『阿弥陀堂だより』今更レビュー|あの世との境など分からない方がよい

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『阿弥陀堂だより』 

奥信濃の美しき山村に佇む阿弥陀堂で先祖を守る老女。90歳を越えているとは思えない北林谷栄の熱演にただ圧倒。

公開:2002 年  時間:128分  
製作国:日本

スタッフ  
監督・脚本:   小泉堯史
原作:      南木佳士
          『阿弥陀堂だより』
キャスト
上田孝夫:    寺尾聰
上田美智子:   樋口可南子
おうめ婆さん:  北林谷栄
石野小百合:   小西真奈美
石野助役:    井川比佐志
幸田重長:    田村高廣
幸田ヨネ:    香川京子
中村医師:    吉岡秀隆
村長:      内藤安彦

勝手に評点:3.5
    (一見の価値はあり)

あらすじ

売れない小説家の上田孝夫(寺尾聰)と、大学病院の有能な医師・美智子(樋口可南子)の夫婦。心の病をかかえる美智子のために、二人は都会を離れ、孝夫の故郷・信州に移り住むことにした。

山里の美しい村に帰った夫婦は、阿弥陀堂というお堂に暮らす96歳の老婆おうめ(北林谷栄)を訪ねる。

おうめのところに通ううちに、孝夫は喋ることが出来ない難病を抱える小百合(小西真奈美)に出会う。彼女は村の広報誌に、おうめが日々話したことを書きとめ、まとめた「阿弥陀堂だより」というコラムを連載していた。

素朴だが温かい村の人々とのふれあい。美しい季節の移ろいに抱かれて暮らしていくうちに、美智子と孝夫はいつしか生きる喜びを取り戻していく。

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今更レビュー(ネタバレあり)

黒澤の系譜を引き継ぐ者

芥川賞作家・南木佳士による同名原作を小泉堯史監督が映画化した作品。黒澤明に師事した小泉堯史監督は、師匠の死後、その遺作シナリオ『雨あがる』を映画化し(2000)、監督デビュー。

本作はそれに続き監督・脚本を手掛けた作品にあたる。前作と異なり時代劇ではないが、やはり画面から滲み出てくる風格のようなものに、黒澤の系譜が感じ取れる。

『雨あがる』の原作は山本周五郎による、あまり派手さのない短編小説集の一編であったが、本作も南木佳士の芥川賞受賞作『ダイヤモンドダスト』ではなく、思いっきり渋めな内容の『阿弥陀堂だより』を映画化するところが、小泉堯史監督らしさなのかもしれない。

なにせ、監督の最新作『峠 最後のサムライ』にしても、司馬遼太郎の長編ではあるが、河井継之助の知名度を考えたらなかなか映画化には踏み切りにくい。

こういう歳の取り方もある

さて本作、都会の生活に躓きそうになった一組の夫婦が、夫の故郷である信州の山深い村に戻り、阿弥陀堂という人里離れたお堂に一人で暮らす老婆と触れ合うことで、人生の宝物に気づく物語である。

私は先日原作を読んだことで、未見だった本作を今更鑑賞する気になったのだが、原作で何より素晴らしいのが、この96歳の高齢でも矍鑠かくしゃくとしていて、人懐こくて愛らしいおうめ婆さんのキャラクターである。主人公といってもよい。

この老女の飾らない実直な言葉やふるまいが、都会から移り住んだ孝夫と美智子の夫婦のみならず、読む者の心をとらえる。この小説の味わいを映画で伝えることができるかは、おうめ婆さんの演者の力量にかかっている

すぐにそう思ったが、はたして20年前のこの映画で、90歳を越える高齢の老女を演じた女優は誰だったか。『雨あがる』に続いて起用の寺尾聡と、その妻役の樋口可南子の出演はおぼろげにポスターで見た記憶はあるけれど…。

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そんな状況で観賞に臨んだわけだが、このおうめ婆さんを演じたのが北林谷栄文句なしの名演だった。原作で私が抱いたイメージを軽々と上回る、生き生きとした演技。

30代後半で既に「老女役は北林」と評され、日本を代表するおばあちゃん女優として知られただけはある。若い頃から老婆役というと、私の世代では樹木希林が思い浮かぶが、その大先輩格である。

当時90歳を越えていた北林谷栄は、高齢のため撮影オファーを断ろうとしたが、若い頃に演劇で苦楽を共にした宇野重吉の息子・寺尾聡との共演と聞き、出演を決意したという。そう聞くと、一層彼女の演技に引き込まれる。

北林谷栄という芸名も、デビュー当時に長野県の林や谷川の美しさに感動して決めたというから、信州をロケ地にした本作には因縁めいたものを感じる。

彼女の台詞はほぼ原作に記載の通りだ。つまり、齢90歳を過ぎても、きちんと台本にある台詞を喋っているということだし、それが活きた言葉になっているのもさすがである。ちなみに、彼女の遺作となったのは翌2003年の『黄泉がえり』(塩田明彦監督)。

Letter From The Mountain

キャスティングについて

おうめ婆さんのことばかり語ってしまったが、他の出演者にも触れよう。

10年前に新人賞を受賞した後は鳴かず飛ばずの作家・上田孝夫寺尾聰。普通、売れない作家といえば、例えば『海よりもまだ深く』(是枝裕和監督)の阿部寛みたいに、つい家族に当たり散らしてイライラするものだ。

だが、そこは人格者の寺尾聡、まったく悠然としていて、観ていて安心できる。『博士の愛した数式』(2006)の博士役もそうだが、小泉堯史監督はきっと、寺尾聡をあて書きしたような原作を選んで映画化しているに違いない。

そして彼の妻・美智子役に樋口可南子。東京の大きな病院で先進的な医療に携わっていたが、何人もの患者の死と向きあい、また自分も流産したことでパニック障害を患う。夫の薦めもあり、信州に移り住み、これまでと違ったペースで人生を歩んでいこうとする。

樋口可南子が(医師とはいえ)普通の妻を演じるイメージは、本作まであまりなかったのではないか。これ以降、『明日の記憶』(2006)や『愛を積むひと』(2015)など、夫と歩む妻の役が増えた気がする。

(C) 2002 『阿弥陀堂だより』製作委員会

『阿弥陀堂だより』という地域の広報誌のコラムを書いている女性・石野小百合小西真奈美が演じている。喉の病気を患ったせいで、発声ができず、常に筆談するという役で映画初出演。いつも元気溌剌がセールスポイントの小西真奈美は、特徴のある声も魅力のひとつだと思うので、それが聞けないのはちょっと残念。

末期の胃がんを患いながら、まったく動じることなく家のものを処分したり、習字で心を静めたりして、達観して死を待っている孝夫の恩師・幸田(田村高廣)

そして戦争で幼い子供を亡くし、11年も独りでシベリアから戻る夫を待っていた妻のヨネ(香川京子)。この夫婦のありかたも超然としており、その死生観は、孝夫と美智子にも影響を与えている。

後半、小百合の喉の肉腫が再発し、町の大きな病院に入院する。美智子がサポートして一緒に手術を執刀する若手の中村医師吉岡秀隆が演じる。原作でも少々頼りないが謙虚な医師という設定だったが、なるほど吉岡秀隆が適任だ。

『Dr.コトー診療所』とは違い、彼が都会の大病院の勤務医で、田舎の医師が美智子である。なお、小百合の父親である村役場の助役には井川比佐志寺尾聡、吉岡秀隆とともに、小泉堯史作品の常連である。田村高廣も含め、善人キャラ俳優の出現率が高い。

人生を見つめ直す機会

生きることに貪欲にならず、生かされていることを感謝し阿弥陀堂で村中の先祖を供養して暮らすおうめ婆さん。

同じく謙虚な気持ちで、心に沁みるコラムを仕上げる小百合。

幼児の死さえ運命だったとし、死を前に泰然自若の恩師。そして夫の死まで、荒ぶる感情を表に出せないでいると妻。

本作は、都会の生活に疲弊し何かを見失ってしまった夫婦が、大自然の暮らしの中でこうした人々に刺激され、再生していく姿を描いた作品である。

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村の人たちとの出会いや会話の中には、おそらくは地元の人を起用しているのであろう、本物ならではのリアルさもある。

一年間を費やして撮影したという、奥信濃の四季の美しさと雄大さ。引き締まるような澄んだ水と空気。深呼吸したらフィトンチッドを嗅ぎ取れそうな森林の緑の深さ。撮影は上田正治。ここにも黒澤組のDNAが。風の音やせせらぎ、虫の声にも癒される。

晩秋の阿弥陀堂だよりのロケ地を訪ねて・4K撮影

最後に難点も少々

あえて難点を言わせてもらうと、あまりにベタすぎる、というかあざとい演出も散見された。宮沢賢治の「雨にも負けず」を孝夫がフル朗読したり、子供らに『夕焼け小焼け』を唄わせたり。

あと、加古隆の劇伴音楽の使い方。いかにも加古隆らしい、美しく切ない調べの楽曲なのだが、日本の原風景のような映像と自然音に浸ってドラマに没入しているときに、感動を強要するような曲の挿入が調和を乱す

特に、手術が成功した小百合が、久しぶりにおうめ婆さんと再会するシーン。感動の場面に、一瞬だけ曲のサビを入れるという暴挙で安っぽくしてしまった。

まあ、難点とコメントした部分は、ごく少数派意見かもしれないので、この辺で手じまいする。

本作は、北林谷栄という舞台女優のキャリアを総括するような、日本一の老婆役の演技を目の当たりにするだけでも、観る価値のある一本だと思う。