『流浪の月』
凪良ゆうによる本屋大賞受賞のベストセラー原作を、広瀬すずと松坂桃李の主演で李相日監督が映画化
公開:2021 年 時間:123分
製作国:日本
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
ある日の夕方、雨の公園でびしょ濡れになっていた10歳の少女・家内更紗(白鳥玉季)に、19歳の大学生・佐伯文(松坂桃李)が傘をさしかける。
伯母に引き取られて暮らす更紗は家に帰りたがらず、文は彼女を自宅に連れて帰る。更紗はそのまま二カ月を文の部屋で過ごし、やがて文は更紗を誘拐した罪で逮捕される。
<被害女児>とその<加害者>という烙印を背負って生きることとなった更紗と文は、事件から15年後に再会する。
レビュー(まずはネタバレなし)
互いに相手だけを必要とする世界
凪良ゆうによる本屋大賞受賞の同名原作の映画化。この手のベストセラーは小説に感動しても、映像化されたときに原作の世界観を台無しにしている例が多く、近年でも失望が怖くてまだ観ていない作品がいくつかある。
だが、本作でメガホンを取るのは李相日監督だ。期待を裏切るはずがない。そう思って公開初日に足を運んだが、それは正解だった。
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けして原作を忠実に映画に置き換えているわけではない。むしろ、全体の構成をはじめ、細かいエピソードや登場人物のキャラクターなど、いじっている部分は多い。
だが、これは、限られた尺の中で物語を完結させるために必要なものであろうし、それによって、<被害女児>とその<加害者>という数奇な運命をたどった男女の心情が、一層強調されて描かれている。
ある日、10歳の少女・更紗(白鳥玉季)と19歳の男大学生・佐伯文(松坂桃李)が出会う。何かが起きて、何かが起きなかった。世間はそれを<犯罪>だと見做した。
確かにそこにあったはずの説明しにくい感情は剝ぎ取られ、あっという間に二人は<被害女児>と憎むべき<加害者>になる。そして人生は、途方もなく過酷で、困難なものになっていく。
大人になった更紗(広瀬すず)が文と再会したら、そこから何が始まるのか。単なるロリコン男の犯罪手記でもないし、ストックホルム症候群で犯人に好感をもつ少女の話でもない。恋愛と呼べるものなのかは分からないが、この世でただ目の前の相手だけを、互いに必要とする二人の物語。
原作の世界観に没入できる
凪良ゆうの原作の味わいや世界観を大事にしようとする李相日監督の姿勢が、随所に感じられる。印象的なのは、全編にわたって採り入れられている、朧げな月の満ち欠けや、雨や風に揺れる美しい町並みの姿だろう。効果的な自然音や原摩利彦によるピアノ曲との調和もとても心地よい。
冒頭、人気のない公園にいる孤独なふたり。突然の雨でも『赤毛のアン』を読み続ける更紗に、文が傘をさしかける。傘を叩く雨の音、激しい夕立と流れる雲。
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原作では特に地名はでてこないが、遠くに山並みがみえる市街地。ロケ地は主に松本市や長野市のようだ。古い町並みに流れる小さな川と橋のたもとにある風情のあるアンティークショップと、その二階にある文が経営するカフェ<calico>。
店自体はセットだそうだが、建物や街の雰囲気、それに店内の内装なども、実に作品と合っていて感心する。内装といえば、部屋に置かれた書棚にカズオ・イシグロやマキューアンが並んでいたり、隅々に生活感があったりとか、気づかないような小道具にも目が届いているのはさすが李相日組。
撮影で特徴的だったのは、被写体深度を浅くして、ピントが合う範囲をかなり限定するショットが多いことだ。
たとえば、更紗と文が並んで会話する普通のシーンでも、広瀬すずに焦点が合い、松坂桃李がすこしボケ気味になっていることさえある。背後から近づいてくる人物がすぐに分からないようなショットも多い。
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また、露出アンダーで、文の顔が暗くてほとんど見えず台詞だけが聴こえるようなシーンもあった。これらは、台詞や登場人物の内面に没入する意味で、効果的だったように思う。
天候などの自然現象の巧みな取り込みは、撮影のホン・ギョンピョによる仕事だろう。水中から湖畔を写すショットが『パラサイト 半地下の家族』っぽいなと感じていたら、これも彼の撮影作品だった。
キャスティングについて
さて、キャスティングについてだが、まず10歳の更紗を演じた白鳥玉季。私見では原作イメージ通り。もっと小さい頃から子役で活躍中だが、『永い言い訳』(西川美和監督)や『ステップ』(飯塚健監督)の頃からは、当然ながら日に日に成長していて、今回、文が恋愛感情を抱く対象として、ギリギリ成立するか。
大物子役の白鳥玉季でもオーディションなのは出来レースなのか知らんが、さすがに天才子役。配役に文句なし。ただ、宮崎あおいの少女時代の役と言われた方が、納得感ある?
そして、広瀬すずは大人に成長した更紗を演じる。李相日監督作品は『怒り』(2016)以来だが、監督の期待に応えきれなかったと彼女がよく語っている苦い記憶は、本作で上書きできたか。その後、朝ドラ『なつぞら』主演をはじめ女優として多くの経験も積み、今回の難しい役どころをきっちり演じられていたのではないかと傍目には思えたが。
本作序盤でファミレス店員で働くシーンの更紗などは、一瞬、広瀬アリスに似せに行っているようにも見えた。大人になった更紗に広瀬すず。李相日監督の傑作『悪人』で主演の妻夫木聡がそうだったように、彼女が魅力である笑顔をほぼ封印して臨む本作は、キャラクターの深みを引き出せたのではないか。
そして、大人の女性に恋愛感情を持てない佐伯文に松坂桃李。これは、人によっては原作イメージとだいぶ異なる意外な配役にみえるかもしれない。だが、おそらく、その違和感は雨の公園のファーストショットで払拭されるのではないか。
そこにいるのは『孤狼の血Level2』(白石和彌)の荒くれ者・日岡刑事でもなければ、『あの頃。』(今泉力哉監督)の能天気な学生でもない。寡黙さやストイックさでは『空白』(𠮷田恵輔監督)の主人公に近いか。
だが、今回はスリムな体躯をさらに(本人曰く、植物のように)絞り込み、ひたすら温厚で、沈着冷静で、ひとり苦悩する若者を演じきる。松坂桃李の演じる文には、説得力があったと思う。
そしてもう一人、桃李と同じく戦隊ヒーロー出身のイケメン俳優、横浜流星が、更紗の婚約者の中瀬亮を演じている。この中瀬亮は、世間と同様に更紗をかわいそうな被害者としか見られず、田舎の両親も、そんな彼女でも許してくれるから結婚しようという、典型的な固定観念のDV男。
この憎まれ役を横浜流星が体当たりで演じている。原作ではどうしようもないゲス野郎だが、彼が演じることで少なからず魅力的にみえてしまうのは、はたしてよいのかダメなのか。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見・未読の方はご留意願います。
原作との違いあれこれ
若干うろ覚えだが、原作との比較をしてみたい。物語の舞台については今回、松本や長野のロケ地選択は奏功していると思う。普段見慣れない光景も多く、新鮮だ。
文の住むマンションは、原作ではもっと豪華で新しい建物だったように思うが、映画では若干年季が入っている。階段状になったベランダの構造がいかにも映画向き(『エヴァ』のミサトさんのマンション風)で、隣室同士の会話も絵になる。だから採用したのだろうな。
幼い更紗と出歩いている文が、通報され逮捕されるという重要なシーンの場面設定を、動物園から湖畔に変更している。湖畔の美しさに加え、逃げ場のない中でぎゅっと更紗の手を文がつかむアクションにも、一層意味合いが強まったようで、この変更もよいアイデアだと思った。
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一方で、主要メンバー以外の登場人物のキャラクター描写には、時間の制約もあろうが、かなり物足りなさがあった。「亮には暴力をふるって前の婚約者が逃げた過去があるよ」と教えてくれた中瀬亮の従妹は、原作ではもう少し好印象だった。
原作ではDV男の怖さやしつこさを教えてくれるファミレス同僚の安西佳菜子(趣里)や、更紗の仕事ぶりを高く評価し、自身の妹もDV被害者だったという店長(三浦貴大)も、映画ではそこまで更紗の味方としての強い主張はなかったのではないか。
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文と恋人同士のようでそういう関係にはなれなかった谷あゆみ(多部未華子)も映画ではただの無理解な恋人。メンタルクリニックの患者同士という設定も消えた?
calico下階のアンティーク店主(柄本明)にも、店をもう近々畳む予定だから、無料でバカラグラスを更紗にあげるという説明がないので、わかりにくい(強引に売りつけたようにも見える)。
要は、本作は更紗と文を孤立させ、二人が求めあうように、原作以上に周囲を理解のない敵ばかりに仕立て上げているように感じた。それは映画的には効果的かもしれず、好き嫌いが分かれるところだろうが、原作で気に入っていたキャラが捏造されたような気持ちが生じたのは否めない。
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冒頭、文が一人でいる公園にほかの児童が、「今日も、あのロリコン男がきている」といって警戒する場面や、亮から逃げてあちこち家探しした結果、更紗が内緒で文の隣に引っ越してくる経緯を映画ではバッサリ割愛しているので、原作未読の観客は少し戸惑うかもしれない。
文と更紗の魂のぶつかり合い
文は更紗を部屋に招き入れ、彼女を親戚一家と暮らす苦境(そこの息子が毎夜襲ってくる)から救い出した。彼は、幼女に悪戯をしたわけでもない。だが、幼女を保護者に無断で何カ月も同棲したことは客観的な事実であり、手放しで善人といえるものでもない。
多部未華子の演じたカノジョのように、文という人物を、やはり気持ち悪い、受け容れられないと感じる人もいるだろう。凪良ゆうも李相日も、それを承知でこの作品に向き合っている。
追い詰められた文が、時を経て再び警察の手によって、理不尽な責めを負わされそうになる。ここで、彼は本作で初めて、自分の感情をむき出しにして吠える。この瞬間の彼の心情には、胸に迫るものがある。
「母さん、ボクははずれだった?」
終盤のcalico店内での意外な展開は、原作とは異なるものだったように思うが、ここは見た目の驚きを忘れて、文と更紗の魂のぶつかり合いの演技に集中したい。