『泣く子はいねぇが』
泣く子はいねえが、悪い子はいねが。男鹿に長年伝わるナマハゲに参加して起こしたしくじりがきっかけで、妻も娘も田舎も手放すことになった男を仲野太賀が熱演。金も、仕事も、自信も、自分も、何もない、こんな男でも、父親になれますか?
公開:2020 年 時間:108分
製作国:日本
スタッフ 監督: 佐藤快磨 キャスト 後藤たすく: 仲野太賀 桜庭ことね: 吉岡里帆 志波亮介: 寛一郎 後藤悠馬: 山中崇 後藤せつ子: 余貴美子 夏井康夫: 柳葉敏郎
勝手に評点:
(私は薦めない)
コンテンツ
あらすじ
秋田県・男鹿半島で暮らす、たすく(仲野太賀)に娘が誕生した。たすくが喜ぶ中、妻のことね(吉岡里帆)は子どもじみていて父になる覚悟が定まらない夫に苛立ちを募らせていた。
大みそかの夜、たすくは妻と「酒を飲まずに早く帰る」と約束を交わし、地元の伝統行事「ナマハゲ」に参加する。
しかし、酒を断ることができずに泥酔したたすくは、溜め込んだ日頃の鬱憤を晴らすかのように「ナマハゲ」の面を付けたまま全裸で街へと走り出し、その姿がテレビで全国に放送されてしまう。
ことねに愛想を尽かされ、地元にもいられなくなったたすくは逃げるように東京へと向かう。
それから2年、東京にたすくの居場所はなく、たすくの中に「ことねと娘に会いたい」という思いが強くなっていく。
レビュー(まずはネタバレなし)
ナマハゲって、児童虐待?
ndjc:若手映画作育成プロジェクト2015の修了生である、佐藤快磨監督の初長篇作品。監督の地元・秋田の伝統行事「ナマハゲ」を盛り込み、娘が産まれながらも離婚してしまった二人の若い男女のドラマを描く。
冒頭に映像制作者集団「分福」のクレジットが出るので、是枝裕和監督が企画に一枚噛んでいることが分かる。
◇
タイトルからも伝わるように、ナマハゲ映画である。勿論ホラーではなく、男鹿のナマハゲは、国の重要無形民俗文化財に指定されている、伝統文化だ。鬼ではなく、神様なのだ。
映画では、怖がらせるだけの存在ではなく、父親の責任の象徴としてとらえられている。
◇
とはいえ、ナマハゲは、大人が見ても怖い。さすが監督の思い入れが強いのか、ナマハゲ登場のシーンには、迫力がある。こんな連中が夜にいきなり家の中に入り込み、取り囲まれたら、子供としては泣きわめくだろう。トラウマになること必至だ。
これで子供に恐怖体験を記憶させ、しつけに役立てようというのか。今時の若い夫婦のご家庭には、受け容れられない気もする。ナマハゲの伝統存続にギバちゃんが苦労しているのも、肯ける。
レンタルなんにもない男
さて、本作は主人公の後藤たすく(仲野太賀)が、早朝から娘の出生届を男鹿市役所に提出に行く場面から始まる。愛情に溢れた家庭生活のスタートを予感させるが、待っているのは、妻・ことね(吉岡里帆)の厳しいダメ出しだ。
「届出内容間違ってる。何ヘラヘラしてんの。ちゃんとしようよ。なんも考えてないっしょ?」
酒にだらしないのか意志が弱いのか、たすくは妻との「飲まずに帰る」約束に反し、ナマハゲに参加して泥酔、地元TV局の生放送にお面を付けただけの全裸で闖入する。
◇
そして、二年後の東京に舞台が移る。たすくは妻と離婚し、ナマハゲも世間のバッシングで活動中止を余儀なくされたようだ。
この作品は、妻に愛想を尽かされ、地元にもいられなくなった男が逃げこんだ東京から、やはり妻と娘が心配で、郷里に戻って来る。
「金も、仕事も、自信も、自分も、何もない、こんな男でも、父親になれますか?」作品のキャッチコピーから想像するに、たすくは再びナマハゲとなって、妻や娘を取り戻す話なのだろうか。
もっと原動力がほしい
あれ、妻に見放され、娘の父親にもなれない、自信も自分もない男を仲野太賀が演じる。それって、先日観た『生きちゃった』と全く同じ構図じゃないか。太賀はこの手の役が余程好きなのか。
同作品との比較や本作のストーリー展開については次のネタバレの項に譲るとして、私が本作でずっと感じていた不満をひとつだけ言わせてもらいたい。
◇
この作品は、物語を進めていくだけの原動力が弱いのではないか。
少なくとも家族を愛しているようにみえる夫と離婚し、生まれたばかりの娘・凪をシングルマザーとして育てようとする、ことねの決心には相応の納得性がないとドラマが成り立たない。
だが、観る者が認識できた手がかりは、たすくがヘラヘラするお調子者でそそっかしく、酒癖が悪く公共の面前で裸でナマハゲを踊ったことくらいだ。
◇
いや、おそらくはこの反則行為でレッドカード即退場ではなく、累積したイエローカードがあるのだろう。
だが、それを観客の想像に委ねてしまうと、全裸行為ひとつで村には戻れなくなり一家離散となるたすくが、少々気の毒に見える。
◇
勿論、説明的な描写を極力最小化して、観る者の想像力で補わせる演出を好む監督も多いし、むしろその方が作品の芸術性は高いとさえ、私も思う。
だが、本作に、ラストにナマハゲを持ってきて最大に盛り上げようという意図があるのであれば、説明を極力排した路線で演出することは、その意図にフィットしていたのか。
ことねがあんなにまでたすくを拒む理由、たすくが娘も諦めて東京に逃げ出す理由が腹落ちしないために、せっかくの仲野太賀と吉岡里帆の熱の入った演技が、空回りしているように感じてしまう。これは、実に惜しい。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
東京から再び男鹿へ
さて、東京で生活するようになったたすくは、酒もたばこもやらず、酔いつぶれた仲間の若い娘(古川琴音)を部屋に泊めて、ひょっとして童貞ですかと迫られても、ストイックな暮らしを続ける。
それは、離婚したことねと三歳になる凪を、思えばこそ(琴音じゃなくて、ことねをまだ愛しているのだ)。
◇
そして、男鹿から上京してきた親友の志波亮介(寛一郎)から、ことねの父親が死に、彼女がキャバ嬢になっていると聞き、たまらず田舎に戻る。
公園で高層ビル街を二人で見上げて、「なんかあのビルの形、卑猥だな」と亮介がいうシーン。
並んだ二人を正面からとらえているので、ビルは映らないのだが、東京○○学園のことだろうと分かる。その後の別カットで西新宿と分からせるのは、珍しく説明的だ。
◇
田舎に帰ってからの周囲の人々の反応は様々だ。「みんな忘れたいのに勝手に帰って来るな」と突き放す兄の悠馬(山中崇)、「おめえのおかげでナマハゲ終わりだ」と地域の伝統文化を守ってきた夏井(柳葉敏郎)。
一方でたすくの良き相談相手・亮介と、ババヘラアイスを路上で売って家計を支える母・せつ子(余貴美子)。
ババヘラって、なにかピンクのアイスの原料名かと思ったら、ババアがヘラでカップに掬うからそう呼ぶらしい。これは説明なしなので、調べてみた。
◇
男鹿に戻ってからの展開は、秋田弁が本物すぎる柳葉敏郎や余貴美子といった個性派俳優に支えられ、なかなかに面白い。
ただ、養育費も慰謝料も払えないたすくが、亮介のウニ・あわび密漁を手伝ったり、やっと勤務先のクラブを探しあてたらことねには、けんもほろろに突き放されたり、母親がアイス販売中に倒れたりと、ドラマの流れとしては、つかみどころがない。
『生きちゃった』『コントが始まる』
さて、時を同じくして公開された仲野太賀主演の『生きちゃった』。
これは夫に愛想を尽かして娘を連れて離婚していく妻、自分の言いたいことも伝えられず、現実を受け入れるだけの主人公、そして相談相手は昔からの親友、という人物相関図がよく似ている。
◇
ラストシーンまで、或いは観終わってもスッキリとしない展開も同じだ。仲野太賀は、いずれの作品でも熱演を見せてくれる。
なので、最後まで観て胸に迫るものがなければ、それは監督の演出力か、観る者の感受性の問題か。私にはどちらの作品もイマイチ乗れなかったなあ、どちらに原因があるかは、客観的に判断できないけれど。
◇
それにしても、ここ最近、この手の邦画やドラマの出演者は妙に重複しすぎてはいないか。
例えば、今放映中のドラマ『コントが始まる』には、菅田将暉・仲野太賀・神木隆之介・有村架純・古川琴音がレギュラー出演している。この中から、最近公開された映画で何人が共演しているだろうか。
『花束みたいな恋をした』菅田×有村×古川
『るろうに剣心最終章』神木×有村
『泣く子はいねぇが』太賀×古川
もう少し遡れば
『タロウのバカ』菅田×太賀
『三月のライオン』神木×有村
もある。
などと考えてしまうのは、本作でも仲野太賀と古川琴音がせまいアパートで一緒にいると、ついドラマのシーンと混乱しそうになってしまったからだ。
◇
俳優に人気がでると、すぐに仕事が集中してしまうのは、当の本人やファンには喜ばしいことだろうが、個人的には、もっと裾野を広げて、多くの役者さんに声をかけてほしいと思っている。
ナマハゲがコントにならぬよう
閑話休題。もう一度チャンスをくれないかと、ことねに迫るたすく。だが、再婚も決まった彼女の心の中には、もうたすくはいない。
「もうキミじゃないって、決めたの。だから、忘れてほしい」
取り付く島もない。「キミっていうの、やめてよ」としか言えない、たすくが不憫だ。
◇
娘の凪には、新しい父親ができた。負けじと幼稚園の発表会にまで、カメラ持参で馳せ参じるたすくだが、悲しいことに、数年ぶりに会う自分の娘の顔が、判別できない。ここは泣かせる。
だが、そのあとがいけない。ギバちゃんの制止を振り切って、ナマハゲの姿で夜の街をさまよい、凪とことねが暮らす、再婚相手の実家へ。
◇
窓を叩き、さわぐナマハゲが誰か気づいたことねは、呆れながらガラス戸を開ける。
この後の展開は、私には読めなかった。これで彼女がたすくの愛を受け容れて抱き合ったら、それはコントだ。だが、突っぱねたら、映画にならない。さて、どうする。
たすくは、我が子に正体も知られぬまま、足長おじさんならぬナマハゲ父さんとして、娘を泣かせ、怖がらせるのだ。
周囲には、再婚相手の実家の大家族、そして凪の脇には余裕で娘をあやす新しい父親の姿。
「泣く子はいねぇが!」何度も大声で叫ぶたすく。
チャップリンの道化師のように、ナマハゲにもこんなに悲しい素顔があったか。泣いた赤鬼のようだ。
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太賀の『生きちゃった』では、決着を見せずに終わるラストに不満を持ったが、今回は観た後が悲痛すぎる。
せめて、たすくのお父さんが大切に保管していた、○○○だらけの『運動会』のビデオのことでも思い出して、気持ちを和らげよう。