『パワー・ オブ・ ザ ・ドッグ』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『パワー オブ ザ ドッグ』考察とネタバレ|犬死にセ・シ・ボン

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『パワー・オブ・ザ・ドッグ』 
The Power of the Dog

ジェーン・カンピオン監督が12年ぶりに放つ西部劇の問題作。現代のウェスタンには、ガンファイトもお尋ね者も登場しない。

公開:2021 年  時間:128分  
製作国:イギリス
  

スタッフ 
監督:    ジェーン・カンピオン
原作:    トーマス・サヴェージ
キャスト
フィル・バーバンク: 
    ベネディクト・カンバーバッチ
ジョージ・バーバンク: 
        ジェシー・プレモンス
ローズ・ゴードン: 
       キルスティン・ダンスト
ピーター・ゴードン: 
    コディ・スミット=マクフィー
ローラ:  トーマシン・マッケンジー
ルイス:  ジェネヴィエーヴ・レモン
州知事:    キース・キャラダイン

勝手に評点:2.5
      (悪くはないけれど)

(C)Netflix. All Rights Reserved.

あらすじ

大牧場主のフィル・バーバンク(ベネディクト・カンバーバッチ)と弟ジョージ(ジェシー・プレモンス)の兄弟は、地元の未亡人ローズ(キルスティン・ダンスト)と出会う。

ジョージはローズの心を慰め、やがて彼女と結婚して家に迎え入れる。そのことをよく思わないフィルは、二人やローズの連れ子のピーター(コディ・スミット=マクフィー)に対して冷酷な仕打ちをする。

しかし、そんなフィルの態度にも次第に変化が生じる。

レビュー(まずはネタバレなし)

これは西部劇なのか

ジェーン・カンピオン監督は『ピアノ・レッスン』(1993)で女性監督として初のカンヌのパルムドールを受賞した映画人である。

世界的に認められた女性監督の第一人者といってよい彼女にとって、実に12年ぶりとなる本作は、劇場公開しない作品を排除し始めたカンヌの選から外れ、流れたベネツィアで銀獅子賞に輝く。現時点、アカデミー賞作品賞の有力候補のひとつになっており、日本では一部劇場で限定公開されたNETFLIX配信作である。

こういった前知識を踏まえて観ると、なるほど映画祭審査員受けしそうな作品だというのは分かる。社会の偏見の中での息苦しさを語り、多様性について考えさせる。

粗野で男性的なイメージで描かれてきたこれまでの西部劇とは一味違う繊細なタッチ、そして西部開拓時代を思わせる古臭い女性蔑視のマチズモをひけらかす主人公。これらがジェーン・カンピオン監督の手によって作品に描かれると、女性監督ならではの目線とか表現とか、つい言い表してしまいたくなる。

(C)Netflix. All Rights Reserved.

だが、ぶっちゃけ、私は本作にあまり映画的な面白味は感じなかった。原作がトーマス・サヴェージの小説ということから、西部劇の期待値が高すぎたのかもしれない。

本作は1920年代のモンタナが舞台ではあるが、いわゆる西部劇とはだいぶ勝手が違う。ガンファイトもお尋ね者も登場しない。カウボーイの生活は、牛を移動させ、去勢し、乗馬の練習をして、家畜の世話をしてと、地味に生計を立てるものとして描かれている(これが現実なのだろうが)。

女性監督ならでは、という部分はあるのだとは思うが、別に映画監督は<女性>で一括りにできるほど単純な才能ではないだろうし。

映画は台詞よりも動きで語られることが結構多く、それ自体は好ましいことだが、スローペースなのが少し気になる。しかも話が盛り上がりかけると、次のチャプターに飛んでしまって拍子抜けする。原作は未読だが、仮に原作通りのスタイルだったとしても、映画化においては工夫の余地はあったと思う。

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牧場主の兄弟と食堂を営む母子

冒頭はナレーションから始まる。
「父が亡くなったとき、僕は母の幸せだけを望んだ。母を助けなかったら、僕はどんな男になるのだろう。もし、母を守れなかったとしたら」

父から譲り受けた牧場を経営する兄フィル・バーバンク(ベネディクト・カンバーバッチ)と弟ジョージ(ジェシー・プレモンス)の兄弟。

多くのカウボーイを差配するフィルは男性優位主義のマッチョな男で、風呂嫌いで粗野な人物だが、イェール大卒のインテリでもある。兄に太っちょと呼ばれ、いつもバカにされているジョージは、兄のような精悍さはないが好人物で常識人のようにみえる。

フィルが何かにつけて引き合いに出すのが、ブロンコ・ヘンリーなる人物。兄弟に牧場経営を教えてくれた人物のようで、言動からフィルが深く敬愛しているのが分かる。だが、ジョージのとらえ方は少々異なるようだ。

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』ティーザー予告編 - Netflix

兄弟が牧場の連中と訪れた食堂に、店を一人で切り盛りするローズ(キルスティン・ダンスト)と、その息子のピーター(コディ・スミット=マクフィー)がいる。

ピーターは登場シーンで、ペーパーフラワー作りをしている。この青年が、冒頭のナレーションの語り手だろう。なるほど、だからローズは未亡人なのだ。

ひょろっと背の高い体躯に端整な顔立ちにペーパーフラワー作りのこの青年が、フィルたち一行と気が合うはずもない。

「どんな女性が作ったのかと思えば、男が作ったのか」
侮蔑するカウボーイたち。乱暴に花を弄ぶフィルの指先。食堂で騒ぐフィルたちは卓上に飾られたピーターのペーパーフラワーを燃やして煙草に火を点け、周囲の客まで追い出す始末。

不穏な雰囲気で第一幕は終わるのかと思うと、ジョージはその晩(食堂には宿泊設備もある)「兄さんが息子をからかうから、ローズが泣いていたぞ」と文句をいう。

こうして、第二幕ではそんな人間関係がどうなるのかを味わう暇もなく、兄に無断でジョージはローズと結婚してしまう。

「その未亡人の女は、息子の学費目当てでお前と再婚するのに決まっているぞ」
とジョージにブチ切れるフィル。だが、食堂を売って母子は牧場に引っ越してくる。ここから、フィルによる弟の嫁いびりが始まるのだ。

(C)Netflix. All Rights Reserved.

キャスティングについて

フィル・バーバンクを演じるベネディクト・カンバーバッチは、これまではシャーロック・ホームズでも『ドクター・ストレンジ』でも、理屈っぽく神経質なタイプの役が多く、清潔好きな印象だ。そんな彼が「兄さん、臭うから風呂に入ってくれよ」と懇願ほどの薄汚い男を演じるのは面白いし、似合ってもいる。

ジョージ役のジェシー・プレモンスはかつてのマット・デイモンのそっくりさんからだいぶ離れてきた。NETFLIXでは『もう終わりにしよう。』や、正統派西部劇の『荒野の誓い』が印象的。

(C)Netflix. All Rights Reserved.

ローズ役のキルスティン・ダンストは、実生活でも彼の伴侶である。細腕ひとつで食堂をやっていた頃の元気なローズが、フィルのおかげで心労でアルコール依存症になっていく姿は、なんとも痛々しいが、キルスティン・ダンストは好演している。

ピーターのコディ・スミット=マクフィーは、X-MEN(新シリーズ)のナイトクローラーなのだが、あの時は顔が青かったからよく分からない。『モールス』でクロエ・グレース・モレッツと共演していた主人公の少年でもあるが、まだこんなに高身長じゃなかったし、記憶がつながらない。

でも、本作においては、ピーターの容姿から伝わる女性的な繊細さや、途中から見せ始める強い意思をもった眼力が、大きな意味を持つ。コディ・スミット=マクフィーの醸し出す、周囲から浮いたミステリアスな雰囲気が終盤の展開には不可欠だったので、彼は適役だと思う。

(C)Netflix. All Rights Reserved.

レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。

マッチョな男の正体

さて、姑にいじめられる嫁の昼ドラではないが、義兄のフィルは、婉曲にローズのピアノの下手さをいじったり、義兄さんと呼ぶなと無視したり、マッチョにしては随分小さい男だなあと思わせる。

そして、しばらく牧場から離れて大学生活を送っていたピーターが、しばらくぶりに家に戻ってくる。ローズは、息子がいないうちに、フィルのいじめで酒なしではいられない依存症になってしまい、夫のジョージは知ってか知らずか、何もできない役立たずだ。

(C)Netflix. All Rights Reserved.

ドラマがここまでくると、フィルとピーターの関係がどうなっていくかに関心が集まる。マッチョなフィルが白い布を抱き締め森の中で自慰行為をしている最中に、フィルは彼の隠れ家から、例のブロンコ・ヘンリーの裸の写真集を見つける。

フィルは、同性愛者だった。誰にも言えずにいたのだ。だが、彼がすがっているのは、亡き愛しいブロンコの匂いが残る白い布だけ。『ブロークバック・マウンテン』と違い、相思相愛のパートナーがいない。

映画は次の第四幕にいってしまい、そこでフィルは、みんながオカマ野郎と愚弄するピーターに、和解しようと声をかける。この心境の変化がよくわからない。秘密を知られると、迎合しようとするのか。だが、なぜかピーターはフィルと心を開き、次第に二人は親密になっていく。

遠くにみえる山を眺めて、牛以外に見えるものがあるか。かつてブロンコがフィルに尋ねた言葉だ。これまで、フィル以外に言い当てられた者はいなかったが、ピーターはそれを正しく答えた(ここの映像表現はよくできていた)。この一点で、フィルはピーターに運命的なものを感じたはずだ。

ある意味、正当な西部劇かもしれない

ここからは更にネタバレになる。というか、ほとんど結末を語ってしまうのでご注意願いたい

最後にフィルの葬式で映画は終わる。その死因は、なんと炭疽菌。病気の家畜から伝染するものだが、普段は牛の去勢も素手でするようなフィルでも、この炭疽菌だけは人一倍警戒していた。

だが、ピーターとふざけてウサギを捕まえる途中で手に傷を負った。それを見逃さなかったピーターは、以前に乗馬訓練ででくわした動物の死骸から採取した炭疽菌を、フィルがピーターに贈ろうとしている縄に使う皮を通じて伝染させたのだ。詳細が解明される訳ではないが、大方こんな内容だろう。

(C)Netflix. All Rights Reserved.

ピーターの死んだ父は医者だった。父の教えは、「障害物は取り除くものだ」。父を継いで医者を目指しているピーターは、彼なりの方法で、母を守ろうとしたのだ。冒頭の独白がよみがえる。

これは同性愛者の物語などではなく、マッチョな男を妖艶な罠にかけ、最後に始末する、若者の復讐劇だったのである。その点、本作は見た目ではなく、根っこの部分では西部劇なのかもしれない。

「剣と犬の力から、私の魂を解放してください」
原題は、聖書から引用されたものだ。無知な者たちの蛮行を犬の力といっているらしい。まさにフィルたちの愚行のことか。

このエンディングには、しっかりと序盤から伏線があちこち張られており、用意周到だったとは思う。だが、そういうジャンルの映画だと知らずに観ていた身には、ちょっと消化不良気味だ。静かに、しかも唐突に終わり過ぎたのが馴染めないのかもしれない。全体を通じて、どうもリズム感があわない作品だった。