『ノルウェイの森』
Norwegian Wood
村上春樹の世界的ベストセラーを、恐れ知らずにトラン・アン・ユン監督が映画化
公開:2010年 時間: 133分
製作国:日本
スタッフ
監督・脚本: トラン・アン・ユン
原作: 村上春樹
『ノルウェイの森』
キャスト
ワタナベ: 松山ケンイチ
直子: 菊地凛子
緑: 水原希子
永沢: 玉山鉄二
キズキ: 高良健吾
レイコ: 霧島れいか
ハツミ: 初音映莉子
突撃隊: 柄本時生
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
高校時代に無二の親友・キズキ(高良健吾)を自殺で失ったワタナベ(松山ケンイチ)は、深い喪失感を心の奥に抱えたまま、東京の大学で学生生活を送り始める。ある日、彼は、キズキの恋人だった直子(菊地凛子)と偶然再会。
大切な人を失った者同士、二人は次第に心惹かれあい、直子の20歳の誕生日にワタナベは彼女と一夜を共にする。
ところがその後、直子は心のバランスを崩して京都の療養所に入院。一方、ワタナベの前に、直子とは好対照の女性・緑(水原希子)が現われる。
今更レビュー(ネタバレあり)
ハルキストは満足しないだろう
村上春樹の世界的なベストセラーで「100%の恋愛小説」と謳われた『ノルウェイの森』が、映画化発表から長い年月を経て公開されたのが2010年。監督はベトナム生まれパリ育ちのトラン・アン・ユン。
原作は何度か読んでいたが、映画化には不向きだろう、まして外国人監督が60年代の学生運動盛んな東京の空気を描けるわけがない。
そう思って長年鑑賞せずにいたのだが、トラン・アン・ユンの監督作品を追いかけるうちに、本作にも向き合うことになった。
だが、想像していた通り、やっぱり違うよ、映画化には無理あるよ、という感想になってしまう。
村上春樹原作は何本も映画化されているが、ほとんどが短編だ。長くても、デビュー作の『風の歌を聴け』くらいで、本作のように上下巻にわたる原作の映画化は他に例がない。
短編なら監督の独自解釈でアレンジする余地はあろうが、超長編となると、2時間程度に落とし込むことに精一杯で、結果的には長くゆっくりと流れる物語のダイジェスト版になりがちだ。
そこに村上春樹特有の、洒脱だが無機質な会話劇を差し込むのだから、これをリアルな恋愛ドラマとして昇華させるのには、相当の覚悟と手腕がいるだろう。
なぜトラン・アン・ユン監督か
ドライが持ち味の村上春樹ワールドに、クライマックスとなる舞台が冬の森となれば、なぜトラン・アン・ユン監督に白羽の矢が立ったのか不思議に思う。
『青いパパイヤの香り』や『夏至』に代表される彼の作品は、故郷ベトナムが舞台ゆえに、額に汗を滲ませながら愛を語るような佳作が多く、熱帯の多湿な世界が得意分野なのに。
また、これらのベトナムロケの作品や『ポトフ 美食家と料理人』などに登場する料理のカットがいずれも素晴らしく、いつも感心させられたのだが、本作にはそれがない。
水原希子が演じる緑の料理するシーンはあるが、美味そうに見えず、まったく冴えない。
彼女は一階で書店を経営している実家の二階で暮らしているのだが、その家は妙に家具が少なく開放的で、いかにもベトナムの古い家のように見えて居心地が良さそうだ。
この映画にトラン・アン・ユン監督らしさを探そうとしても、その部屋のことくらいしか思いつかない。
ワタナベ・キズキ・直子
映画は冒頭、1967年、高校生のワタナベ(松山ケンイチ)は親友のキズキ(高良健吾)とその彼女の直子(菊地凛子)の三人で、楽しく青春期を過ごしている。
だが、唐突にキズキは車の排ガスで自殺を図り、喪失感の埋まらないまま、ワタナベは大学生となり上京する。キャンパスが学生運動の熱気に包まれる中、ワタナベだけが無気力に惰性で生きている。
そしてある日、偶然に直子と再会し、やがて親しくなっていった二人は、彼女の部屋で一夜を共にする。ワタナベより一足先に20歳を迎えた直子が誕生日に彼に言う。
「人は18歳と19歳の間を行ったり来たりすればいいのよ」
あれ、こんな台詞、原作にあったかなと思ったが、このように村上春樹自身で脚本に書き足してくれた台詞もあるらしい。
それは贅沢なことだが、一方で監督は原作者の呪縛から逃れられないリスクを負うことにもなる。その結果が、味気ないダイジェスト版というわけだ。
ミドリ・レイコさん・永沢先輩
話の筋道は原作に沿うものの、ワタナベが暮らす寮にいる、同室で変わり者の突撃隊(柄本時生)や、優秀で女にモテまくりの冷淡な先輩・永沢(玉山鉄二)など、もう少し丁寧に拾って欲しいキャラがぞんざいに扱われている。
そしてワタナベがキャンパスで知り合う、性に明け透けで積極的な女子大生の緑(水原希子)。いかにもモデルっぽい容姿の水原希子はこの役には似合うけれど、さすがに映画初出演では荷が重かったか。
ただ、緑の台詞に現実味が感じられないのは、彼女の芝居のせいではなく、村上春樹由来の台詞のせいか。『あのこは貴族』(2021)の水原希子には、ちゃんと現実感がある。
ここから先は、精神を病んでしまって、山の中の療養施設に入ってしまう直子と、都心の大学で活発に過ごす緑の間を、行ったり来たりするワタナベの青春の日々。
この療養施設で直子のルームメイトとして彼女をサポートしてくれている年上の女性がレイコ(霧島れいか)。
音楽教師だった彼女がギターで弾き語る「ノルウェイの森」。ここでようやくタイトルチューンが演奏されるわけだが、ビートルズの曲が流れるのはエンドロール。
レイコもここの患者であり、なぜ療養しているのかは原作では説明されるが、映画ではまるっと割愛。霧島れいかは同じ村上春樹原作でビートルズの曲名タイトルの『ドライブ・マイ・カー』にも出演してたな。
文学だから許されるもの
『ノルウェイの森』が出版された頃は、赤と緑のクリスマスカラーで上下巻が分かれた表紙カバーが目を引くこともあり、普段本など買わないような層にも、飛ぶように売れた。
だが、恋愛小説という割には、性描写やキワドイ内容の会話が想像以上に濃厚で、村上春樹のイメージが変わった読者も多かったのではないか。羊男もネズミも出てこないし。
◇
読書であれば、そんなページは読み飛ばすことも可能だろうが、映画では菊地凛子や水原希子の口から出てくる淫靡な台詞や、過激ではないものの数だけは多いベッドシーンを、スキップする訳にはいかない。
森の中に松ケンと菊地凛子が座っていて、傍目には美しい自然の中のデートシーンのようだが、実は彼女が手コキしてあげている、などという摩訶不思議な場面もある。
だから、甘く切ない恋愛映画なのか、どろどろのピンク映画なのか、その辺のベースラインがつかめずに映画を観る羽目になる。こんな映画をデートムービーで観に行ってしまったカップルは、あとが気まずかっただろうな。
◇
そして、序盤に自殺したキズキ(高良健吾)のほかにも、永沢先輩(玉山鉄二)の恋人ハツミ(初音映莉子)も、そして精神を病んだ直子(菊地凛子)も、最後には自殺してしまう。
園子温の『自殺サークル』じゃあるまいし、登場人物が三人も自殺するような映画は見ていて心が殺伐とする。
邦画にビートルズの楽曲の原盤使用許諾が出ることは極めて稀だそうだが、エンドロールで流れても、清々しい気持ちにはなれそうになく、有難味は薄れてしまった。