『おとし穴』
Pitfall
勅使河原宏監督が安部公房の脚本で描く長編初監督作品は、炭坑の幽霊もの。
公開:1962年 時間:97分
製作国:日本
スタッフ
監督: 勅使河原宏
原案・脚本: 安部公房
『煉獄』
キャスト
坑夫A: 井川比佐志
坑夫Aの息子: 宮原カズオ
坑夫の仲間B: 大宮貫一
男X: 田中邦衛
第二組合長・大塚: 井川比佐志(二役)
第一組合長・遠山: 矢野宣
駄菓子屋の女: 佐々木すみ江
百姓: 松尾茂
巡査: 観世栄夫
記者: 佐藤慶
カメラマン: 金内喜久夫
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
不況にあえぐ北九州炭鉱地帯。会社は第一組合と第二組合の反目を利用して組合潰しを目論む。両組合長が殺し合い、自滅するという筋書きを立て、目論見どおりに進んだ。
しかし、炭鉱夫(井川比佐志)の息子が一部始終を目撃していた。
今更レビュー(ネタバレあり)
勅使河原宏と安部公房の初コラボ
先日、念願の『砂の女』を観て以来、すっかり勅使河原宏の映画監督としてのアヴァンギャルドな才能に嵌ってしまったのだが、悔しいことに、彼の監督作品を観られる機会は極めて限定される。
たまに独立系のミニシアター等で上映会を開催してくれることはあるが、なかなか都合よく出向けない。レンタルも配信も見当たらない中で、『勅使河原宏の世界』という、彼の代表作を集めたDVDボックスはほぼ唯一の望み。
このDVD自体、入手困難かつ、購入できたにしても相当な高値で二の足を踏んでいたのだが、このたび、とある伝手から運よく拝借することができたので早速鑑賞。
『おとし穴』は勅使河原宏監督の長編初監督作にあたり、以降、何作かタッグを組むことになる安部公房との初コラボである。
原作はなく、ベースとなっているのは安部公房が脚本を書いたテレビドラマ『煉獄』。それを安部公房自身がアレンジし、本作のシナリオに仕立てたものだ。
映画は北九州で不況にあえぐ炭坑地帯で組合同士の労働争議という舞台設定の中、何者かの策略で殺された男が、幽霊となって真相を追う構造になっている。
◇
テレビで『煉獄』を観た勅使河原監督が、日本の現実をこれだけ鋭くえぐった作品はないと感銘を受け、さらに生々しさを出すためにロケ地とキャストにこだわったという。
数百の炭坑を巡り、たどり着いたのは、福岡の三菱鯰田鉱業所。人っ子一人いない廃墟と化した広大な長屋棟に、野良犬の群れるボタ山や泥沼。殺人が起きる舞台としては雰囲気十分。
ここに行けば仕事があるよ
主人公の坑夫Aには井川比佐志。まだ若く、二枚目路線といってよい。小学生の息子(宮原カズオ)と相棒B(大宮貫一)とともに、夜の線路を夜逃げのように走る。
「お」「と」「し」「穴」と一文字ずつ大きく写るタイトルがハイセンス。武満徹らの無機質な現代音楽も、不安感を煽る。
坑夫Aたちはきついヤマから逃げ、百姓を騙して飯にありつき、所在を転々としているようだ。
「いつかは労組のあるような職場で働いてみてえよ」
これがとんだ災難に巻き込まれるきっかけになるとは、いざ知らず。
坑夫Aたちが斡旋された仕事場で港湾の仕事をしていると、労働下宿の主人から隠し撮りされた自分の写真を見せられ、「あんたがこの人物なら、ここに行けば仕事があるよ」と地図を渡される。
そこは閉山となった炭坑の長屋で、パンと菓子の店を一人でやっている女(佐々木すみ江)だけが暮している。地図を頼りに周囲を歩き回っていると、白いハットに白スーツの男(田中邦衛)が現れ、坑夫Aは刺し殺されてしまう。
◇
青大将でお馴染みの田中邦衛の白スーツ姿は珍しくないが、コミカルな仕草もクセの強い演技もなく、ただクールに殺し屋をこなすのは意外。井川比佐志と田中邦衛は俳優座の同期生。後半で登場するジャーナリスト役の佐藤慶も俳優座の先輩。
そして、殺し屋に金を握らされて殺人の目撃証言を偽証する駄菓子屋の女役の佐々木すみ江は劇団民藝所属。なるほど、キャスティングにこだわったというだけあり、劇団俳優で要所を固めている。
佐々木すみ江は山田太一ドラマ『ふぞろいの林檎たち』での老け母イメージが強かったので、肉感的な女の役は新鮮。
幽霊になっても分からない真相
さて、刺殺された坑夫Aは幽霊として再登場し、自分がなぜ殺されたのかを探っていく。かといって幽霊に何ができるわけもなく、駄菓子屋の女の偽証に翻弄される警察の動きに付き添い、不満を吐くほかはない。
さっきまで無人だった長屋棟が、坑夫Aが幽霊になったとたんに数多くの住人たち(死者)が見えるようになるという演出が面白い。
◇
動きの鈍い警察に代わり、記者(佐藤慶)とカメラマン(金内喜久夫)は被害者の男が炭坑の第二組合長・大塚(井川比佐志)に酷似していることに気づく。
となれば、犯人は組合同士で抗争中の第一組合長・遠山(矢野宣)ではないか。間違えて、似ている被害者を殺してしまったのに違いないと。
だが、そうなれば一番得するのは自分ということになる大塚は、これは罠ではないかと疑う。
抗争中の組合長同士が、目撃者の話を聞こうということになるが、その駄菓子屋の女が、白スーツの男に殺されており、事件は複雑化。結局、互いを疑いあった両組合長は、刺し違えて死んでしまう。
死んだ者は次々と幽霊になり、坑夫Aと話ができるようになるのだが、それで何が解決するわけでもなく、彼が組合幹部に顔が似ているというだけで、巻き込まれて殺されたことに変わりはない。
何が目的で、誰がそんなことをしたのか。幽霊姿の二人(井川比佐志、佐々木すみ江)が面前で問いかけても、その姿が見えない白スーツの殺し屋(田中邦衛)は何も語らず、涼しい顔でスクーターに乗って去っていく。
幽霊と子どもの目だけが見ていた殺人事件。相手が何者かわかってしまえば、さほど不気味ではない。正体が分からないものが一番怖いのだ。黒沢清監督がかつて、そんなことを語っていた。
殺す方には明確な目的があっても、殺される方には何も知らされず、やられてしまう。その恐怖感を勅使河原監督は伝えたかったのだろう。だから、答えは明かされない方が効果的なのだ。
壁の穴から事件をみつめる、子供の眼差しが痛い。