『重力ピエロ』
伊坂幸太郎の直木賞候補ベストセラーを森淳一監督が映画化。加瀬亮と岡田将生の兄弟設定が原作とぴったりハマる。原作にくらべると随分スッキリした印象だけれど、映画ならではのアレンジも豊富。
公開:2009 年 時間:119分
製作国:日本
スタッフ 監督: 森淳一 脚本: 相沢友子 原作: 伊坂幸太郎 『重力ピエロ』 キャスト 奥野泉水: 加瀬亮 奥野春: 岡田将生 奥野正志: 小日向文世 奥野梨江子: 鈴木京香 夏子: 吉高由里子 山内: 岡田義徳 葛城由紀夫: 渡部篤郎
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
大学院で遺伝子の研究をする兄の泉水(加瀬亮)と、自分がピカソの生まれ変わりだと思っている弟の春(岡田将生)。
2人は、仙台の街で起こる連続放火事件と、現場近くに必ず残されるグラフィティアートの関連性に気付き、事件の謎解きに乗り出すが、そのことで24年前から今へと繋がる家族の謎が明らかになっていく。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
伊坂作品へのアプローチ
伊坂幸太郎の初期の人気作品を『Laundry』の森淳一監督で映画化。伊坂作品の中では映画化したのは早い方かと思っていたが、既に4~5本が世に出ており、記憶違いだったようだ。
常連である中村義洋監督は、原作をきっちりと読み込んで咀嚼し、映画作品としても成立させているといつも感心するのだが、森淳一監督は原作をどう料理したのだろうか。
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結論からいえば、私の感想としては、原作のアレンジは悪くなかったと思う。
この作品は連続放火事件と街中のグラフィティアートのメッセージから、事件をどう解明していくかというミステリー要素が大きなカギとなっている。
原作ではそれを丁寧に語っていき、そのプロセスが面白味でもあるが、放火現場の地図、あるいは落書きのデザインや文字といった重要なアイテムが、映画ではパッパと次々にポラロイド写真で見せられる。
これは分かりやすいしインパクトもあり、映画ならではの優位性だ。
一方で、伊坂幸太郎作品の特徴でもある、登場人物の無機質で洒脱な会話は、なかなか映像化には向かないという課題は、本作でもうまく消化できていない。
あの会話は文字だから楽しめるもので、役者が言葉にすると、なかなか自然には聞こえないのだ。同じ課題は、村上春樹原作の作品にも言えるように思う。
また本作は、連続放火事件で集めた材料から事件を追っていく、現場で犯人を待伏せする、といったように、終盤までは会話主体で大きなアクションがない分、観る者の関心を維持するのは難しかったかもしれない。
キャスティングについて
キャスティングはよく練られている。兄・泉水の加瀬亮と弟・春の岡田将生。容姿も性格も全く似ていない。まじめ気質で、大学院で遺伝子工学を研究する兄。芸術の才能に秀で、眉目秀麗で女子にモテモテだがガンジーを敬愛し、性欲と暴力を嫌悪する弟。
文章では多くの説明を要したこのキャラ設定も、加瀬亮と岡田将生が演じることで、自然と理解できてしまう。
岡田将生は近年多く見られる妙に弁が立つ生意気な役ではなく、あくまで寡黙なイケメン青年役なのも、原作ファンには安心材料。なお、少年時代の春は、北村匠海が演じている。
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二人の両親の配役は、小日向文世と鈴木京香。モデルだった母が仙台での撮影が縁で市役所の父と出会い、電撃結婚する。
雪道でクルマがスリップし遭難しかかる云々の出会いエピソードは、映画オリジナルのように思ったが、あれ必要だったか。原作にも登場する盲目のジャズマン、ローランド・カークの曲を使いたかったのかもしれないが、有効だったとは言い難い。
ところで、本作では父親が重要な台詞をさりげなくいうのがポイントになっている。
小日向文世の台詞回しはさりげなくはないので、原作イメージとは違ったが、キーメッセージを聞き流されるリスクを避けたのかも。若い頃の長髪のヅラだけは、コントのようだった。
鈴木京香の出番が少なかったのは、物語の構成上仕方ないか。
夏子さんを演じた吉高由里子も、兄弟のことを常に尾行している謎の美女という点では、分かりやすい配役。春を追いかけているから、泉水が夏子とあだ名をつけた。
原作ではオードリー・ヘップバーン似だったが、そこは良しとしよう。ただ、夏子さん絡みの話は原作ではもっと奥行きがあったはずなのに、本作ではただのヘンな女に留まっているのが、惜しい。
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デリヘルを経営している葛城由紀夫役の渡部篤郎は、なるほどと感心のキャスティング。
物語の都合上、二枚目でなければいけないし、平然と悪事を働き罪悪感もない男の狂気も滲ませなければいけない。となれば、渡部篤郎はハマる。原作を読んだ際にうまくイメージできなかったキャラを、映画が補完してくれた形となった。
今更レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
悲惨な事件を映画的に味付け
泉水がまだベビーカーの頃、母が帰宅直後に連続レイプ魔に襲われ妊娠する。父は、子供を生ませるべきか天を仰いで神に相談し、自分で考えろと叱られる。こうして生まれたのが春なのだ。
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夫婦が悲惨な事件を乗り越える過程を仙台の祭りのシーンをうまく差し込んで見せる演出はいい。
小学生になった春に、「レイプって何?みんながからかうんだ」と言われた泉水が「レイプ、グレープ、ファンタグレープ!」と涙ながらにふざけてごまかすのも、映画オリジナルで泣かせる(商品名だからクレームありそうだけど)。
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犯人は高校生だったため、30人もの被害者を出しながら、その後5年で社会復帰している。その男・葛城の所在をつきとめ、本当に春の父親なのか、泉水は確かめようとする。
彼は大学院で遺伝子工学を学んでおり、自らDNA鑑定もやってしまえるらしい。原作では遺伝子関連の企業に勤めており、優秀な同僚にDNA鑑定を依頼する流れだった。
会社の無料サービスで葛城から唾液を入手する原作の流れから、バーで吸い殻を盗む方法に変更したのは効率性重視。
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伊坂作品お馴染みの常連キャラ、探偵の黒澤が父や泉水の仕事を助けに登場することもなくなったが、これも仕方ない。親子鑑定のDNAのマッチング率が表示される画面のアップは、映画ならではの盛り上げ。
ただし、詳細は書かないが、観ている途中から疑わしく思っていることを、夏子さんがバシッと言いきっちゃうのは、やや乱暴だったのでは。泉水が次第に疑っていく過程は描けていただろうか。
原作への挑戦、成功と失敗
父親が養蜂業というのはオリジナル設定だったと思う。ねらいはよく分からないが、なかなか面白い効果を上げていた気がする。
また、葛城との対決の場所は、学校の体育館から泉水たちの昔住んでいた赤い屋根の家に変更されている。これはうまい。体育館を燃やすのは大変だが、小さな民家なら全焼させられる。炎による浄化だ。
炎に包まれた渡部篤郎の姿が、園子温ワールドに見える。『愛のむきだし』の神父役か。『紀子の食卓』の吉高由里子までいるからか。
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ゴダールとかネアンデルタール人とか「火は身の潔白を証明します」のコノハナノサクヤビメとか、映画化にあたり割愛された小ネタ大ネタの数々。
なかには迷彩を施すだけのものもあるが、それらを抜きにして簡単にゴールにたどりついてしまった物足りなさは否めない。
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「春はピカソの生まれ変わりなんだよ」
「お前は俺に似て、嘘が下手だ」
小日向文世の笑顔とともに発せられる、何気ない父親のひとことが、兄弟にとっては、大きな救いになる。そのおかげで、けして倫理的には問題なくはないが、映画を観終わると、我々も穏やかな気持ちになっている。
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最後にもうひとつ言わせてもらえば、報復後の兄弟の葛藤は、もう少し丹念に描かれていてほしかった。
原作では、落書きしたビジネスホテルの怖そうな支配人に菓子折り持って謝りに行かせる、深刻だが軽快なエピソードがある。あれは気に入っていたのだけれど。