦: 尾美としのり
遠藤薫: 藤村志保
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
2011年夏、熊本・天草の地方紙記者の遠藤玲子(松雪泰子)が新潟・長岡を訪れる。目的は、中越地震を乗り越え復興し、東日本大震災の被災者をいち早く受け入れた同地を取材すること。
そして、長年音信不通だった元恋人の片山(髙嶋政宏)から届いた手紙に、「自分が教師を勤める高校の女生徒(猪股南)が書いた『まだ戦争には間に合う』という演劇と、長岡の花火を見てほしい」とあり、心ひかれたためだった。
玲子は長岡の取材に取り組むうちに、出会った人々と不思議な出来事を体験する。
今更レビュー(ネタバレあり)
奇跡的なバランスの反戦映画
大林宣彦監督は常に反戦を訴えて作品を撮ってきた映画人であったが、そのメッセージをここまでストレートに打ち出してきたのは、本作からかもしれない。
当初意図してはいなかっただろうが、ここから『野のなななのか』・『花筐 HANAGATAMI』と反戦を謳う三部作が撮られる。
三部作とはいいながら、その次の遺作となった『海辺の映画館―キネマの玉手箱』も反戦テーマであることから、本作以降の監督作はすべて戦争を憎悪する記憶を次の世代に伝承するための映画となった。
ここまで大きな方針転換は、監督の体調変化もあるだろうが、本作撮影直前に発生した東日本大震災の影響が大きい。
当時、山田洋次監督から「福島の状況を見守り、『東京物語』の公開を1年延期してもそこに反戦を取り込むのだ」という覚悟を聞き、大林監督も彼なりの想像力でこの映画を作ろうと決意したという。
◇
反戦映画は存在意義があるものとは思うが、正当な主義主張だけを繰り返されても、映画としての面白味はない。それに、大林映画固有の、畳み掛けるような早口の説明台詞と実験的な映像遊びの大量投与は、時として拒絶反応を起こす。
だから私は、戦争三部作のすべてに両手を挙げてよい映画だと賛同するわけではないが、今回久々に観直してみると、本作は傑作だと感じた。ここからの監督の反戦映画の中でも最良の出来だと思う。
セミドキュメンタリーの効能
まず、セミドキュメンタリーの形式をとっているところがいい。
松雪泰子が演じる主人公の女性記者・遠藤玲子は過去に恋人の片山健一(髙嶋政宏)と別れがあったという回想はあるが、その恋愛に本編の中で発展はないし、大きな感情の起伏もない。
玲子は観客と同じ目線で、長岡を訪れ人々に出会い、その歴史を学んでいく役割なのだ。過度な芝居のない冷静な記者の目線だから、我々も素直にその歴史に入り込める。
長岡は、戊辰戦争でも焼かれ、太平洋戦争では大量の焼夷弾のほか、模擬原爆ファットマンまで米軍機に投下されている。更には中越地震、そして大雨の土砂災害など多くの苦難を乗り越えて今日の復興がある。
戦争に反対しながらも、立場上悲運な指揮官となる運命だった、河井継之助(『峠 最後のサムライ』で映画化)や山本五十六もまた、長岡の名士であった。
◇
こういった過去の記憶を、いつもの大林組常連の俳優たちが次々と現れてはカメラ目線で語りだす。
宮部みゆきのミステリーを映画化した『理由』では、監督のこの映画手法に最後まで馴染めなかったが、セミドキュメンタリーだから本作とは相性がいい。
まだ戦争には間に合う
玲子は『まだ戦争には間に合う』という新聞コラムを書いている長岡の女性記者・井上和歌子(原田夏希)と知り合い姉妹のように親しくなる。
前作『その日のまえに』のくらんぼん役だった原田夏希だが、どこか雰囲気が中越紀子に似ている。ともに朝ドラのヒロインだが、中越演じる主人公は長岡の花火師の娘役だったので、何か本作にも因縁を感じる。
このコラムの名と、元恋人の片山が教えてくれた舞台が同じ『まだ戦争には間に合う』であるところから、ただのドキュメンタリー風映画に、ファンタジーの要素が加わってくる。
この演劇の書き手である女子高生・元木花(猪股南)が、戦争で乳児を亡くした元木リリ子(富司純子)の娘の名と同じことから、その生まれ変わりか、或いは幽霊のような存在に見えるためだ。
◇
女子高生・元木花はいつもセーラー服姿で一輪車に乗って街を徘徊している。彼女のほかにも何名か同じ一輪車乗りが出てくるのだが、その動きがアイスダンスのように華麗で美しく、見応えがある。
一輪車というのは、若手女優がちょっと練習すると、こんなにもうまく乗り回せるものかと感心していたが、彼女は世界的にもトップレベルの一輪車乗りらしく、ただの特技とはレベチなのだ。なお、猪股南は現在、青森放送でアナウンサー。
玲子が取材をする現実社会と、元木花が準備をしている野外ステージの舞台という幻想の世界が、この華麗にクルクルと回る一輪車によってうまく繋がっているように思える。
◇
そして川の上に急ごしらえで作ったような特設ステージでの反戦演劇『まだ戦争には間に合う』。これがまた素晴らしい。
B29からの焼夷弾が手作りアニメのように合成され、そこには劇作家・長谷川孝治の舞台演出と大林宣彦の映像遊びが見事に融合してみえる。
これまでの大林監督作品には、台詞まわしがまるで演劇調で、学芸会かと思うような作品もあったが、本作はそもそもが舞台という設定を加えることによって、演劇にみえることが正当化できている。
監督初となる全編デジタル撮影も、この舞台演出の美しさに一役買っているのだろう。
圧巻の花火大会シーン
そしてデジタル撮影が最も効果を発揮したのは、もうひとつの主役である長岡の花火だろう。画像処理を過激に重ねてしまういつもの大林スタイルでは、この花火の凛とした美しさと儚さは出せない。
花火大会は前作『その日のまえに』でも登場した。あれも死者を迎える意味合いがあったが、こちらは実在の花火だ。
観光客目当ての花火大会など、観光で古里の良さを失うことを嫌い尾道とも訣別した大林監督には関心のないイベントだろうが、長岡の花火はそれとは違う。
土日開催ではなく日にちを固定し、長岡空襲の犠牲者の慰霊や復興を祈念してしめやかに打ち上げられるものなのだ。
◇
だから伝説の花火師といわれた野瀬清治郎(柄本明)たちは、なるべく長い時間ゆっくりと散開するように工夫して、花火をこしらえる。
光と音が爆撃を思い出させると、それを見に行けない戦災者もいるという。だが、それでも花火は開催される。悲惨な戦争体験を次の世代に伝えなければ、負の歴史が繰り返されるから。
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花火も戦闘機の爆撃も、火薬を固めて作る原理そのものに大きな違いはない。だが空の上から下へと落とすものは、人々から人生や希望を奪い、地上から空へと打ち上げるものは、対照的に癒しと希望を与える。
『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』ではなく、『下から見るか、上から落とすか』。
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キャスティングで意外と良かったのは片山役の髙嶋政宏。普段はアクの強いキャラが定番の髙嶋政宏だが、本作ではひたすら受け身の教師役。個性を発揮しようがないのだが、こういう普通の役もたまには新鮮。
それから、山下清を演じた石川浩司は、名前では分からなかったが姿かたちがたまのドラムのひとだ。たま解散後はパスカルズを結成し、活動していたが、本作では封印していたランニングシャツ姿を解禁。圧倒的なナチュラル感。
反戦メッセージを説教臭くせずに一輪車と野外劇場のファンタジーで包んだセミドキュメンタリー。
仕上げの慰霊の花火がゆっくりと打ち上がり散開していく様子は、日頃大林監督が唱えていた「フィルムのコマとコマの間の残像を観客に想像させるのが映画」という言葉を思い出させてくれる。