『裏切りのサーカス』
Tinker Tailor Soldier Spy
ジョン・ル・カレのスパイ小説『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の静かな心理戦のテイストを損なわずに見事に映画化。ゲイリー・オールドマン演じる主人公の何とも渋いことよ。派手さとは無縁な傑作。二度見必至の覚悟で臨もう。
公開:2011 年 時間:128分
製作国:イギリス
スタッフ 監督: トーマス・アルフレッドソン 原作: ジョン・ル・カレ 『ティンカー、テイラー、 ソルジャー、スパイ』 キャスト ジョージ・スマイリー: ゲイリー・オールドマン コントロール: ジョン・ハート パーシー・アレリン(ティンカー): トビー・ジョーンズ ビル・ヘイドン(テイラー): コリン・ファース ロイ・ブランド(ソルジャー): キアラン・ハインズ トビー・エスタヘイス(プアマン): デヴィッド・デンシック ピーター・ギラム: ベネディクト・カンバーバッチ メンデル: ロジャー・ロイド=パック リッキー・ター: トム・ハーディ ジム・プリドー: マーク・ストロング オリヴァー・レイコン: サイモン・マクバーニー イリーナ: スヴェトラーナ・コドチェンコワ コニー・サックス: キャシー・バーク アレクセイ・ポリヤコフ: コンスタンチン・ハベンスキー
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
1960年代のロンドン。ある作戦の失敗でイギリスの諜報機関サーカスを引責辞職したジョージ・スマイリー(ゲイリー・オールドマン)に、ある日特命が下される。
それは、いまもサーカスに在籍する四人の最高幹部の中にいる裏切り者を探し出せというものだった。
二重スパイはかつての仇敵、ソ連情報部のカーラが操っているという。スマイリーは膨大な記録を調べ、関係者の証言を集めて核心に迫る。やがて明かされる裏切者の正体は?
今更レビュー(ほぼネタバレなし)
ひたすら静謐なスパイ映画
スパイ小説の巨匠ジョン・ル・カレによる、いわゆるスマイリー三部作の中から、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』を映画化したもの。
英国秘密情報部MI6を舞台にしたスパイ小説の映画化といっても、ジェームズ・ボンドに代表される派手なアクションや特製ガジェットや水着の美女がテンコ盛りのエンタメ作品とは、まったくの別カテゴリー。
◇
なんたって、ゲイリー・オールドマン演じる主人公のスマイリーは、切れ者ではあるが、作戦の失敗で詰め腹を切らされた、恐ろしく物静かな元情報部員の初老の紳士なのだ。
スパイでなくても、これだけ寡黙で華のない男を主役に据える映画は多くないと思うが、その静けさが、逆に不気味さと上質さを醸し出している。
一度観たくらいでは分からない
オススメ評点を付したものの、本作は相当に観る者によって好き嫌いが分かれる映画だ。地味で静謐な作品というだけではない。おそろしく難解なのだ。
原作の愛読者ならいざ知らず、一回だけの鑑賞で本作の深みは勿論、物語の満足な理解にまではとても到達しない。意図的にそうしているのだろう。
けして、芸術的すぎて意味不明なわけではない。一つ一つのシーンやカットには、恐ろしいほどに、いろいろな意味が隠されており、何度か鑑賞するうちに、それらが徐々に理解できるようになる。
◇
私は公開以来何度か映画は観ているし、原作も再読しているが、ようやく分かったような気になってきた。
つまり説明的な台詞や映像は極力排し、俳優陣の真に迫った心理戦の演技を中心に、いかに本作の面白味を伝えるか、そういうことに作り手はこだわっている。
トーマス・アルフレッドソンは『ぼくのエリ 200歳の少女』という美しく静謐な吸血鬼作品を撮った監督だが、本作にも同様の特徴は強く感じられる。
◇
何度も映画を観返して、新しい発見に喜びを見出すような人には、うってつけの作品だと思うが、一回目からすっきりした気持ちで観終わりたい御仁には、きっと相性はよろしくないこと請け合いだ。
組織の外で静かな男が動き出す
ハンガリーで亡命を望む将校に接触し、組織の中にいるという二重スパイ(モグラ)の情報を得ようとしていたジム・プリドー(マーク・ストロング)。だが、計画はなぜかKGBの陣営に漏れ、彼は背中から撃たれる羽目に。
MI6はその所在地がケンブリッジ・サーカスにあることから、サーカスと呼ばれているそうだ。そのチーフであったコントロール(ジョン・ハート)は、この失態の責任を取らされ、右腕のスマイリーとともに辞職。
毎度イアン・マッケランと誤認してしまうが、このジョン・ハート演じるコントロールがまた渋い。彼はまもなく病床で死ぬが、病死なのかKGBに毒でも盛られたか、判然としない見せ方である。
◇
さて、サーカスはその後、パーシー・アレリン(トビー・ジョーンズ)がチーフに就任し、幹部にはビル・ヘイドン(コリン・ファース)、ロイ・ブランド(キアラン・ハインズ)、トビー・エスタヘイス(デヴィッド・デンシック)が居座っている。
この中に、ソビエトと繋がっているモグラが潜んでいるはず。その正体を割り出せというミッションが、英国政府のオリヴァー・レイコン(サイモン・マクバーニー)から引退していたスマイリーに持ち込まれる。
この一件は、組織の外にいる者にしか頼めない。いよいよ、静かな男が動き出すのである。
『ミッション:インポッシブル』なら、今回の任務のテープが煙をだして消滅するまでのアヴァン・タイトルで済ましてしまう内容。それがル・カレの手にかかると、どうにかミッションは理解できても、頭の中は疑問符だらけだ。
スマイリーが仲間に引き入れるのは、若手のピーター・ギラム(ベネディクト・カンバーバッチ)とメンデル元警部(ロジャー・ロイド=パック)。なんとなく、人間関係と陣営を理解し始める。
退職後にメガネを新調するスマイリー。そのおかげで、スマイリーの掛けているメガネが新旧どちらか、死んだはずのコントロールが登場するかが、回想シーンと現在との見分けの助けとなる。
豪華な英国俳優陣
盗聴を防ぐために防音材に囲まれた密閉の会議室、ガラス張りの地下資料室からエレベータで届けられる機密書類、クラシックで落ち着いた雰囲気だが殺伐としたスマイリーの家。どれも映画の雰囲気に調和している。
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ゲイリー・オールドマンをはじめ、元上司のジョン・ハート、モグラの容疑者である、トビー・ジョーンズ、コリン・ファース、キアラン・ハインズ、デヴィッド・デンシック。
冒頭で撃たれたマーク・ストロングに、スマイリーの調査を助けるベネディクト・カンバーバッチ、そして汚れ仕事担当のスパイにトム・ハーディ。
なんと豪華な出演者陣だろう。コリン・ファース、マーク・ストロング、ベネディクト・カンバーバッチあたりは、その後サム・メンデス監督の『1917 命をかけた伝令』でも共演している。英国で大作を撮ろうとすると、俳優は自ずと絞られてしまうものなのか。
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ともあれ、助演男優勢はみな、サーカスの一員にふさわしい面構えであり、その演技を眺めながらモグラ探しに興じるのも悪くない。
モグラ探しだけの映画ではない
とは言ったものの、英国でのル・カレ人気を思えば、本作のモグラは一体誰かなどという犯人探しには、今更関心がないのかもしれない。
『オリエント急行殺人事件』のように、犯人なんてとっくに知ってますけど、何か?ってなもので、むしろそれを知ったうえで演出を楽しむのが、本場のお作法ともいえる。
日本ではそこまでこの原作が普及しているとは思えないが、知らない人は犯人探しを楽しめばいいし、知ってる人だって十分満喫できる作品だ。
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スパイアクションらしいドキドキの見せ場はどこかといわれると、冒頭のブダペストでのジム・プリドーの作戦失敗からの射殺のほかは、ピーター・ギラムがスマイリーの指示でサーカスの資料室から内部資料を無断持ち出しするシーンだろうか。
『万引き家族』みたいなこの犯行シーンが筆頭に出てくるほど、派手なアクションとは無縁なのだ。
ただ、スパイ同士の禁断の恋は、本作で唯一の男女恋愛シーン。伊達男リッキー・ター(トム・ハーディ)と敵国スパイ・イリーナ(スヴェトラーナ・コドチェンコワ)との悲恋は、なかなか魅せる。
両刀使いはサーカスでは常識なのか
それ以外の男女関係は、スマイリーと妻のアンの仲も冷え切っており、あまり記憶にない。むしろ、サーカスにはゲイが多いのか、ビル・ヘイドンもピーター・ギラムもジム・プリドーも、同性愛者ということになっている。
そこまで比率が高いと、ゲイのたまり場のような川の中で、仕事の合間に優雅に水に浮いているスマイリーも、ひょっとして、という風に見えなくもない。
ソビエト側でサーカスを手玉に取るカーラと昔からの敵同士ながら認め合っているような信頼関係も、もしかしたら妙な感情とセットだったりするのか。そこまでは、本作からは読み取れないが。
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極めて静かに終わる原作に比べると、映画ではモグラの正体が割れたあとに、ジム・プリドーがその人物に明確に落とし前をつけに行く。これは報復を果たせたと言うよりは、もっともの悲しい何かに突き動かされた結果なのである。
などと、これだけ周到に構成されたストーリーを、未見の方向けにネタバレせずにうまく説明することは難しく、またサーカス沼にはまっている人を相手に、私ごときが気の利いたことをいうのもまた難しい。
何とも、レビューアー泣かせな作品であるが、最後に、スマイリーはやっと、自分の定位置をみつけるのだ。原作もぜひ。