『蜩ノ記』今更レビュー|その日暮らしの終わる頃に武士の矜持が伝わる

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『蜩ノ記』

葉室麟による直木賞受賞の時代小説を、小泉堯史監督が役所広司と岡田准一の初共演で見事に映像化。

公開:2014 年  時間:129分  
製作国:日本

スタッフ 
監督:       小泉堯史 
原作:       葉室麟
            『蜩ノ記』 
キャスト 
戸田秋谷:     役所広司 
檀野庄三郎:    岡田准一 
戸田織江:     原田美枝子 
戸田薫:      堀北真希 
戸田郁太郎:    吉田晴登 
中根兵右衛門:   串田和美 
水上信吾:     青木崇高 
松吟尼(お由の方):寺島しのぶ 
慶仙:       井川比佐志 
万治:       小市慢太郎 
源吉:       中野澪 
播磨屋吉左衛門:  石丸謙二郎 
矢野郡奉行:    矢島健一 
庄屋:       渡辺哲 
三浦兼通:     三船史郎

勝手に評点:3.0
   (一見の価値はあり)

(C)2014「蜩ノ記」製作委員会

あらすじ

前代未聞の事件を起こした戸田秋谷(役所広司)は、十年後の夏に切腹すること、そしてその日までに藩の歴史である「家譜」を完成させることを命じられる。

幽閉されたまま家譜の編纂を続け、切腹の日まであと三年となったある日、城内で刀傷沙汰を起こした藩士の檀野庄三郎(岡田准一)が、秋谷の監視役としてやってくる。

庄三郎は、秋谷が七年前の事件を家譜にどう記しているかを確認して報告し、また、逃亡するようであれば家族もろとも斬り捨てよとの密命を帯びていた。

庄三郎は秋谷のそばで過ごし、その人柄や家族とも触れ合ううちに、秋谷が事件を起こしたことが信じられなくなり、真相を探り始める。

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今更レビュー(まずはネタバレなし)

強力な二枚看板で時代劇に新風

直木賞を受賞した葉室麟の時代小説を小泉堯史監督が映画化。

舞台は豊後にある架空の羽根藩。十年後に切腹することを命じられ、幽閉されながら家譜編纂に明け暮れる元奉行・戸田秋谷と、その監視役に派遣された藩士・檀野庄三郎。原作は武士の覚悟と矜持が伝わる力作だ。この地味な内容を短編ではなく長編でしっかり読ませるのはさすが葉室麟の筆力。

小泉堯史監督が本作のメガホンを取ると聞いた時、はて、主演は誰だろうと考えた。小泉作品の常連ならば、思いつくのは秋谷に寺尾聡、庄三郎に吉岡秀隆あたりだが、その組み合わせでは二人とも善人すぎて映画にならない

蓋を開けてみれば、秋谷に役所広司、庄三郎に岡田准一と、なるほど納得の配役。今や時代劇には欠かせない二人だが、本作が初共演である。

その後、『関ケ原』(2017、原田眞人監督)では役所広司が徳川家康、岡田准一が石田三成になり、天下分け目の戦いを繰り広げることになるが、それはまた、別のお話。

(C)2014「蜩ノ記」製作委員会

小泉堯史監督の話をすると、どうしても黒澤明の助監督時代からの流れになってしまうが、時代劇の撮り方についても、数多く巨匠の薫陶を受けているのだろう。

その結晶といえるのが、初監督作品の『雨あがる』(2000)だ。これは濃厚に黒澤明のDNAを受け継いでいる作品である。ただ、あの作品は今の時代に観るには少々古臭さを感じたし、もっと小泉堯史監督らしさがあってほしかったと私は思った。

その点、本作はだいぶ気負いがなくなって、緊張がほぐれた。キャスティングの妙もあり、時代劇としてはしっかりと本格派としての品質を守りながら、いい意味で現代風になってきたのではないか。

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はじめは気の重い任務だったが

本作の完成後、黒澤組の盟友・木村大作の監督のもとで、小泉堯史は再び葉室麟原作の脚本を書き、更に岡田准一を起用し『散り椿』(2018)が作られる。

また、小泉堯史の監督作としては、役所広司と連続でタッグを組み『峠 最後のサムライ』(2022)を撮っている。監督のフィルモグラフィにおいても、本作は重要な位置づけにある作品といえるだろう。

本作は冒頭、殿中で旧友の同僚とのちょっとしたトラブルが発端で、すわ切腹かという事態になった檀野庄三郎(岡田准一)が、家老の中根兵右衛門(串田和美)戸田秋谷(役所広司)の監視を命じられる。

秋谷は前藩主の側室との密通の罪で切腹が言い渡されるが、仕掛かり中の家譜編纂のため十年の猶予が与えられ、村に幽閉されていた。

編纂の補助と監視、密通事件の真相探求が課せられた庄三郎。しかも秋谷に怪しい動きがあれば、家族もろとも斬れと厳命されている。気が重たい任務である。

だが、辺鄙な屋敷で質素に暮らす秋谷は、物腰柔らかく誠実で頭も腕もキレる武士に思え、庄三郎は次第に彼に感化されていく

(C)2014「蜩ノ記」製作委員会

キャスティングについて

主演・役所広司が演じる戸田秋谷の凛とした存在感。役所広司が時代劇映画に出たのは『どら平太』(2000、市川崑監督)からだという。10年以上前だが、その後も決して時代劇の出演本数が多いわけではないのに、抜群の座りの良さがある。年齢的にも、この秋谷役がうまくハマる丁度良い頃合いだ。

一方の庄三郎を演じた岡田准一。時代劇としては亜流の『花よりもなほ』(2006、是枝裕和監督)や『天地明察』(2012、滝田洋二郎)を経て、本作公開の2014年には大河ドラマ『軍師官兵衛』の堂々主演。もはや彼の立ち振る舞いは、腕の立つ武士か<SP>か、<殺さない殺し屋>のそれにしかみえない。

映画 「蜩ノ記」 予告 役所広司、岡田准一、堀北真希、原田美枝子

秋谷の家族には、妻の織江に黒澤組からの常連、原田美枝子、年頃の娘・堀北真希、そして元服前だが武士たるものをよく知る少年の郁太郎吉田晴登

原田美枝子『雨あがる』では風変りで周囲から浮いている役だったが、本作では夫を信じる良妻賢母。堀北真希は本作が映画としては最後の出演か、役所広司との父子役は、よしもとばなな『アルゼンチンババア』(2007)以来?

その他、秋谷の密会相手の松吟尼には寺島しのぶ、庄三郎の同僚・水上信吾青木崇高慶仙和尚には小泉作品常連の井川比佐志

ワンシーンのみだが、亡くなった前の藩主・三浦兼通には三船史郎。台詞回しですぐ分かる。『雨あがる』では馴染めなかったが、三船史郎に憎めない殿様の役というのは、なかなか合う気もしてきた。

(C)2014「蜩ノ記」製作委員会

今更レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見・未読の方はご留意ください。

良い点、引っ掛かった点

本作は岩手県遠野市などでオールロケ。『阿弥陀堂だより』でも感じたが、小泉堯史監督の撮る山村の四季は実に美しい。この年に前後して、国内で唯一映画用フィルムを製造していた富士フイルムが生産を終了しており、デジタルではない国内映画としては最後の一本になったとされる。

映像に加え、加古隆によるピアノ曲の入り方も美しい『阿弥陀堂だより』では押しつけがましく感じた劇伴音楽だったが、本作はそのタイミング・頻度・物語との調和、いずれも見事だった。

(C)2014「蜩ノ記」製作委員会

庄三郎が竹林で独り延々と居合の稽古をしているシーンがある。キレのよい動きに惚れ惚れするが、原作では彼が気づかぬうちに背後から秋谷が近づいている。その展開をずっと待っていたが、遠くから眺める意味ありげなカットだけで終わってしまった。

庄三郎にも秋谷にも刀を持って大立ち回りをするシーンが与えられているが、本作は比較的静かな作品である。脚本は基本的には原作に忠実であり、テンポもよく進む。

ただし、その中心にあるのは、秋谷の密会についての謎解きだ。それを家譜のなかにどう書かれるかという点も大事な要素になっている。

原作では文字を追えるので把握しやすいが、映画の中では毛筆の文章や早口の台詞で語られることが多く、未読の方には結構理解しにくい部分があったのではないか。

藩主の世継ぎ争いで、正室であるお美代の方川上麻衣子、ワンカットのみ?)には嫡男がおり、一方側室であるお由の方(寺島しのぶ)には殿の息子がいる。

この世継ぎを巡って陰で家臣たちの勢力争いが起き、寝室を賊に襲われてお由の方は息子を殺される。その護衛として賊を斬ったのが秋谷だったが、この内紛が周知となればお国取り潰しとなる怖れから、秋谷は密会の罪をかぶらされ、お由の方は尼寺に入り、全ては闇に葬られる。

その後、家譜の調べの中で、お美代の方の血筋に疑義が生じる。それが最後に解き明かされるのだが、映画だけで内容を理解させるのは、やや厳しい。

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原作との差異

ほかにも難点がある。後半の展開にからんでくる、秋谷の長男・郁太郎と仲の良い近所の少年の源吉(中野澪)とその父・万治(小市慢太郎)の扱いがやや表面的なのは残念。

源吉と妹にはもっと中盤までに出番を与えておくべきだったし、万治と悪徳商人の播磨屋(石丸謙二郎)との関係も原作とは真逆で、万治は播磨屋に仕えるのではなく敵対する役となっており、違和感があった。

夏祭りで(堀北真希)が舞う姿は美しかったが、播磨屋の出店に「提灯を消せ」と言って万治が暴れるのは意味不明だったのではないか。あれは、祭りの夜は境内を真っ暗にして、そこで好き同士の男女が近づく風習の邪魔だからという理由であり、ただ播磨屋に因縁をつけたわけではないのだ。

(C)2014「蜩ノ記」製作委員会

また、家老中根の前で異議申し立てをした郁太郎が殿中で剣を抜こうとし、「それを抜くと一家も周囲の者もみな磔の刑になるぞ」と家老に脅される。

結局少年は刀尻で家老を小突くのだが、原作では石を投げる。郁太郎は投石がうまいというのが序盤で描かれているのだ。映画では序盤の石投げを庄三郎との相撲に代えたことで、終盤も変わった。石投げは武士らしくないとの判断なのだろうか。

詳細は伏せるが、終盤で家老に対して理路整然と思いを語り、一発殴りつける秋谷の言動は胸がすく。そのあとの展開は、映画を観た後ではこれしかないだろうという終わり方で、満足できる。

柚子は九年で成り下がることを我々はかつて『時をかける少女』に教わった。庭に植えたその柚子が実を結び機が熟したことを告げている。

それにしても、満足そうに笑いながら死期を迎えると言うのは、なんとも悠然としていて、男らしいものだ。見習えるとは思わないけれど。