『月』
辺見庸の衝撃の問題作を石井裕也監督が覚悟をもって映画化。現実に起きた障害者福祉施設での殺傷事件に着想を得た人間ドラマ。
公開:2023 年 時間:144分
製作国:日本
スタッフ 監督・脚本: 石井裕也 原作: 辺見庸 『月』 キャスト 堂島洋子: 宮沢りえ さとくん: 磯村勇斗 陽子: 二階堂ふみ 堂島昌平: オダギリジョー
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
夫と二人で慎ましく暮らす元有名作家の堂島洋子(宮沢りえ)は、森の奥深くにある重度障がい者施設で働きはじめる。
そこで彼女は、作家志望の陽子(二階堂ふみ)や絵の好きな青年さとくん(磯村勇斗)といった同僚たち、そして光の届かない部屋でベッドに横たわったまま動かない、きーちゃんと呼ばれる入所者と出会う。
洋子は自分と生年月日が一緒のきーちゃんのことをどこか他人だと思えず親身に接するようになるが、その一方で他の職員による入所者へのひどい扱いや暴力を目の当たりにする。
そんな理不尽な状況に憤るさとくんは、正義感や使命感を徐々に増幅させていく。
レビュー(まずはネタバレなし)
衝撃的な原作を映画化する覚悟
本作のほか同月に『愛にイナズマ』の公開も控える売れっ子、石井裕也監督による辺見庸の同名原作の映画化。
知的障害者福祉施設で入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた「津久井やまゆり園事件」から着想を得たこの原作は、以前に読んでいる。
なかなか読むのに手強い小説だったが、頑張って読んだ先には人間社会への絶望が待っている。衝撃の問題作というに相応しい小説だ。誰もが避けて通りたいような、取り繕わない本音が書かれている。
これを映画化するのは相当難しいだろう。撮ったところで、ホラーでもないのに、わざわざ金を払って神経を逆なでするような重苦しい作品を観に行く層がどれだけいるのか。
だが、本作は映画会社スターサンズの設立者で名物プロデューサー河村光庸が、生前に映画化を切望していた作品ときく。
オファーを受けた石井裕也監督は気が重かったと想像するが、監督自身も辺見庸の熱烈な愛読者らしく、それならばこの野心的な原作を、自らで料理したいに違いない。
そう思うと、俄然この映画に興味が湧いた。『茜色に焼かれる』であれほど現代社会の醜さや生きにくさを描き切った石井裕也が、いったい本作にどのようなアプローチを見せるのかは気になるところだ。
宮沢りえとオダギリジョー
映画は冒頭、宮沢えりが演じる主人公、堂島洋子が線路伝いに懐中電灯を照らして夜道を進んでいく。そこがどこなのかは、追って明かされる。
洋子は夫の昌平(オダギリジョー)と二人で暮らしている。静かな生活。なぜか二人は並んで朝食をとっている。
夫が正面に座ることを洋子は望んでいない。家の前に捨てられた子供用の三輪車が、彼女にとって心労になっているようだ。ここも徐々に種明かしされる。
名の知れた作家ではあったが何年も書けていない洋子。夫にも定職はなく、生活のために、彼女は深い森の奥にある重度障害者施設の非正規雇用で働き始める。ここが、例の施設と言う訳か。J・ホラー感がハンパない。
施設の同僚には、彼女を慕う作家志望の若い女性・陽子(二階堂ふみ)や、心優しそうな青年・さとくん(磯村勇斗)がいる。
だが、この二人もそれぞれに心に傷を抱え、またそれ以外の職員は誰もが当たり前のように、入居者を拘束したり部屋を軟禁したりと、人間扱いをしない日常に慣れきっている。
こうして施設は、きれいごとをいう人々が誰も見聞きしたくない現実を抱えたまま、人知れず森の奥で何年も運営されているのだ。
きーちゃんとさとくん
洋子が担当する入居者のなかに、目も見えず耳も聞こえず話すこともできない、ただ何年も生きているだけの<かたまり>であるきーちゃんがいる。原作では、このきーちゃんが語り部となり、さとくんとともに物語を進めていく。
これを映画ではどう表現するのかがひとつのポイントだったが、映画ではきーちゃんの生体反応は乏しく(演者すら分からず)、この役割は洋子に譲られていた。
◇
洋子と昌平の夫婦は原作にはなかったキャラクターだ。かつて先天性の心臓疾患で子供を亡くし、その重荷を背負いながら二人で生きている。
生きる気力の持てない妻と、彼女を「師匠」と呼び明るく支え続ける夫。宮沢りえとオダギリジョーは『湯を沸かすほどの熱い愛』でも夫婦役だったが、生命力に溢れた同作の役どころとはまたガラリと違う顔を見せる。
特に、次の子どもを産むか堕ろすかを巡っての洋子の苦悩と夫との会話シーンは、涙を誘った。泣かせようとする演出を嗅ぎ取ると過敏に拒絶反応を示すが、こういう抑制された演技にはつい涙腺が緩む。
本作は、この洋子と昌平の存在によって、観る者が感情移入できる余地を与えてくれている。一般向けにしていると言ってもいい。
このオリジナルなキャラ設定は、過激なまでに問題の本質に向かっていく原作の映画化としては<逃げ>と言えるのかもしれないが、少なくとも私にはありがたい解決手法だった。
きーちゃん主体の映画では、さすがに観るものにキツい。親近感のある二人を登場させることで、洋子たちを通じて、この入居者たちの問題に向き合いやすくなるのだ。
さとくんの過激思想
二階堂ふみが演じる作家志望の陽子は幼い頃から虐待同然の厳しい躾で育つが、傲慢な父親(鶴見慎吾)と何も言えない母(原日出子)の嘘だらけの家庭に我慢ができない。
自分は小説の材料集めのためにこの施設の仕事をしているが、ろくに取材もせずに耳障りのよい内容だけを並べた洋子の著作には真実味がないと、酒の勢いで本人に毒を吐く。
◇
一方、磯村勇斗が演じるさとくんは、自作の『花咲か爺さん』の紙芝居を入居者に披露する。
彼が好きだというパートは、「欲張り爺さんが掘ると、臭いものや汚いものが出てきて、怒った爺さんは犬を殺してしまう」ところだという。
ここから、朧げに彼の思考が徐々に見えてくる。無駄なもの、不用なものは、排除しなければいけない。
彼は昌平が趣味で作っている海賊の人形アニメ(手が込んでいる)を観て、海賊が顔のない獲物たちを、次々に海に投げ込む場面に共鳴する。
「でも、死ぬところは、音と匂いにこだわらないと」
さとくんは訳知り顔で語る。
◇
不穏な空気は、どんどん濃密になっていく。もはや、さとくんがこれから起きる事件の鍵を握っていることは明白だ。
施設には、逃げ場のない入居者たちが今日も職員に粗末な扱いを受けている。どうみてもフェイクではない本物の身障者にみえるが、もしそうなら、このような重たい作品に出演してくれるとは驚きだ。
それは、きれいごとですよ
本作に唯一希望があるとすれば、それは洋子のお腹に宿った新たな生命だろう。
だが、彼女は踏み切れない。聖書の言葉にあるように、「同じことは何度も繰り返される」のだとすれば、また最愛の子を失うことになるからだ。
◇
心のないものは、生きていても仕方がない。ただ呼吸をして栄養をとり排泄しているだけで、生きているといえるのか。
「心のないものを排除して効率化することが、日本を良くすることになるのだ」
さとくんの思想は激化していく。
それを「良くないことだ、犯罪だ」と断じることはたやすいが、この作品はそこで思考停止することを許してはくれない。
尊厳死を認めない検事に「それは安全地帯にいるから言えるきれいごとですよ」と言い放ったのは『ロストケア』の松山ケンイチだったが、本作でもそれに似た問題が観る者に提起される。
テーマの重さを覚悟して観に行った作品は、思いのほかマイルドな仕上がりに安堵したものの、根っこにあるテーマは深い。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
紙ではない月
宮沢りえが非正規社員として入り込んだ職場で事件が起きる。そこだけ見れば、顧客預金の横領に手を染める、敬虔なクリスチャンだった女を描いた『紙の月』(吉田大八監督)と似ている。
両作品とも、彼女が見上げた空には三日月が輝いている。実物ではないニセモノのメタファだった<紙の月>だが、本作のタイトルでは「紙」がとれている。
でも、我々は<紙ではない月>のように、建前なしで本心で生きていると自信を持って言えるだろうか。
出生前検査で結果を知って出産の判断をするのではなく、そんな検査などせずに生むことに迷いはないと心から言い切れるだろうか。
◇
障害者との向き合い方も同じだ。糞尿をなすりつけ、噛みつき暴れ、椅子やベッドに縛り付けなければ落ち着けない相手を前に、人間らしく応対すべきだと口では言えても、自ら行動ができるだろうか。
そんなうわべだけの大衆に対して、本作は刃先を突き付けて答えを求めてくる。
そして事件は起きる
「頑張れ、みんな頑張れ」
何ということだ。相米慎二の『お引越し』で、まだあどけない田畑智子が歌った井上陽水の名曲が、殺戮前の鼻歌になろうとは。
「心はありますか?」
入居者の個室を訪ねては、その答え次第で生殺与奪を繰り返していくさとくん。
スプラッター映画ではないので、生々しい殺人現場は見せないが、その分を音が補い、血の匂いまで漂いそうだ。彼が振り下ろす鎌の刃は、三日月の形をしている。
◇
だが、心の有無など本人にしか分からない。話すらできなかったが、洋子と昌平の子は、生後三年間、必死に生きようと頑張った。その我が子のことを、生きる意味がないとするさとくんの思想を、昌平は全力で否定する。
<かたまり>でしかないきーちゃんにだって、母親(高畑淳子)と洋子は心を通わせることができるのだ。
そして、世間を揺るがした、凄惨な事件はついに発生してしまう。
◇
本作にささやかな希望の光を感じ取る人もいるかもしれないが、けしてハッピーエンドが待っているとは言い難い。ただ、誰かが撮らなければいけない作品だったと思う。
スターサンズの河村光庸の遺志を継いで、こういう作品を世に出した石井裕也監督にエールを送りたい。アレンジが多いとはいえ、きちんと世に問う作品になっている。