『ドライビングバニー』考察とネタバレ|こうでもしなきゃ子供に会えねえ!

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『ドライビング・バニー』
The Justice of Bunny King

幼い我が子に会って、誕生日を祝いたい。そんな希望を叶えるために、バニーは自分の正義をふりかざす。

公開:2022 年  時間:100分  
製作国:ニュージーランド

スタッフ 
監督:       ゲイソン・サバット

キャスト
バニー・キング:   エシー・デイビス
トーニャ:  トーマシン・マッケンジー
グレース:       トニ・ポッター
ビーバン:     エロール・シャンド
アイリン:        シャナ・タン
トリッシュ:       タネア・ヘケ

勝手に評点:2.5
  (悪くはないけど)

(C)2020 Bunny Productions Ltd

ポイント

  • 不条理で厳しい現実の中で、仕事も家もなく、子供にもろくに会えないバニーがついに自棄になるのは分かる。だが、あまりに直情型で過激行動を繰り返す彼女には、素直に感情移入しにくいのが難点。

あらすじ

ある事情から妹夫婦の家に居候している40歳の女性バニー(エシー・デイビス)。幼い娘とは監視つきの面会しかできないが、娘の誕生日までに新居に引っ越して一緒に暮らすことを夢見て必死に働いている。

ある日、妹の新しい夫ビーバン(エロール・シャンド)が継娘トーニャ(トーマシン・マッケンジー)に言い寄っている場面を目撃したバニーはビーバンに立ち向かうが、家を追い出されてしまう。

住む場所まで失ったバニーは救い出したトーニャとともに、愛する娘を奪い返すべく立ち上がる。

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レビュー(まずはネタバレなし)

これが、彼女たちの正義

家なし、カネなし、仕事なし。そんな崖っぷちの40歳女のバニー・キングが、離れて暮らす子供たちに会うために、厳しい現実社会をルール無視で突き進んでいく。

どの辺が「ドライビング」なのかピンとこないが、原題で伝えたいのは「これが、私たちの正義」という生き様。頼もしいというより、何とムチャクチャな。

まずは冒頭、信号待ちで停車するクルマを相手にウィンドウを拭いてチップをもらう連中。停車を見計らっての洗車や花売りなどは、ここニュージーランド以外でも見かける光景だが、そんな若者集団のリーダー格の元気な中年女性、それが主人公のバニー・キング(エシー・デイビス)

The Justice of Bunny King - Official Trailer

彼女には息子ルーベンと幼い娘シャインという二人の子供がいるが、どうやら一緒に暮らせていない。規則で勝手に会いに行くことが禁じられているようだ。

はじめは、離婚して親権を夫に奪われ、決められた頻度でしか我が子に会えないという、よくある状況設定なのかと思ったが、どう勝手が違う。

バニーが見過ごせなかったもの

家庭支援局の担当者アイリン(シャナ・タン)がバニーに言い聞かせていることから類推すると、安定収入も住む家もないバニーは、子供たちと一緒に住むことが許されず、里親に勝手に会いに行くこともご法度のようだ。子供たちと会って話すときさえ、担当者の監視つき。

(C)2020 Bunny Productions Ltd

窓ふきのチップと生活保護のカネだけでは、家賃も高騰するなかでとても住む家などみつからない。バニーは妹のグレース(トニ・ポッター)の再婚相手ビーバン(エロール・シャンド)の家のガレージに住まわせてもらうことに。

これで子供たちに会える道が開けたようにみえたが、そのガレージの車内で、ビーバンが継娘トーニャ(トーマシン・マッケンジー)に言い寄っているのを目撃する。こうなると、バニーはもう黙っていられない。

本作の原題は”The Justice of Bunny King”<バニーにとっての正義>が状況を次々と悪化させ、子供と暮らすどころか、娘の誕生日を一緒に祝うことさえ、難しくしていく。

どんなに厳しい状況下でも、娘の誕生日くらい祝ってあげたいじゃないの。つべこべ言わずに会わせなさいよ! 母の愛の原動力で、バニーはひたすら突き進み、ドツボにはまっていく。

(C)2020 Bunny Productions Ltd

現代社会の中で破滅していく

本作はゲイソン・サバット監督にとっての長編デビュー作。ヒリヒリするような現実社会の不条理と痛み。

映画を作るにあたって、ゲイソン・サバット監督が影響を受けたのは『狼たちの午後』、『テルマ&ルイーズ』、『エリン・ブロコビッチ』、『わたしは、ダニエル・ブレイク』そして『スリー・ビルボード』だそうだ。

なるほど、破滅型の道を進む主人公、厳しい不況に喘ぐ現代社会、そして自分の正義を貫く行動原理。どれも本作への影響が見いだせる。

特にケン・ローチ監督作品とは、国こそ違えど社会のシステムの中で歯車が狂い、もがき苦しんでいる弱者を描いているあたりに共通点が多い。

幼い娘に会うためにルールを破ると言う点では、女性宇宙飛行士が主人公の『約束の宇宙』を思い出した。

キャスティングについて

『ババドック 暗闇の魔物』、『二トラム』エシー・デイビス『ラストナイト・イン・ソーホー』『オールド』トーマシン・マッケンジーの共演は楽しめたものの、母娘ではなく伯母と姪だったのは意外。

この二人が感情剥き出しでぶつかり合うわけではなく、言葉にしない信頼関係の距離感なのは悪くない。とはいえ、近年のトーマシン・マッケンジーの活躍ぶりからすると、本作の出番はちょっと物足りない。

さて、本作の評価の善し悪しは、バニー・キングの無茶な行動ぶりに共感できるか、或いは楽しめるかという点で左右されるのではないか。

我が子会いたさに暴走するのは仕方ないだろうと思えるか、いくら何でもドン引きだわとなるか。ちなみに私は後者だった。

レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。

やりすぎだよバニー

まず驚いたのは、トーニャ(トーマシン・マッケンジー)が継父のビーバン(エロール・シャンド)にガレージで性的な虐待を受けているのを見たバニーの反応。

すわ一大事と騒ぎ立て、トーニャを守ろうとするのは悪くない。だが、ビーバンの愛車にスプレーで悪口書いて、サンルーフ開けて放尿するのはどうなのさ

ガレージに住まわせてもらう話がなくなるのも無理はない。ビーバンが叫ぶ。

「あいつは、夫殺して服役してた女だぞ!」

そう。だからバニーは職探しにも苦労し、子供たちとも引き離されてしまったのだ。

(C)2020 Bunny Productions Ltd

会いに行っては駄目というのに、里親の家に行き無断で子供たちに会ってしまう気持ちは、さすがに分かる。

でも、娘の誕生日を祝うのに、ストアであれこれ物色したものを箱に入れて値札貼り替えて買ったり、同僚に居候させてもらった大家族の家を、自分が子供と暮らす為に借りた家だと偽って家庭支援局を騙そうとしたり。

更には、不動産屋の紹介物件のドアロックの番号を盗み見て、勝手にトーニャとそこに住んだりと、違法行為がエスカレートしていく。

THE JUSTICE OF BUNNY KING Trailer (2022) Essie Davis

こうでもしなきゃ、会えねえんだよ

自分が無断で会いに行ったせいで、子供たちはまた里親を移る羽目になり、誕生日を祝うために、バニーはトーニャを連れて、子供らの住む町に向かう。

だが住所までは分からず、ついには家庭支援局で窓ガラスを叩き割り、カッターナイフで脅かし人質をとり籠城する羽目に。

ここまで歯車がかみ合わず、全てが裏目に出てしまい、戻るに戻れなくなる人生は、かつては飲んだくれの男の物語と相場が決まっていた。

だが、昨今はダイバーシティ全盛の世の中だ。バニー・キングも、子供に会うために立て籠る。

「バニー、あなたが子供を思う気もちは分かる。だが、子供たちは我々が守る」

窓の外を包囲する警察官が彼女に訴えかける。でも、なぜ、彼女は自分で子供たちを守れないのか。夫を殺したのも、子供をDVから守るためだったのに。

「こうでもしなきゃ、子供に会えねえんだよ!」

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彼女は子供たちに会えるのか

警察に包囲されたオフィスの中には、バニーとトーニャ、そして人質となった家庭支援局の職員トリッシュ(タネア・ヘケ)。トリッシュは沈着冷静で、しかもバニーの置かれた状況も理解し、子供たちと電話で話す段取りまで進めてくれる。

誕生日を祝う母の電話に大喜びし、一緒にバースデイソングを歌う娘。ここは泣かせようと必死の演出で、ひねくれ者の私はちょっと作為的なものを感じた。むしろ、追い込まれた状況の母に、優しい言葉をかけてくれる息子のほうが泣ける。

誕生パーティ用にボンベで膨らませた風船が割れ、電話口の向こうで警察が銃声だと色めき立つ。不吉な兆候だ。この死亡フラッグを、有能な人質トリッシュが庇いきれるか。

(C)2020 Bunny Productions Ltd

以下ネタバレになる。ひと昔前の破滅型主人公の映画なら、最後は当然射殺されて終わっただろうが、本作には多少温情があった。やはり、母子の物語で狙撃されて幕切れというのは、あまりに酷いからか。

でもこの物語、トーニャも自分を心配してくれない母親に絶望したままだし、バニーの子供たちも結局里親との暮らしから当面は戻れないだろう。バニーは生き長らえたが、希望はまだみえない。

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日本でも、やることなすことが全て裏目に出て、追い込まれる主人公のドラマは珍しくない。だが、大抵その人物は普段はおとなしい善良な市民で、社会的なルール違反などとは縁遠いキャラだと思う。だからこそ、窮鼠猫を噛むような変貌を見せ、観る者の胸に迫るのだ。

それに慣れているせいか、バニーのようにすぐ過激行動に出てしまう主人公には、どうも手離しで共感できないそこが本作の最も歯痒い点だった。