『哀れなるものたち』
Poor Things
ヨルゴス・ランティモス監督がエマ・ストーンとの再タッグで贈る、性差からの平等と解放の世界
公開:2024年 時間:141分
製作国:イギリス
スタッフ 監督: ヨルゴス・ランティモス 脚本: トニー・マクナマラ 原作: アラスター・グレイ 『哀れなるものたち』 キャスト ベラ・バクスター: エマ・ストーン ダンカン・ウェダバーン:マーク・ラファロ ゴドウィン・バクスター: ウィレム・デフォー マックス・マッキャンドレス: ラミー・ユセフ ハリー・アストレー: ジェロッド・カーマイケル アルフィー・ブレシントン: クリストファー・アボット フェリシティ: マーガレット・クアリー スワイニー: キャサリン・ハンター トワネット: スージー・ベンバ
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
不幸な若い女性ベラ(エマ・ストーン)は自ら命を絶つが、風変わりな天才外科医ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)によって自らの胎児の脳を移植され、奇跡的に蘇生する。
「世界を自分の目で見たい」という強い欲望にかられた彼女は、放蕩者の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)に誘われて大陸横断の旅に出る。
大人の体を持ちながら新生児の目線で世界を見つめるベラは時代の偏見から解放され、平等や自由を知り、驚くべき成長を遂げていく。
レビュー(まずはネタバレなし)
合成人間ベラ
毎度毎度、新たな視点とシニカルな切り口でファンを驚かせてくれるヨルゴス・ランティモス監督の新作。マッドサイエンティストによって蘇生された、純真無垢な脳と成熟した身体を持つ女の成長譚。
主人公のベラ・バクスターを、ランティモス監督の前作『女王陛下のお気に入り』に続きエマ・ストーンが演じる。
アラスター・グレイによる同名原作の映画化(今回未読です)、脚本は『女王陛下のお気に入り』、『クルエラ』に続きエマ・ストーンと三度目タッグになるトニー・マクナマラ。
映画は冒頭、橋の上から川に身投げする青いドレスの女。そこから映画はモノクロに変わり、顔中つぎはぎだらけの医師(ブラックジャックか!)、ゴドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)が医学生相手に解剖学を教えている。
このマッドサイエンティスト然としたゴドウィンが、熱心な教え子マックス・マッキャンドレス(ラミー・ユセフ)を自宅に連れ帰る。そこには、ゴドウィンの娘と思しき若い女ベラ(エマ・ストーン)がいる。冒頭の身投げ女だ。
ベラは外見は若く美しい女性だが、たどたどしく言葉を話すのがやっとで、理性も知性も窺えず、感情や好奇心の赴くままに行動する。いわば幼児のようだ。
まずいものは吐きだし、気に入らなければ叫んで暴れ、おしっこだって漏らしてしまう。知恵遅れの娘なのかと思ったが、どうやらそうではない。
ゴドウィンは医師であった亡き父に人体実験に使われたおかげで、全身切り刻まれ、おかげでその分野では第一人者となった。屋敷の庭には、犬と鳥のキメラ生物のようなものが飼われている。
そのプロフィールからも想像できるが、彼は身投げした妊婦の死体にメスを入れ、お腹の子の脳を母親に移植した。それがベラなのだ。
ゴドウィンが<神>ならベラは<美>に因む名前だろうが、昭和世代には妖怪人間ベラが頭に浮かぶ。
手塚治虫の『ブラックジャック』に公害病で精薄になった娘のエピソード(「しずむ女」)がある。本作もそんな話かと思ったら、脳移植だったか。大人の身体に幼児の脳では、ピノコの逆パターンだ。
舞台、背景、音楽、映像の歪みと調和
ゴドウィンはベラをマックスと結婚させ、屋敷に軟禁しようとする。だが、彼女は外の世界に憧れる。ランティモス監督の『籠の中の乙女』とは違い、親が制しても楽々と外に羽ばたいていくベラ。
その手助けをするのは、ベラに性愛の悦びを教え、やがて彼女に翻弄されていく弁護士のダンカン・ウェダバーン(マーク・ラファロ)。
ベラが外の世界に出ていくと同時に、モノクロから総天然色の世界に変異する。
『エレファントマン』の時代を思わせる20世紀初めのロンドンの景観から、ダンカンとリスボンに行き、豪華客船を経てアレクサンドリア、そして花の都パリ。それぞれの舞台セットの出来栄えがすばらしい。
背景などはCGだろうが、ミニチュアによる昔ながらの手法との併用で、本物の質感が漂う、ゴシック調な世界観を創出している。そこに昔ながらの広角レンズを使って、周辺を歪ませた映像がさらに雰囲気を濃厚に。
古い時代設定なのに、空には未来感のあるゴンドラが浮かんでいたり、遊び心のある映像美が幻想的な世界に誘う。
映像同様に調律が歪みまくった劇伴音楽もいい感じだし、オープニングクレジットに使われる、スタッフ・キャスト名を画面の四辺にフレームのデザインのように登場させる意匠もハイセンスだ。
◇
ベラは本能に導かれるように、まずは自慰行為に目覚め(偶然に果物を入れてみて)、そしてセックスに溺れる。その相手はダンカンから始まり、やがてはパリの娼館で様々な性癖の男たちを相手にするようになる。
さすがR18指定だけはある濡れ場シーンの数々。エマ・ストーンの、自身で製作も手掛ける本作への意気込みが伝わるようだ。
プリティウーマンとフランケン
戯曲『ピグマリオン』で知られる、男が自分好みに女を育て上げようとして、逆にのめりこむパターンから派生したような物語といえる。時代が流れ、それは『マイフェアレディ』から『プリティウーマン』に変遷し、ついに本作に昇華したともいえる。
◇
ダンカン(マーク・ラファロ)が最も顕著だが、ゴッドウィン(ウィレム・デフォー)もマックス(ラミー・ユセフ)も、みんな彼女を独占したがる。その後、反省し変わっていく者もいれば、変わらずに痛い目に遭う者もいる。
そして、そんな男たちの独占欲を次々と振りほどき、ベラは我が道を歩んでいく。自己中心的な男性社会に純粋な疑問を投げかけ、自らの生き方を貫いていく女性賛歌。
それは昨年話題になった『バービー』にも通底するテーマだが、眉目秀麗でルッキズムの呪縛から逃れられなかったマーゴット・ロビーのバービー人形に比べると、ベラの生き様はさらにストレートに容赦なく訴えかけてくる。
マーゴットが悪女の『ハーレイ・クイン』なら、エマ・ストーンだって、かつての『アメイジング・スパイダーマン』のヒロインから、今や『クルエラ』にパワーアップ。
『スパイダーマン』の敵役ウィレム・デフォーや、超人ハルクのマーク・ラファロにも負けないヴィランぶり。
本作でも意識したであろう『フランケンシュタイン』にオマージュを捧げるような、ぎこちないゾンビ歩き。そして無表情な顔からの射貫くような眼光鋭い視線。ますます市川実日子と見分けがつかなくなってきたぞ。
さあ、ベラよ、時代の偏見を突き破り、自由をつかみ取れ。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
さんざん好き勝手なことをしてダンカンを振り回してきたベラが、彼のもとを逃れ、ようたくロンドンに戻ってくる。
「オレの女が娼婦なんて」とプライドが許さないダンカンと違い、元婚約者のマックスはそれを怒らないが、「客の男たちに嫉妬する」という。
再会した二人は、ゴドウィンの見守るなか、ついに結婚式を挙げる。
だがそこに、新たな男アルフィー・ブレシントン(クリストファー・アボット)が登場。彼こそ、橋に身投げした妊婦の婚約者だった。ダンカンよりもさらに暴君であるアルフィーは、ベラを連れて城のような御殿に戻る。
本作のエンディングにはけしてひねりはなく、ベラは想像通りの行動に出るのだが、溜飲の下がる内容になっている。
ヨルゴス・ランティモス監督作品のエンディングはいつも、難解で残尿感があるものと相場が決まっていたが、今回は珍しく、気持ちよい終わり方といえる。
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既にヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞。昨年アカデミーの作品賞を獲った『エブエブ』並みに毛色の変わった作品だが、同じ女性賛歌の『バービー』との比較なら、個人的にはこっち推しだなあ。