『模倣犯』
宮部みゆき原作愛読者はうかつに手を出してはいけない、森田芳光監督の賛否両論上等の問題作。
公開:2002 年 時間:123分
製作国:日本
スタッフ 監督: 森田芳光 原作: 宮部みゆき 『模倣犯』 キャスト 網川浩一: 中居正広 栗橋浩美: 津田寛治 有馬義男: 山﨑努 古川鞠子: 伊東美咲 塚田真一: 田口淳之介 高井和明: 藤井隆 高井由美子: 藤田陽子 前畑滋子: 木村佳乃 前畑昭二: 寺脇康文 武上刑事: 平泉成
勝手に評点:
(私は薦めない)
コンテンツ
あらすじ
豆腐店を営む有馬義男(山崎努)の孫娘、古川鞠子(伊東美咲)が行方不明になって10カ月後、彼女のバッグと切断された女性の右腕が見つかる。
だが犯人を名乗る男はテレビ番組で腕が鞠子のものでないと挑発的に宣言。続いて男の犯行声明がメディアに送り付けられる中、鞠子の遺体が発見される。
犯人の可能性が高い二人の青年、栗橋(津田寛治)と高井(藤井隆)が事故で命を落とし、事態は収束するかに見えた。そんな矢先、真犯人は別にいるという二人の旧友、網川(中居正広)が現われる。
今更レビュー(ネタバレあり)
気絶するほど悩ましい
宮部みゆきの渾身の大長編作品を森田芳光監督が映画化。原作に惹かれた愛読者にとっては、気絶しそうになる作品といってよいだろう。
厚めの文庫本にして5分冊にもなる一大巨編が二時間枠の映画に素直に収まるはずもなく、内容の改変や登場人物の削減など、当然いろいろな改変が必要なことは理解できる。
だが、出来上がったものはあまりに似て非なるものだ。中途半端にストーリーが似ているだけに質が悪い。
どうせ不出来にするのなら、同じ宮部みゆき原作で大林宣彦監督が撮った『理由』(2004)くらい原作をズタズタにしてくれた方が、まだ諦めがつくというものだ。
それにしても宮部みゆきファンは本作の二年後に『理由』と、完全に原作映画化がトラウマになってしまっただろう。傷が癒えたのは、『ソロモンの偽証』(2015、成島出監督)あたりか。
大御所スタンリー・キューブリック監督の傑作ホラー『シャイニング』(1980)でさえ、原作者のスティーヴン・キングは読解力が足らんと監督をボロカスに言ったという。
まして本作の内容なら、原作者は激昂しそうだが、宮部みゆき先生からは否定的なコメントはなさそうだ(肯定的なのもないか)。
何でも、『(ハル)』が良かったから、森田監督を逆オファーしたそうではないか。このイヤミス原作が『(ハル)』のようになっても困るが、それにしても監督独自の世界観が強い。
『失楽園』(渡辺淳一原作)のときのように、もっと原作に寄り添う手はあったと思うのだが。
不吉な予感が当たりまくる
以下、ネタバレになるのでご留意ください。
あくまで私見だが、冒頭のタイトルで流れる大島ミチルの「モホウハン!」の歌詞が入るクールな音楽から、何だか原作と世界観が違う嫌な予感がした。山崎努が店主の豆腐店のシーンから、すでに映像で遊び始めるし。
失踪する孫娘に『海猫』で主演する伊東美咲、事件を追うルポライターに『失楽園』の木村佳乃、俳優陣は魅力的。
だが、公園に捨てられた右腕がみつかり報道合戦になるところでフレームサイズをうるさく変更してみたり、容疑者とされた男を懸賞シールマニアに設定してみたり、或いは背景に『黒い家』でお馴染みのガスタンクを持ってきたり。
ただでさえ本来の物語を思い切り短縮しないといけないのに、余計なところで遊んでしまうのはなぜ。
◇
核となる三人は、犯人である、ピースこと網川浩一(中居正広)、栗橋浩美(津田寛治)、そして二人の同級生で浩美を慕ういじめられっ子だった高井和明(藤井隆)。
原作のように各キャラの人物描写に時間はかけられないだろうが、それにしても薄っぺらい。
報道番組に犯人が電話をかけるところは緊迫の場面のはずが、浩美の無意味なマルチリンガル設定、緊張感のないボイスチェンジャー、報道番組に不似合いなエロいCMなどのせいで、ムードは台無し。
ボイスチェンジャーは声紋判定をごまかせないという原作での大事なポイントも、映画では初めから覆される。
登場人物にまつわる不満
浩美のパイン缶や和明の練乳チューブ直吸いイチゴ食べの謎描写や、和明のプロ野球選手モノマネ。爆笑問題の二人がライブ殺人の配信を車内で観るというコミカルなカメオ出演。なぜ、そこに時間を割くか。
それならば、ピースと浩美の連続殺人劇にはもっと時間をかけてほしかった。これでは、獲物になる女を攫って、山荘の無機質なダイニングで『ときめきに死す』のようにステーキをワインで流し込んでは殺人を楽しむ、ただのナルシスト二人組だ。
◇
ピースは浩美と和明をクルマで事故死するように仕掛ける。原作では偶然の事故だったので、一層悪いヤツになっている。
マスコミに持て囃され、時代の寵児になっていくピースを中居正広が好演する。SMAPのメンバーなら稲垣吾郎もサイコ野郎が似合うが、ピースは明朗キャラということなので、ここは中居クンが正解だった。
津田寛治と、兄弟のように雰囲気が似ている感じもいい。被害者側遺族で犯人と対峙するのが、黒澤監督の『天国と地獄』の犯人役・山崎努という配置も憎い。ただ、この三人の配役なら、もっと面白くできたのではないか。
◇
和明(藤井隆)はなぜ浩美(津田寛治)が犯人だと気づいたか、映画では語られていただろうか。ピースが主犯と知り、トランクに前畑滋子(木村佳乃)の夫(寺脇康文)の死体があると知りながら、何もできずに死ぬ和明が原作以上に不憫だ。
時間の都合だろうが、本作では和明の妹の由美子(藤田陽子)は全く活躍の場がないし、また公園の右腕の発見者塚田真一(田口淳之介)が過去の連続殺人事件被害者であることも、ほとんど生かされていない。
二時間枠のドラマにおいてこの二人を登場人物として残すべきだったかは疑問が残る。
唖然としたクライマックス
そして、私が一番許せなかったのは、クライマックスで報道番組の中でピースとルポライターの前畑滋子が対決するシーン。この番組に滋子が出演するまでのピースに対する不信感や葛藤がないのも物足りないが、ポイントはそこではない。
彼女が「この事件は翻訳されていない米国のミステリーと酷似しています。死んだ容疑者は無実だと訴える友人が実は犯人だった。動機は、面白かったから。今回の事件は、ただの模倣犯の犯行です」とブラフをかける。
原作では、これにピースがひっかかり、ヒートアップして自供してしまう。タイトルの意味が初めてここで分かる。宮部みゆきの代表作『火車』同様、長い物語が見事に最後のステージで昇華する瞬間。これは彼女の著書の醍醐味ともいえる。
だが、映画の中で滋子がいう「模倣犯」というキーワード入りの台詞は実に軽い。しかも驚くことに、ピースは「そんな原書は出版されていません。彼女のブラフです」とすぐに見破るのだ。おいおい、どうやって物語を収束させるつもりだ。
結局、ピースは有馬(山崎努)に勝ち誇ったように名前のとおりピースサインを送り、自爆して首がもげて木っ端みじんになってしまう。
このCGの出来がイマイチなのは、森田監督も悔やんでいたというし、当時の技術では仕方なかったと思おう。
でも、原作にもないピースの勝ち逃げってどうなのよ。しかも爆死のあとは、自分の産ませた乳児を有馬(山崎努)に送りつけて、育ててもらうというオマケつき。
それが殺された孫娘の子かもしれないと思えば、有馬は意地でも(遺児でも?)育てるか。いや、このラストは無理だわあ。
劇場型犯罪のために自死まで選ぶ完璧主義のピースが、こんな無謀ともいえる結末を残すだろうか。
余談ながら、プライドの高い彼が、殺した畳屋の男(寺脇康文)のしていた腕時計(滋子からのプレゼント)を遺体から奪って装着するとも思えないのだが。