『岸辺の旅』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『岸辺の旅』今更レビュー|黒沢清で泣けることもある

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『岸辺の旅』

湯本香樹実の原作を黒沢清監督が映画化。死んだ夫が戻ってきて、死後の軌跡を遡る旅に妻を誘い出す。

公開:2015 年  時間:128分  
製作国:日本
 

スタッフ 
監督:     黒沢清
原作:     湯本香樹実
        『岸辺の旅』

キャスト
薮内優介:   浅野忠信
薮内瑞希:   深津絵里
島影:     小松政夫
神内:     千葉哲也
神内フジエ:  村岡希美
松崎朋子:   蒼井優
星谷:     柄本明
星谷薫:    奥貫薫
星谷タカシ:  赤堀雅秋
星谷良太:   藤野大輝
瑞希の父:   首藤康之

勝手に評点:4.0
(オススメ!)

(C)2015「岸辺の旅」製作委員会/COMME DES CINEMAS

あらすじ

三年前に夫の優介(浅野忠信)が失踪した妻の瑞希(深津絵里)は、その喪失感を経て、ようやくピアノを人に教える仕事を再開した。

ある日、突然帰ってきた優介は「俺、死んだよ」と瑞希に告げる。「一緒に来ないか、きれいな場所があるんだ」との優介の言葉に瑞希は二人で旅に出る。

それは優介が失踪からの三年間にお世話になった人々を訪ねていく旅だった。旅の中でお互いの深い愛を改めて感じていく二人だったが、瑞希が優介に永遠の別れを伝える時は刻一刻と近づいていた。

今更レビュー(ネタバレあり)

俺はもう死んでいる

この作品は既に何度か観ているのだが、観るたびに感極まる度合いが増していくのは、自分が歳をとってきたからだろうか。黒沢清の映画に、泣かされるとは想像しなかった。

カンヌ国際映画祭では「ある視点」部門に出品され監督賞を受賞。とはいえ、黒沢作品の中では、あまり人気のある作品ではないようにも思う。それは、観る者が本作に黒沢清の映画の怖さを求めてしまっているからではないか、と勝手に推測している。

本作は湯本香樹実による同名原作の映画化だ。相米慎二湯本の原作を映画化した『夏の庭 The Friends』でもそうだったように、彼岸の世界を独自の世界観で綴ったこの原作は、夫婦の魂の繋がりを描いている。

愛の物語であり、そこに本来ホラー要素はないのだが、黒沢監督の手にかかると、自然とどこか怖くなってしまう。だからホラー前提で観ると、ダルな作品に思えてしまうのだと思う。

本作は、失踪した夫を三年の間待っている妻のもとに、死んだ夫が戻ってきて、一緒に旅に出る物語だ。夫は幽霊というよりは、普通に電車に乗ったり人と会話もできるので、ゾンビみたいな存在といえる。

冒頭で、主人公の瑞希(深津絵里)が児童にピアノを教えるシーンでは、早くも黒沢監督お馴染みの風に揺れるレースのカーテンが登場し、不穏な空気が映画に漂う。

そして彼女が孤独にキッチンで白玉を作っていると、暗い居間にカメラがパンし、そこに優介(浅野忠信)が現れる。

それも照明もない暗い部屋の奥から、橙色のステンカラーを羽織った男が、静かに姿を見せるだけだ。下手をしたら、喋り出すまで気づかないほどの目立たない登場。

「お帰り。優介、靴!」「あ、そうか」

まだ、何の説明もないが、この男が異世界の住人であろうことは感じ取れる。

「俺死んだよ、富山の海でね。身体はもう、蟹に喰われて無くなってる」

原作では必要だったが、映画にはもはや、こんな説明台詞は不要だったかもしれない。優介の佇まいと瑞希の反応で、彼がそういう存在であることは分かる。そして夫婦は、優介の死後の軌跡を遡る旅に出かける。

(C)2015「岸辺の旅」製作委員会/COMME DES CINEMAS

小松政夫の新聞配達所

本作は、優介が各地で世話になった人々の住む町に夫婦で巡るロードムービーだが、最も印象に残っているのが、最初の訪問地である、JR御殿場線の谷峨駅近辺だ。

ここで新聞配達店を営む老人・島影さん(小松政夫)と再会する。島影さんの家に厄介になり、みんなで食事をしたり仕事を手伝ったり。この時点では、まだ二人の旅の目指すものや、優介の過去が何も分かっていない。

(C)2015「岸辺の旅」製作委員会/COMME DES CINEMAS

人情ドラマなのか、モダンホラーなのか、小松政夫のまったくヒントを与えない演技。人懐こい好々爺にもみえ、急に不機嫌になる頑固爺にもなる。ただでさえ、浅野忠信が善悪どっちにぶれるか分からない俳優なのに、話の方向性がみえないスリル。

小松政夫はコメディアンとして映画にも多数出演しているが、こういう役への起用は珍しい。味もあるし、絶妙の配役だ。『寝ても覚めても』(2018、濱口竜介監督)の仲本工事の起用を思い出した。

(C)2015「岸辺の旅」製作委員会/COMME DES CINEMAS

優介と同様に死んでいるのに、本人は気づいていない。家を出て行った妻につらくあたった自分を責め、優介に慰められて家路につく。ゾンビ同士で背負い背負われ、こんなしんみりした黒沢映画があったか。

翌朝、島影さんが成仏したあとの新聞配達の事務所や、寝室の壁一面に貼られた花の切り絵(新聞チラシ)が、彼の過ごした何年もの時の経過でいっきに風化している。このエイジング処理の仕事ぶりが素晴らしい。

(C)2015「岸辺の旅」製作委員会/COMME DES CINEMAS

ロケ地選びの妙もあるが、この風化処理の巧みさは黒沢組ならではだろう。だが、その出来が良すぎることで、このエピソードが、ホラーの印象を強めてしまったのは混乱要因。

大衆食堂で餃子づくり

続いて訪れたのは、街道沿いの大衆食堂だ。かつて無銭飲食したのがきっかけで、ここで働かせてもらったという優介。人の善い店主の神内(千葉哲也)と妻・フジエ(村岡希美)のもとで、再び厨房で餃子づくりを手伝わせてもらう。

「ねえ、二人でここに住まない? 私、今が一番好きかも」

瑞希はこの町や食堂夫婦が気に入ったようだ。神内夫妻はどちらも、死人ではない。

映画『岸辺の旅』予告編

だがある日、瑞希は店の古いピアノを弾いてしまったことで、フジエの亡くなった幼い妹との古傷に触れてしまう。

フジエがずっと妹に謝りたかったこと、そして幼いままの姿で現れてピアノを弾く妹。瑞希が子供相手のピアノ講師である設定も、ここで生きてくる。

ただ無言で演奏する妹と、じっとみつめて涙をこぼすフジエ。何の会話もない演出がいい。このあたりから、本作はホラーでないことに確信し始める。

浮気相手との対決

次は予想外の展開だ。優介の浮気相手からの手紙を、瑞希は大事に持ち歩いている。その怒りが生きる元気を与えてくれるらしい。

バスでの痴話喧嘩のあと、彼女は東京に戻り、その相手・松崎朋子(蒼井優)の勤める病院を訪ね、彼女と対峙する。ひとりの男を巡る女二人の対決は、表向きは静かな会話であるが、ともに戦意剥き出しである。

(C)2015「岸辺の旅」製作委員会/COMME DES CINEMAS

思えば蒼井優の出番はこの短い会話シーンだけであるにも関わらず、強烈な印象を残す。自分も結婚しており、もうすぐ子供も生まれ退職予定であるという朋子。

「これから先は平凡な生活だけ」という朋子に、何も言い返せなかった瑞希。

姿を見せない優介を呼び出そうと、瑞希が家で再び白玉を作り始めるところが妙におかしいし、それに釣られて現れる優介も、ドラえもん(どら焼き)かハクション大魔王(ハンバーグ)のようで面白い。

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死んだ夫がまとわりつく妻

そして旅は最後の訪問地へ。そこには、星谷老人(柄本明)が、失踪した息子の嫁である(奥貫薫)と孫の良太(藤野大輝)と暮らしている。

優介はこの村で、寺小屋塾のようなものを開き、住民たちに宇宙科学について講義をしていた。

(C)2015「岸辺の旅」製作委員会/COMME DES CINEMAS

失踪したという夫のタカシ(赤堀雅秋)は、もはや気力も体力も弱り、この世に長くはいられない状態だったが、妻の薫に付きまとっていた。

それは薫のためにならないと、優介はタカシにいい加減に成仏するように諭す。だが、それは、まだ元気とはいえ、自分のことでもあると気づく。

この村には、滝の中に彼岸に通じるトンネルがあり、瑞希はそこで、昔に亡くなった父とも再会する。

深津絵里『ステキな金縛り』(2011、三谷幸喜監督)でも、亡き父の霊と出会ったり、落ち武者と交流したりと、霊界と繋がっていたのを思い出す。落ち武者の子孫が浅野忠信だったことも、本作と重なる。

映画『岸辺の旅』特報

また、会おうね

さて、長いように見えたこの旅にも終わりが来る。

優介は「そういうことは難しいんだ」といっていたが、ついに二人はおずおずと服を脱ぎ、互いを労りながら優しく抱き合う。

黒沢清作品にベッドシーンは珍しいが、けして大胆でも激しくもないこの裸の抱擁シーンは、夫婦愛が細やかに感じられて温かい。

そして唐突に別れが来る。

「もっときれいな場所があるんだ」と優介が言い出すと、楽しそうに会話をしていた瑞希が表情を変える。

「行かないといけないの? そんな所、行かなくていい…、うちに帰ろうよ。一緒に帰ろうよ」

静かに、泣きそうに言葉を絞り出す深津絵里。ここは心臓を鷲掴みにされる。

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そして、彼女が最後に語る一言は、ただただ優しい。

「また、会おうね」

これを無理して笑顔で告げるのだ。そこがいい。

深津絵里、さすがの演技。このシーンは、私にとっては『悪人』に匹敵する名場面になった。この辺のやりとりは、湯本香樹実の原作にはない、脚本の妙だといえる。

最後には、優介はカットを割った途端に急に消えてしまう。彼らの最後はそういうものなのだ。

『回路』(2001)の頃の黒沢清監督なら、ここは徐々に薄くなったり霧になったりという特殊効果に走りそうだが、あえて原始的な手法に出ている。その呆気なさが、かえって切なさを誘う。

黒沢映画、不穏な空気がなくてもいい作品になっている。これは大きな発見だった。