『長い言い訳』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『永い言い訳』今更レビュー|ひとかけらくらいは愛してくれよ

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『永い言い訳』

西川美和監督が自身の小説を本木雅弘主演で映画化。妻を事故で亡くしても泣くことさえできない男の人生の修復劇。

公開:2016年  時間:114分  
製作国:日本
  

スタッフ 
監督・脚本・原作:  西川美和

キャスト
衣笠幸夫(津村啓): 本木雅弘
衣笠夏子:      深津絵里
大宮陽一:      竹原ピストル
大宮ゆき:      堀内敬子
大宮真平:      藤田健心
大宮灯:       白鳥玉季
岸本信介:      池松壮亮
福永智尋:      黒木華
鏑木優子:      山田真歩
栗田琴江:      松岡依都美

勝手に評点:4.0
       (オススメ!)

(C)2016「永い言い訳」製作委員会

あらすじ

人気作家の津村啓こと衣笠幸夫(本木雅弘)は、突然のバス事故により、長年連れ添った妻を失うが、妻の間にはすでに愛情と呼べるようなものは存在せず、妻を亡くして悲しみにくれる夫を演じることしかできなかった。

そんなある時、幸夫は同じ事故で亡くなった妻の親友の遺族と出会う。幸夫と同じように妻を亡くしたトラック運転手の大宮(竹原ピストル)は、幼い二人の子どもを遺して旅立った妻の死に憔悴していた。

その様子を目にした幸夫は、大宮家へ通い、兄妹の面倒を見ることを申し出る。保育園に通う灯(白鳥玉季)と、妹の世話のため中学受験を諦めようとしていた兄の真平(藤田健心)

子どもを持たない幸夫は、誰かのために生きる幸せを初めて知り、虚しかった毎日が輝き出すのだが。

今更レビュー(ネタバレあり)

本木雅弘が演じるダメ男

直木賞候補にもなった西川美和の同名原作を、自らメガホンを取り映画化した作品。妻を亡くしたダメ男の人生の修復劇を、本木雅弘が演じる。

突然の震災や事故により、当たり前の日常がなんの前触れもなく壊れてしまうことは現実社会にもある。朝に口喧嘩したまま出勤し、それが最後の会話になってしまうことだってある。だが、本作の主人公に起こった出来事はそれ以上に性質が悪い。

妻の留守中に若い女を自宅に引っ張り込んで不倫中の夫は、翌朝、スキーバスの転落事故報道を見て、妻の事故死を知る

いや正確には、ニュースを見ても夫は妻の行先のスキー場も、同行している友人も、何を着ていたかも知らない。もはや冷め切った夫婦関係。県警からの電話で、夫は自分が遺族になったことを知る。

(C)2016「永い言い訳」製作委員会

鉄人・衣笠祥雄と比較される重圧

男は人気作家の津村啓(本木雅弘)、本名の衣笠幸夫を幼少期から広島カープの鉄人・衣笠祥雄と比較され続けたコンプレックスが強い。人前で夫を幸男くん呼ばわりする妻の夏子(深津絵里)が許せず、自宅で彼女に散髪してもらいながら、悪態をつく。

慇懃無礼で嫌味たっぷりな物言い、その後の若い女(黒木華)との不倫、そして妻の葬儀には作家ならではの美しい弔辞を涙こらえるフリで読む

妻の経営するヘアサロンに勤める、彼女を慕う同僚たち(食って掛かる松岡依都美は、『さがす』(片山慎三監督)の担任の先生だ)にも知らせず現地で火葬をすまして反感を買い、戻れば、自分の弔辞のエゴサーチに精を出す。

男とラブホで不倫中に震災で娘を死なせた母の苦悩を描いた『れいこいるか』(いまおかしんじ監督)と比べると、妻の死の前に涙もでない相当反感を買いそうなダメ男を、本木雅弘が好演する。

広島出身の西川美和監督だが、例えば山本浩二だったら名前が平凡過ぎるから、衣笠祥雄を持ってくる絶妙なセンス。端整な顔立ちで繊細な本木雅弘との、見た目のギャップも面白いじゃないか。

この設定ひとつで、大人になっても現実を受け入れられない、幼稚で気難しそうな津村のキャラが伝わる。

(C)2016「永い言い訳」製作委員会

天然すぎる竹原ピストル

さて、ここで津村啓とは真逆のキャラが葬儀場で登場する、禁断の「幸夫くん!」を連発しながら。

夏子の旧友で一緒にスキーバスに乗り亡くなった大宮ゆき(堀内敬子)の夫・陽一(竹原ピストル)だ。最愛の妻を亡くした悲しみを全身に放出させ、バス会社の役員前で怒り、叫び、泣き崩れる

イケメンだが鼻持ちならない上流階級意識の主人公と、人懐っこくて貧しくも図太く生きていくタイプの男との対比を描くスタイルは、西川美和監督の師匠である是枝裕和の『そして父になる』における、福山雅治とリリー・フランキーにも通じるところがある。

そう思うと、津村のダメ男っぷりは、是枝の『歩いても歩いても』『海よりもまだ深く』の阿部寛にも近いか。まあ、こっちのがひどいけど。

ここまでダメキャラひとすじで突き進んでいた津村だが、妻も失くし仕事も冴えずに茫然自失として一人で湖のうえでスワンを漕ぐ。ここはうまく心理描写を滲ませていて、うまい。絵面的には、どこか『ゆれる』を思い出させる。

妻の伝言メッセージを大切に保存し、毎晩仕事で乗る長距離トラックの運転席で、カップ麺すすりながら聞いている陽一。本人はなにも台詞はないが、表情と動作がその心情を十二分に表している。

竹原ピストルは、本作でも『海炭市叙情』(熊切和嘉監督)でも、本人の演技力によるものなのか素の状態でやっているのか見当がつかないが、彼にしかできないような表現力を見せつける。

不機嫌そうな顔で津村に近づいてくるシーンは常に殴るのか怒るのかとハラハラさせるが、次にはギャップありの破顔になる。

(C)2016「永い言い訳」製作委員会

子供とは愛らしくも面倒くさいもの

父子家庭になった陽一の家には、保育園に通う娘の(白鳥玉季)と、妹の面倒で塾通いもできず受験をあきらめた兄の真平(藤田健心)がいる。

父子を招待したビストロで灯が蟹のアレルギーで病院に担ぎ込まれる。店主を責める津村は、「いや、自分が悪いんでと親としての陽一の姿を目の当たりにする。

この騒動がきっかけとなり、津村は週二回、大宮家の留守番を引き受け、子供の面倒を見始める。そこには何の打算もない。小説のネタにすることなど、マネージャーの岸本(池松壮亮)に言われるまで思いもよらなかった。

子供たちのおかげで、津村の中で何かが変わり始める。小さな娘の気を惹こうとする津村と、それをはねつける灯の心理戦の面白さ。どこか抜けている津村が、留守番回数を重ねるにつれ、子供たちと打ち解けてくる様子が胸にせまる。

子どもの可愛さや泣かせをアピールせず、「もう、どうしたらいいんだろう」と大人が頭を抱えたくなる、子供の面倒くささがよく出ている。

もう愛していない、ひとかけらも

だが、意地悪な西川美和監督が、このまま本作を美談で終わらせはしない。津村は、妻の遺品の中から壊れたスマホをみつける。奇跡的に一瞬画面が立ち上がったそのスマホには、陽一の妻とは違い、夫に送る予定だった下書きのメッセージ

「もう愛していないひとかけらも」

これは本心なのか、送る予定だったのかも分からない。だが、この言葉は、だんだん家庭というものや人の心が分かるようになってきた、彼の胸に突き刺さる。

その後、津村のファンだという、子供たちに科学を教えている鏑木優子(山田真歩)も仲間に加わり、みんなで灯の誕生会を陽一の家で開催する。虫の居所の悪い津村が、結婚観や子供の存在について、売られた喧嘩を買うように口汚く吠え始める。

「子供なんて、いい事ばかりじゃないリスクなんだよ。だから僕は作らなかった」

お祝いの場を台無しにする津村の言動に対する子供たちの反応は、リハなしで引きだした素の演技。これも是枝仕込みか。子煩悩からダメ男に逆戻りする津村の心の揺らぎを、本木雅弘が体現する。

(C)2016「永い言い訳」製作委員会

最低なことなら俺に任せておけ

子役の二人がどちらもいい。天真爛漫な灯と、利発そうな中学受験生の真平。いい父親ぶってるだけで、ゆきを思って毎晩泣きべそをかくだけの陽一に、葬儀でも「なんでお前は泣かないんだよ」と責められる。

そんな真平の反抗的な言動が引き金になったか、陽一は睡眠不足で地方で自動車事故を起こしてしまう(原作では確か風俗で女に乱暴を働いて逮捕だったので、こっちの方がよい)。

誕生会の喧嘩別れ以来、子供たちと疎遠になっていた津村は、病院からの連絡を受け、真平に電話する。
「父さんが帰ってこない! ボク、父さんに最低なこと言っちゃったんだ」

いつも沈着冷静な真平が興奮している。
「最低なこと? 大丈夫! 心配ないから」

最低なことなら、俺の得意分野だ。任せておけ。うろ覚えだが、そんな津村の心の叫びがあったような気がする。映画にも欲しかった台詞だ。

(C)2016「永い言い訳」製作委員会

愛することを怠ったことの代償

西川美和は小説家としても才能のあるひとだと、原作を読んで思う。自分で書いた小説を映画化する際にも、彼女は別の表現を選ぶことを意識しているという。なので、その差異をいくつも拾い上げたところで、あまり意味はない

「愛するべき日々に愛することを怠ったことの、代償は小さくはない」
退院する真一を真平と迎えに行く津村が、列車の中でしみじみと語る。

映画は心情をいかに台詞に頼らず伝えるかが勝負のメディアだ。確か小説では、最後に、ようやく男は妻の死を自分のこととして受け入れ、泣けるようになったのではなかったか。

そうであれば、映画の終わり方は少し異なっているが、遺品を整理し、津村は妻の夏子とようやく向き合えるようになったのだ。

子供嫌いだと語っていたはずの夏子は、親友のゆきや灯、真平たちとともに、写真の中で楽しそうに笑っている。映画は、このラストにたどり着くまでの、永い言い訳だったのだ。