『国宝』
李相日監督が三度目の吉田修一原作映画化。芸か血か。吉沢亮と横浜流星で魅せる歌舞伎の女形の世界。
公開:2025年 時間:174分
製作国:日本
スタッフ
監督: 李相日
脚本: 奥寺佐渡子
原作: 吉田修一
『国宝』
キャスト
立花喜久雄/ 花井東一郎: 吉沢亮
(少年時代) 黒川想矢
大垣俊介/ 花井半也: 横浜流星
(少年時代) 越山敬達
花井半二郎: 渡辺謙
小野川万菊: 田中泯
福田春江: 高畑充希
大垣幸子: 寺島しのぶ
彰子: 森七菜
竹野: 三浦貴大
藤駒: 見上愛
立花権五郎: 永瀬正敏
立花マツ: 宮澤エマ
梅木: 嶋田久作
吾妻千五郎: 中村鴈治郎
勝手に評点:
(オススメ!)

コンテンツ
あらすじ
任侠の一門に生まれた喜久雄(吉沢亮)は15歳の時に抗争で父を亡くし、天涯孤独となってしまう。
この世ならざる美しい顔を持つ喜久雄の天性の才能を見抜いた上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎(渡辺謙)は彼を引き取り、喜久雄は思いがけず歌舞伎の世界へ飛び込むことに。
喜久雄は生まれながらにして将来を約束された半二郎の跡取り息子・俊介(横浜流星)と兄弟のように育てられ、親友として、ライバルとして互いに高めあい、芸に青春を捧げていく。
だがある日、事故で入院した半二郎が自身の代役に俊介ではなく喜久雄を指名したことから、生い立ちも才能も異なる二人の運命は大きく揺らいでいく。
レビュー(今回ほぼネタバレなし)
100年に一本
いや、凄いものを観させてもらった。「100年に一本の壮大な芸道映画だ」と原作者の吉田修一が言いたくなるのも肯ける。
日頃、こういう身内からの大仰な褒め言葉が公式サイトに載っていると、「本心でもないのに援護射撃ご苦労さん」と思ってしまうのだが、今回は心からのコメントと受け止めた。
思えば、李相日監督による吉田修一原作の映画化は、傑作『悪人』に始まり『怒り』、そして本作と三度目。どれもまったくカテゴリーの異なる作品だが、原作の世界観を崩さずに、映画的な面白さを創出してきた。
今回は、吉田修一自ら黒衣を纏って楽屋に入り、3年間歌舞伎の世界を調べ尽くして書き上げたという超長編。容易な覚悟では原作に見劣りする映画化になってしまうこと必至の代物だ。
だが、かねてより歌舞伎世界の映画化に関心を示していた李相日監督が、その重圧をはねのけて、見事な作品に仕上げた。
喜久雄と俊介
邦画で3時間、それも派手なアクションでもスペクタクルでもなく、歌舞伎役者の物語ときくと、途中で退屈するのではという不安が頭をよぎったが、導入部分のあまりの重厚さと美しさに、そんな心配はすぐに吹き飛ぶ。

長崎は立花組の組長(永瀬正敏)が、新年の宴席に人気歌舞伎役者の花井半二郎(渡辺謙)を招く。その舞台で組長の息子・喜久雄(黒川想矢)が演じた女形のうまさに、半二郎は舌を巻く。
だが、突然始まった抗争で組長は射殺され天涯孤独となった喜久雄を、その才能を見込んだ半二郎が引き取り、上方歌舞伎の教育を受けさせる。
喜久雄は、半二郎の跡取り息子・俊介(越山敬達)とともに、半二郎の厳しい修行で芸を磨いていく。
長崎の任侠世界の渋い描き方、『怪物』の黒川想矢の女形も見事なもので、朝ドラなら放送開始1~2週間目にあたるこの導入部で早くも圧倒される。
そして、任侠の血と背中に彫り物を担いだ喜久雄が、いつしか吉沢亮となり、俊介は横浜流星となる。
「しょせん、この世界は血いやで。いくら腕があっても、最後はみじめに放り出されるだけや」
いくら喜久雄が優れた歌舞伎役者に成長したとことろで、二人組で売り出し中の相方、俊介には勝てないぞと、興行主の番頭、竹野(三浦貴大)に忠告される。
だが、突然の怪我で舞台に立てなくなった半二郎は、自分の代役として、跡取り息子の俊介を差し置いて、芸を見込んだ喜久雄を指名する。ここから、ともに芸を探究し切磋琢磨してきた二人は、歌舞伎世界の渦に飲み込まれていく。
歌舞伎を知らない人をも魅了
喜久雄と俊介の波乱万丈の人生は勿論ドラマティックなのであるが、それよりも魅了されてしまうのが、この二人が女形として魅せる歌舞伎だ。これはもう、見事としか言いようがない。
私は歌舞伎に明るいわけでは全くないし、演目で『道成寺』の大きな鐘が舞台に登場しても、横溝正史の『獄門島』を思い出す程度の門外漢だが、それでもたっぷり見せる歌舞伎シーンにはぐいぐい引き込まれた。
吉沢亮と横浜流星の女形の演技は、一体どれだけの猛特訓の賜物なのだろう。
東宝は本作を海外マーケットにも積極的に売り出す算段のようだが、この映像を英字幕付きで観られるのなら、海外でも熱狂的に受け入れられるのではないか。
撮影が『アデル・ブルーは熱い色』のソフィアン・エル・ファニというのも、海外で好まれそうな斬新な歌舞伎の見せ方に繋がっているのかもしれない。
吉田修一が文字で歌舞伎の舞台を表現するには並々ならぬ苦労があったのだと思うが、それを映像化することもまた、相当な苦行だろう。
ピアノコンクールの演奏を文字で表現しきった恩田陸の『蜜蜂と遠雷』も映画化されたが、演奏であれば音源を差し替えてそれらしく仕上げることはできる。
だが、歌舞伎の場合は、役者が自ら動く以外に裏ワザはない。だからこそ、吉沢亮と横浜流星が、映画の役と同様に切磋琢磨して到達した芸の高みには、本当に頭が下がる。
彼らの役者人生においても、深く記憶に刻まれるべき一本なのだと思う。この歌舞伎だけでも、本作は観る価値がある。
芸のうまさか、血筋の良さか
吉沢亮はかつて『怒り』のオーディションを受けたが、李相日監督の眼鏡には適わなかったようで、その後、これほどの過酷な作品にいきなりご指名されるとは思っていなかったらしい。
そこにきて、李監督の前作『流浪の月』では珍しく憎まれ役を演じた横浜流星を、そのライバルに持ってくるキャスティングの妙。『青天を衝け』と『べらぼう』の大河ドラマ主演同士が、歌舞伎で競う展開。

花井半二郎を演じた渡辺謙は、『許されざる者』・『怒り』に続き李相日監督とは三度目のタッグとなり、こちらも上方歌舞伎の名門当主として絶大な存在感。
半二郎の妻役に、歌舞伎の世界の因習から実態まで、実生活で熟知している寺島しのぶを起用するところもまた面白いし、当代一の女形といわれる人間国宝、小野川万菊役の田中泯の気迫溢れる演技にも痺れた。

欠場した半二郎の代役のみならず、数年後には三代目花井半二郎を襲名することになる喜久雄。一方、跡取りの座を捨てて一時は失踪していた俊介が、今度は父の死後、その血筋の良さで華々しく舞台に立つ。
それぞれが運命に翻弄され、歌舞伎の表舞台に立ったり、放逐されたり。
だが、若い自分から苦楽を共にしてきた喜久雄と俊介は、互いに憎み合ったり、嫉妬してもおかしくはないはずなのに、根っこでは信頼関係で繋がっているところが何ともいえず良い。
◇
身も心もボロボロになった喜久雄が、誰に見せる訳でもなく、ビルの屋上で華麗な舞いを見せる場面が、胸を打つ。
初めから、人間国宝を目指して精進してきた訳ではないが、長年芸に磨きをかけ、多くを犠牲にし、死屍累々の果てにようやく手に入れるものが、この「国宝」の称号なのだ。芸の道とはなんと因果なものか。