『本心』
石井裕也監督が平野啓一郎の原作を池松壮亮で映画化。亡き母のバーチャル・フィギュアと暮らす男。
公開:2024年 時間:122分
製作国:日本
スタッフ
監督・脚本: 石井裕也
原作: 平野啓一郎
『本心』
キャスト
石川朔也: 池松壮亮
石川秋子: 田中裕子
三好彩花: 三吉彩花
イフィー: 仲野太賀
岸谷: 水上恒司
野崎将人: 妻夫木聡
中尾: 綾野剛
若松: 田中泯
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
工場で働く石川朔也(池松壮亮)は、同居する母・秋子(田中裕子)から「大切な話をしたい」という電話を受けて帰宅を急ぐが、豪雨で氾濫する川べりに立つ母を助けようと川に飛び込んで昏睡状態に陥ってしまう。
一年後に目を覚ました彼は、母が自由死を選択して他界したことを知る。勤務先の工場はロボット化の影響で閉鎖しており、朔也は激変した世界に戸惑いながらも、カメラ搭載ゴーグルを装着して依頼主の指示通りに動くリアル・アバターの仕事に就く。
ある日、仮想空間上に人間をつくるバーチャル・フィギュア(VF)の存在を知った朔也は、母の本心を知るため、開発者の野崎(妻夫木聡)に母を作ってほしいと依頼。
その一方で、母の親友だったという三好(三吉彩花)が台風被害で避難所生活を送っていると知り、母のVFも交えて一緒に暮らすことになる。
レビュー(まずはネタバレなし)
もう近未来といえない世界
母子家庭で育ててくれた母を亡くした男の物語。彼はAIによって再現された母によって、その悲しみと孤独の慰めを得ようとする。そのVFが、「自由死」を願った母の「本心」を語ることを、恐れつつ期待しながら。
平野啓一郎の原作を石井裕也監督が映画化。愛する家族が亡くなった時に、人工物を作って代用しようとする物語は、『鉄腕アトム』のころから我々が慣れ親しんだプロットだ。
だがこれまで、それは大抵、アンドロイドの製造という解決策に頼っていた。本作では、仮想空間にVFを作って、ゴーグルとイヤーピースの装着により、まるで生き返ったような故人に接するというのが、目新しい設定といえるか。
<自由死>という尊厳死を発展させたような権利を得た人は、税の恩恵を受けて寿命を全うせずに自死を選ぶ。こうして、主に社会的弱者となった者たちは、「もう十分に生きた」といって死んでいく。
工場労働者の石川朔也(池松壮亮)の母・秋子(田中裕子)も、こうして大雨で増水した川に身を投げてしまう。母を助けようと川に飛び込んだ朔也は九死に一生を得るが、一年も昏睡状態で入院する。
その短い間に、社会にはすっかり高度なAIが浸透し、朔也は旧友の岸谷(水上恒司)の口利きでリアル・アバターとして働き始め、そして母のVFを作って一緒に生活を始める。
本作で描かれる世界は2024年11月現在ではかろうじて近未来だが、生成AI技術の進歩が目まぐるしい中、一年後には既に当たり前の世界なのかもしれない。その意味では、映画が2025年設定なのは絶妙ともいえる。
死んだ母親がゴーグルをかけると目の前に現れ、触れ合うことはなくても、これまでのデータによる自己学習で日に日に本物らしさを増していく。
◇
仮想の存在がAIによって現実味を帯びてくる一方で、社会の底辺にいる朔也は、デジタル化の奴隷のように、依頼者の言いなりになって町を走り回るリアル・アバターとなって日銭を稼ぐ。
依頼者の不条理な評価によってポイントが下がれば、AIの明るい声で自動解雇されてしまう歪んだ社会。何というディストピアだ。
キャスティングについて
主人公の石川朔也役には石井裕也監督作品の常連、池松壮亮。母親役には田中裕子。VFを作るとなれば、普通は死んだ恋人か妻、或いは子供を想像するが、母親というのは意外。
母子家庭ゆえの愛情の深さか。原作を読んでのイメージは八千草薫的な母親だったが、田中裕子もハマっていたと思う。
◇
VFを提供する先端技術の会社を経営する野崎(妻夫木聡)と、亡くなった後にVFとなって同社で顧客の相談窓口となっている中尾(綾野剛)。
本作の妻夫木聡といい、『ARC アーク』(石川慶監督)の岡田将生といい、こういうハイテク企業のトップには爽やか系イケメンが似合う。
妻夫木は石井監督作品『ぼくたちの家族』で池松壮亮と共演。平野啓一郎原作では『ある男』(石川慶監督)に主演。妻夫木と綾野剛の組み合わせは『怒り』(李相日監督)のゲイのパートナーを思い出す。
原作よりも随分アクの強い存在になっているのが、朔也の旧友、岸谷(水上恒司)。入院し浦島太郎状態だった朔也にリアル・アバターの仕事を紹介するという設定は映画オリジナルだが、うまい改変。
バイク便っぽい格好で「楽勝!」とか言っちゃうのって、ホイチョイの『メッセンジャー』へのオマージュなのか。
水上恒司は公開中の『八犬伝』でも犬士の一員を演じる。旧芸名は岡田健史、なんだ『死刑にいたる病』(白石和彌監督)の主演の青年じゃないか。
朔也の母とは生前、職場の旅館の同僚で、住む場所がなくなり朔也の部屋で同居するようになる若い女性・三好彩花(三吉彩花)。原作読んだときから、人物名が三好彩花だったから、まさか三吉彩花が演じるとは笑った。でも配役としてはフィット。
高校時代に朔也が退学となるきっかけとなった同級生が、彼女に瓜二つというのは、原作にはない設定だったが、あまり機能していなかった気も。
アバターデザイナーのカリスマ登場
朔也と彩花、そして母のVFという奇妙な三人の組み合わせで共同生活が始まる。原作よりも古びた感じの狭いアパートの部屋だが、なぜか広々としたテラスが備わっている面白い構造。
そして、遊び半分で無茶な要求をしてくる依頼人のオーダーに朔也が応じていた時に偶然遭遇したハプニングから、著名なアバターデザイナーのイフィー(仲野太賀)との出会いが生まれる。
半身不随で車椅子生活だがカネはうなるほど持っているイフィー。ここに仲野太賀とは、なるほど悪くない。彼もまた『生きちゃった』をはじめ、複数の石井作品に顔を出す常連。
ところで、エンドロールに名前のあった窪田正孝だけは、どこにいたんだか分からずじまい。声だけとかじゃないよね。彼もまた、平野原作の『ある男』と石井作品の『愛にイナズマ』に出演し、関わりは深いのだけど。
◇
さて、朔也は「もう十分に生きたわ」と自由死を選んだ母の気持ちがどうしても理解できなかった。
自死の前に、「母さん、朔也に大事な話があるの」と息子に伝えようとしていたものは何だったのか。その手がかりを得ようと始めたVFとの生活だが、ついに答えがみつかる。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
映画化が決まるだいぶ前に原作は読んでいた。設定の面白さに惹かれたが、終盤に平野啓一郎らしい随分と哲学的なところに落ち着いた印象があり、映画的に盛り上げるのは厳しいかと思ったが、石井裕也監督のアレンジはうまかった。
母が敬愛し親密にしていた老作家という重要キャラを割愛し、朔也が自分の父親は誰なのかと悩む部分は省略されている。
話をシンプルにしたおかげで、VFの母と訣別しようと思った時に、母がバーチャル旅行の伊豆の滝の前で彼に語った「生前言おうとした重要なこと」が、心に染み渡る。
それは、我が子に対する、平凡で、実にストレートな慈愛の言葉だった。
「それって、重要?」
朔也が知りたかった、自由死を選んだ理由に繋がる言葉ではなかった。だがそれは、不急ではあるが、不要ではない、生前に伝えておきたい言葉だ。
◇
母の取り持つ縁で、同棲する彩花とも付き合い始めそうな環境設定だが、まじめな性格の朔也と、セックスワーカー時代に男性恐怖症になった彩花には大きな溝があった。三角関係のようにイフィーがその隙間に入り込む。
イフィーのリアル・アバターとなって彩花に告白する朔也のピエロのような悲哀は、映像化により一層強く伝わった。
ただ、原作のイフィーはもっと好青年に描かれていたと思う。太賀だって善人キャラだが、映画だけだとやや金満家っぽく見えるのが残念。
◇
コロナ禍の時代を『茜色に焼かれる』、障碍者施設の大量殺人を『月』で撮ってきた石井裕也監督が、AI時代の本格的な幕開けに合わせるようにこの作品を撮ったことは、覚えておこうと思う。
最後に少しだけ希望があってよかった。