『蜜蜂と遠雷』考察とネタバレ|音楽の神様に愛される者を、映画の神様も愛してくれるだろうか

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『蜜蜂と遠雷』

演奏の一音一音を文字に書き起こした恩田陸渾身の原作を、どのように映像化するか、勇気ある挑戦だ。言葉による表現力が原作の醍醐味であり、それを言葉を借りずに音や映像で伝えることは相当な苦行であったはず。

公開:2019年  時間:1時間59分
製作国:日本
  

スタッフ
監督:      石川慶  
原作:      恩田陸
         『蜜蜂と遠雷』

キャスト
栄伝亜夜:    松岡茉優
高島明石:    松坂桃李
マサル・カルロス:森崎ウィン
風間塵:     鈴鹿央士
嵯峨三枝子:   斉藤由貴
小野寺昌幸:   鹿賀丈史

勝手に評点:3.0
(一見の価値はあり)

(C)2019 映画「蜜蜂と遠雷」製作委員会

ポイント

  • この恩田陸原作を映画化しようとは、石川慶は相当高いハードルがお好きな監督なのだろう。ピアノコンクールの取り扱いは見事なもので、物語にも破綻はないが、コンテストの盛り上がりにはちょっと欠けたなあ。

あらすじ

若手ピアニストの登竜門である芳ヶ江国際ピアノコンクール。

母親の死で表舞台から消えた元天才少女・栄伝亜夜(松岡茉優)

ジュリアード音楽院に在学し人気実力を兼ね備えたマサル・カルロス(森崎ウィン)

今は亡き“ピアノの神様”の推薦状を持ち現れた謎の少年・風間塵(鈴鹿央士)

そして楽器店で働きながら夢を諦めないサラリーマン奏者・高島明石(松坂桃李)

4人のコンテスタントの戦いが始まる。

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レビュー(まずはネタバレなし)

映画化の難しい原作

言わずと知れた、直木賞と本屋大賞のW受賞を果たした恩田陸の大ベストセラーが原作。

各コンテスタント(コンテスト出場者)の演奏の一音一音を文字に書き起こして表現し、音楽の魅力と奏者の思いを読者に伝えることに心血を注いだであろう、あの原作をどのように映像化するのか

それが、最大の難所であることは容易に想像がつく。

原作を映画化する場合、小説家が苦労したであろう部分を、映画では比較的容易に、分かりやすく表現できてしまうことが割とある。

写真や絵画といった映像がキーになるもの、或いは音楽や音響もその一つだろう。

ところが、今回は言葉による表現力が原作の醍醐味であり、それを言葉を借りずに音や映像で伝えることは相当な苦行であったはず。

石川慶監督や制作者の面々は、それを仕上げてみせた、それも2時間枠に収めて、というのは称賛に値する。

(C)2019 映画「蜜蜂と遠雷」製作委員会

クリーンな戦いは見せ場が難しい

ほかにも難しい点はある。

四人のコンテスタントはそれぞれ明確にキャラが立っているが、みな善人なので、いがみ合いとか潰し合いとかのドロドロした争いはなく、クリーンな戦いなのだ。

映画ではさすがにそこに物足りなさを感じたのか、マサルに少し尊大な雰囲気を出したり、ジェニファ・チャン(福島リラ)を原作以上に悪役に仕立てたり、工夫していたように思う。

当然みんなピアニストなので、『のだめカンタービレ』のように楽器の違いもコメディタッチも許されず。

更には基本的な映画の流れは、予選からリハ・本選と何度も演奏が続くだけなのだから、単調にならないようにするのは大変だったはず。

演奏シーンに関しては、私はピアノについては素人なので、特段の違和感は感じない。

当然プロによる演奏と切り替えているのだろうが、編集やカメラワークにさしたる不自然さはない、というかとても上手だった。おかげで、演奏に集中できた。

なお、四人のキャストはそれぞれ役柄に合わせていたので原作との違和感もなかったし、特に松岡茉優松坂桃李は、普段よりも抑制を効かせた演技がさすがだった。

映画『蜜蜂と遠雷』特報【10月4日(金)公開】

レビュー(ここからネタバレ)

原作のボリュームを考えれば、いろいろ削除や変更する箇所がでてくるのは必然だが、いくつか私が気になった点をあげてみたい。

マサルと亜夜の再会

時間の都合だろうが、幼馴染の二人が偶然再会するまでにはもう少しそれぞれの人物描写があって、だからこそ驚きが効果的なのだが、映画ではやや唐突だった。

また、原作で二人がレッスンを受けていた先生は、映画では亜夜の母になっていた気が。どちらもピアノの先生で、かつ亡くなっていたから、同一人物にしてしまったのだろうか(私の聞き落としかも)。

亜夜の親友の奏という役

この役は残念ながら登場しない。まあ仕方がないところ。

奏がいないので、亜夜が練習用にピアノを借りるのが、明石の紹介の楽器修理工場になるが、ここでの亜夜と塵と月光を浴びた連弾はとても美しいシーンだ。まさに荒城ならぬ工場の月である。

ここでの修理職人の眞島秀和とか、明石の妻の臼田あさ美は短い出演ながら存在感があったが、石川慶監督の代表作『愚行録』での不気味な役どころを思い出し、ちょっとヒヤッとする。

(C)2019 映画「蜜蜂と遠雷」製作委員会

塵の失格さわぎ

塵の演奏が演奏条件を充足していないのではという失格さわぎも映画では取り上げず。これも仕方ないかと。

ところで、題名にもつながる、塵と蜜蜂との関係は、映画ではあまり語られなかった気がする。セリフとして「父は、ようほうか(養蜂家)です」と塵が語るが、字幕なしだと<蜂>が思い浮かびにくい。

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明石の扱いが雑

明石が途中で選考に漏れるシーンは、原作ではとても盛り上がる部分だったと記憶している。ここは映画では極めて素っ気ない扱いだった。そもそもライバルではない扱いだ(まあその通りなのだが)。

例えば、明石は昔から亜夜の演奏のファンだけど、亜夜も彼の予選での演奏を覚えていて好きというところとか、落選したけど、明石は菱沼賞(日本人作曲家演奏賞)を受賞するところとか、見せ場をあげてほしかった。

雅美(ブルゾンちえみ)との友情も、あまり伝わらなかった。

(C)2019 映画「蜜蜂と遠雷」製作委員会

審査結果の通知、審査員の面々

途中に何度かある審査通過のシーンは、丁寧に読み上げてほしかった。四人以外の演奏者の存在が希薄だし、ジェニファ・チャンもただの悪役になっている。

途中の審査結果通知が繰り返されるからこそ、最後の結果のあのような淡泊な見せ方が際立つように思う。

審査員構成には国際性を感じたが、嵯峨三枝子(斉藤由貴)ナサニエル(アンジェイ・ヒラ)が元夫婦というのも、別に話を広げないのなら冒頭で匂わせなくてよい。

また、二人がコンテスタント演奏中に会話しているのは、この世界では日常的なのだろうか(映画館ではいつも予告編の時に叱られているので気になった)。

以上、つい重箱の隅ばかり突いてしまったが、この原作をきちんと映画として成立させていること自体、とても素晴らしい。

月光を浴びた連弾、幼馴染同士の連弾、演奏する亜夜のピアノに映り込む幼い日の母とのレッスン等、美しいシーンも多く見られた。

指揮者の小野寺(鹿賀丈史)のように、原作よりも思いっきり膨らまして、緊張感のあるキャラを登場させたのも効果的。

馬のギャロップと雨だれから始まる2時間の体験は、なかなか得難いものだった。

以上、お読みいただき、ありがとうございました。原作未読な方はぜひ。