『日の名残り』今更レビュー|クララとお日さまの映画化まで待てない貴方に

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『日の名残り』
The Remains of the Day

カズオ・イシグロのブッカー賞原作をジェームズ・アイヴォリー監督が映画化。アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンによる、執事と女中頭との信頼とほのかな恋心。ああ、これが英国流の節度ある恋愛か。元気なクリストファー・リーヴに再会できて嬉しい。

公開:1994 年  時間:134分  
製作国:イギリス
  

スタッフ 
監督:    ジェームズ・アイヴォリー
原作:    カズオ・イシグロ 
            『日の名残り』

キャスト
スティーヴンス:アンソニー・ホプキンス
ミス・ケントン:エマ・トンプソン
ダーリントン卿:ジェームズ・フォックス
ルイス:    クリストファー・リーヴ
スティーヴンスの父:ピーター・ヴォーン
カーディナル:    ヒュー・グラント
スペンサー: パトリック・ゴッドフリー
デュボン:   マイケル・ロンズデール

勝手に評点:4.0
(オススメ!)

あらすじ

1958年、オックスフォード。ダーリントン卿の屋敷で長年に渡って執事を務めてきたスティーブンス(アンソニー・ホプキンス)は、主人ダーリントン卿(ジェームズ・フォックス)の亡き後、屋敷を買い取ったアメリカ人富豪ルイス(クリストファー・リーヴ)に仕えることになる。

そんな彼のもとに、かつてともに屋敷で働いていた女性ミス・ケントン(エマ・トンプソン)から手紙が届く。20年前、職務に忠実なスティーヴンスと勝ち気なケントンは対立を繰り返しながらも、密かに惹かれ合っていたのだった。

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今更レビュー(ネタバレあり)

どっぷりと英国文学に浸る

近著『クララとお日さま』に早くも映画化の話がでているカズオ・イシグロ。彼がかつてブッカー賞を獲ったベストセラーを、英国文学といえばこの人といえるジェームズ・アイヴォリー監督が映画化。

そして主演は監督の前作にあたる佳作『ハワーズ・エンド』に続いてのアンソニー・ホプキンスエマ・トンプソン

10年以上前に観て以来だったが、さすがにこのメンバーの組み合わせによる絶大な安心感と包容力で、冒頭からどっぷりと当時の英国ムードに浸れる。

主人公である執事のスティーヴンス(アンソニー・ホプキンス)は長年、ダーリントン卿(ジェームズ・フォックス)に仕えていたが、戦後に主人は亡くなり、屋敷の主は米国人富豪のルイス(クリストファー・リーヴ)に代わる。

かつては大勢の執事や使用人を抱えていたダーリントン邸も、いまは大幅に人員縮小。

ひょんなことからルイスに休暇をもらったスティーヴンスは、ダイムラーを貸すから旅行して見聞を広めてきたらいいとルイスに薦められ、優秀だったかつての同僚、ミス・ケントン(エマ・トンプソン)を訪ねようと考える。折りしも、彼女から、再就職の希望を匂わせる手紙をもらっていたのだ。

屋敷の主が代わってもダーリントン邸と呼ぶあたりは、ハワーズ・エンド(これもハワーズの屋敷の意)に通ずるところか。

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原作のテイストは保ち、恋愛色をほんのり

カズオ・イシグロの原作にあった、英国が欧州諸国に対し戦後に置かれた立場への政治的な掘り下げ、ケントンに再会するまでの英国の風光明媚な旅路などはかなり割愛され、恋愛映画の色合いが濃くなっている印象(それでも一般水準からみたら相当淡いが)。

ただ、そうは言っても原作とさしたる違和感はなく、むしろ映画としてはテーマが絞り込まれていて、小気味良い感じを覚えた。

執事人生に誇りと情熱を持ち続け、常に品格を重んじるスティーヴンスアンソニー・ホプキンスは、これ以上ないはまり役。

『ハワーズ・エンド』では高圧的な一家の大黒柱を演じたが、今回は一転して徹頭徹尾、執事になりきっているのが面白い。勿論、ハンニバル・レクター的な怖さを見せそうな場面もない。

対するミス・ケントンエマ・トンプソンは、『ハワーズ・エンド』同様に、気丈で何でもてきぱき処理する女性であり、こちらもお似合い。時折、女性的な可愛らしさを見せたりもする。

ダーリントン卿にはジェームズ・フォックス。善良そうな英国紳士がぴったり来る。特に後半からダーリントン卿の生真面目さや人の良さがナチス・ドイツに利用される様子が強まってからの、彼の演技が良かった。

そして、新しい主人の米国人ルイスには、ご存知『スーパーマン』クリストファー・リーヴ。落馬事故で首の下が不随になったのが1995年、本作はその少し前の作品ということになる。

彼が颯爽と歩く姿を見て、胸が熱くなる。本作はカルト的人気のSF『ある日どこかで』と並ぶ、彼の代表作のひとつと言えるのではないか。

意外なところでは、ダーリントン卿の親友の息子で、彼を父親同然に慕っている青年カーディナルヒュー・グラントが演じている。あの若者に生命の神秘を教えてくれ、とダーリントン卿がスティーヴンスに指示する場面がある。このモテ男に性教育が必要とは、つい笑ってしまった。

Remains of The Day trailer

執事と女中頭との信頼関係

さて、本作はルイスに借りたクルマではるばるミス・ケントンを訪ねていく旅の途中で、ダーリントン邸での20年以上前の出来事をスティーヴンスが回想する構成になっている。そこは原作通りだが、回想のウェイトは映画の方が大きい。

スティーヴンスに負けず劣らず、女中頭のミス・ケントンも仕事一途で優秀だ。二人はプライドも高く、よくぶつかり合う。

スティーヴンスは優秀で経験豊富だが、堅物で柔軟性がない。おまけに相手の気持ちを解さない。そこにミス・ケントンが気を利かせてあれこれ世話を焼いたり助言したりしても、まったく噛み合わないことになる。

結局彼女が憎まれ口を叩いたり、冷戦状態になったりするのだが、そのやりとりは割と微笑ましく、互いに根っこには信頼関係があるので、観ていても嫌悪感はない。

食事のサーブ中に鼻を垂らしたり、庭で躓いて転倒するスティーヴンスの老父(ピーター・ヴォーン)、彼もケントンと同時期に屋敷に勤めるのだが、大事な会合の日に病気で亡くなってしまう

仕事の忙しさで親の死に目に会えない例は多いが、同じ屋敷にいて、しかもゲストの接客の為に駆けつけられないというのは、執事稼業のつらさなのだろうか。

アマチュアリズムは名誉か

さて、この重要な会合には、フランス政府を動かせるデュボン氏(マイケル・ロンズデール)をうまく説得し、ドイツを受け容れようという狙いがあり、それは成功する。

ここで、ひとりで異を唱え、四面楚歌となった米国のルイスが言い放つ。
「あなたたちは紳士だが、アマチュアだ。今日の国際問題はあなたたちの手に負えない」

それにホストであるダーリントン卿が応える。
「あなたがアマチュアリズムと蔑視するものを、我々は<名誉>と呼びます」

そして拍手喝采。

この場面は、ダーリントン卿の見せ場となっている。だが、歴史的にはここを境に、彼はナチスにいいように利用される売国奴となっていく。

結局は、後にジャーナリストになるカーディナルが語ったように、あの時のルイスの発言が正しかったのだ。名誉だけで動く呑気な紳士たちだけでは、国際問題は解決できない。

ところで、原作では屋敷の新しい主人である米国人はファラデーといい、会合にいたルイスとは別人物だ。映画では同一人物にしたことで全体としては分かりやすくなったと思うが、会合のシーンだけは少々残念。

ルイスをクリストファー・リーヴが演じたことで、彼本人のキャラクターから、発言が初めから正しく聞こえてしまうのだ。原作では、ルイスが敵のように描かれていて先が見えない点がよいのだが、ここはクラーク・ケント起用が裏目にでたか。

ケントンとの20年ぶりの再会

話を回想から旅行に移そう。旅の途中でスティーヴンスがダーリントン邸の名前をだすたびに、街の人はみな、あなたの主人は、あのナチスの手先か、英国を戦争に巻き込んだ男か、と聞かれ、評判は地に落ちている。

彼は、反発を恐れて、今はルイス様に仕えていて前の持ち主のことは知らない、とうそぶくしかない。

かつてカーディナルが、誤った方向に進んでいるダーリントン卿を正してあげるべきだとスティーヴンスに言った。

町で知り合った親切な医師も彼に、執事の幸せとは何か、あなたは主人が満足ならそれでいいのかと尋ねる。スティーヴンスは答える。私は過ちを正すのだ、と。

その過ちとは、ミス・ケントンを手離してしまったことか。旅のおわり、ついに二人は再会を果たす。だが、熱く抱擁するわけでもなく、20年ぶりの再会は、実に淡泊で落ち着いたものだ。いかにも二人らしい。

だが、二人の会話の様子をみていると、ようやく再会できた興奮が静かに伝わってくる。

思えば、ダーリントン卿がユダヤ人のメイドを解雇すると突如言い出し、食事の注文のように冷淡にそれを彼女に伝えたこと。

それならば私も辞めますと言ったが結局しり込みした彼女を、事あるごとに彼がからかったこと。

極めつけは、前の職場で一緒だった同僚に求婚されて、それを受け容れたと彼女が報告しても、儀礼的な祝福の言葉しかくれなかったこと。

スティーヴンスは、決して感情を見せず、気の利いたことも言えない。表面的には、いけ好かない男なのだろうし、実際そういう描かれ方だ。だが、二人の間には、秘かな信頼と愛情が存在していたのだ。

婚約の報告を受けたあと、実は動揺していたか、ワインセラーのワインを誤って割った後、泣いている彼女の部屋に入ってくるスティーヴンス。

だが、原作ではドアは開けず、彼女が泣いていると想像するだけなのだ。ここは、映画なのでワンランク、人間味を出してきたのかもしれない。

まあ、結局泣いている彼女に投げる言葉は、仕事で気づいた注意事項という、空気の読めなさではあったが。

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日の名残りの下で

長く語らった後、二人は20年の歳月の刻んだ溝の深さを認識しあう。結局、彼女は夫からは離れない。それに孫が生まれることが分かり、遠くダーリントン邸に勤めることも難しくなった。

もう二度と会えないだろうと思いながら、最後の会話を楽しむ。帰りたくないけれど、バスの時間が近づく。二人の年齢も人生の夕方にさしかかる中、日の名残りを迎える桟橋に照明が灯るシーンがはかなくも美しい。

雨のバスに乗り込みつないでいた手を離す。静かに泣くケントン。「好きだ」という台詞さえ、ない。こんなにも不器用な愛を二人の名優が演じるところが、この映画の醍醐味といえる。

旅が終わり、屋敷に戻ったスティーヴンスは、また張り切って仕事に精を出す。ルイスは屋敷に迷い込み出ようと天井でもがく鳩をつかまえ、窓から外に放ってやる。

自分も主人に屋敷から解放してもらったが、結局戻ってきてしまったと、スティーヴンスは感じていたのだろうか。

以上、お読みいただきありがとうございました。カズオ・イシグロの新作もぜひ。