『明日への遺言』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『明日への遺言』今更レビュー|はぐれ軍人も純情派

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『明日への遺言』

戦犯裁判をたった一人戦い抜いた中将。藤田まこと最後の主演作。

公開:2008 年  時間:110分  
製作国:日本

スタッフ 
監督・脚本:      小泉堯史

原作:         大岡昇平
           「ながい旅」
キャスト
岡田資:       藤田まこと
弁護人:   ロバート・レッサー
検察官: フレッド・マックィーン
裁判長:   リチャード・ニール
町田秀実:      西村まさ彦
守部和子:        蒼井優
小原純子:       近衛はな
水谷愛子:       田中好子
岡田温子:       富司純子
岡田達子:       中山佳織
岡田陽:        加藤隆之
藤本正雄:       俊藤光利
杉田中将:       児玉謙次
武藤少将:       松井範雄
相原伍長:       頭師佳孝

勝手に評点:2.0
(悪くはないけど)

(C)2007「明日への遺言」製作委員会

あらすじ

第二次大戦時、無差別爆撃を実行した米軍兵士を正式な審理を行わずに処刑した罪で、戦後、B級戦犯として裁判にかけられた元東海軍司令官・岡田資中将(藤田まこと)。彼は家族が見守る中、法廷で「全ての責任は司令官たる自分にある」と主張する。彼に下された判決とは……。

今更レビュー(ネタバレあり)

小泉堯史監督による戦犯裁判もの。原作は大岡昇平の新聞連載小説『ながい旅』藤田まことの最後の主演作となった。

黒澤作品のリメイクである『椿三十郎』(森田芳光監督)の出演に続いて、黒澤明監督の愛弟子である小泉堯史監督で主演というのも、何かの縁だろうか。

藤田まことが演じる陸軍中将の岡田資は、第二次大戦下、東海軍管区司令官の立場にあり、名古屋大空襲の際に撃墜され、脱出し捕らわれた米軍の搭乗員約30名を、戦争犯罪人として略式命令により斬首処刑する。

終戦後、岡田はこの行為に対し捕虜虐待の罪(B級戦犯)として軍事法廷で裁かれることになる。

戦勝国による理不尽な裁判との闘争を<法戦>と称し、米軍の軍事施設以外への無差別爆撃の違法性を主張する一方で、捕虜処刑に関わった部下を庇い、指揮官である自分がすべての責務を背負いこもうとする。

映画は、この戦犯裁判の行方を淡々と追っていく。8月の終戦の時期に観るべき映画かと思い選んだのだが、率直にいって期待外れな作品だった。

理由としては大きく二つあり、ひとつは、商業映画(内容的に娯楽映画とはいわないが)として面白味に欠けること。もう一つは、主人公の聖人君子ぶりに魅力が足らないことだ。

本作は戦犯の裁判映画なので、派手なアクションもスペクタクルな戦争シーンもなく、殆どが法廷劇なのは当然理解する。

(C)2007「明日への遺言」製作委員会

ただ、法廷ものなら弁護士と検事の丁々発止の論争やら思わぬ証人登場のどんでん返しやら、手に汗握る展開があってほしいところ。

だが、被告人である岡田資は沈着冷静に、軍人として正しい行動をとったことを主張するのみで、動じることがない。これは立派な姿勢だが、おかげで観る者がハラハラすることもない。

また、裁判の特殊性から、裁判官も検事も、そして弁護人もみな米国人であり、裁判は英語で行われ、岡田だけが日本語を話す。

ヘッドフォンを通じて同時通訳がなされているという設定なので、会話の途中で通訳が入るような場面はないが、それでも被告や証人が日本語、検事や弁護人が英語でヘッドフォン越しに会話をしている光景は、なかなか臨場感を出しにくい。

岡田の妻役の富司純子はずっと傍聴席で見つめているものの、夫と言葉を交わすこともできず、心の声として富司純子の語りが流れてくるだけで、これも盛り上がりにくい。

証人喚問で登場する俳優には西村まさ彦、蒼井優、田中好子という豪華な面々ながら、みな抑制された演技なので見せ場もなく、惜しい気がする。

蒼井優は一瞬誰か分からないようにオーラを消しているし、田中好子も本作が遺作となるならば、もう少し長く演技を観ていたかった(願わくば笑顔も)。

(C)2007「明日への遺言」製作委員会

岡田の家族で、妻の富司純子の隣にいる息子の婚約者は近衛はな蒼井優『リリイ・シュシュ』繋がりで伊藤歩だと思い込んでいた)。そして岡田の長男には黒澤明の孫・加藤隆之(身内で固めますな)。

この家族たちも総じて見せ場がなく、みな深刻そうな表情で傍聴席に座っているだけだ。裁判の行方は史実や原作に基づいているのだろうから、勝手に改変もできないだろうが、それにしても盛り上がらない。

音楽は小泉堯史監督作品には欠かせない加古隆。起伏に乏しい本作のドラマ展開を少しでも補おうというのか叙情的な調べが心地よい。

一方で、個人的にはそれらとは相性が合わなかったように思うのが、竹野内豊のナレーションである。

竹野内豊は俳優としては好きだし、声もイケてると思うのだが、本作で裁判に至った経緯や無差別爆撃の説明などをするには、声が明るく溌剌としすぎている。この映画には、もっと低音で静かな声が相応しかったように思う。

劇中で法廷から離れた貴重な場面のひとつに、岡田がかつての部下の兵士たちと留置所の大風呂に入るシーンがある。ここでしみじみと岡田が「うさぎ追いし、かのやま~」「ふるさと」を歌いだし、やがて一同の合唱となる。

じんわり沁みる場面にしたいのだろうが、選曲と演出が陳腐すぎる(史実は知らないが)。ここで思い出したのは、『戦場のメリークリスマス』(大島渚監督)で捕虜たちの讃美歌の合唱シーン。そのまま坂本龍一の音楽に移行する展開の美しさ。

加古隆と組むのなら、それに負けないものが撮れたと思うのに。余談だが、本作で唯一優しい笑顔を見せて岡田と接する弁護人(ロバート・レッサー)の姿も、『戦メリ』の外国人捕虜(トム・コンティ)とイメージが重なった。

さて、戦犯裁判での岡田は米軍による空襲について「一般市民を無慈悲に殺傷しようとした無差別爆撃である」「搭乗員はハーグ条約違反の戦犯であり、捕虜ではない」と徹底的に主張し、処刑・虐待の罪についても全面的に争った。

一方で、部下が捕虜の首を斬ったとしても、それは自分の命令によるものであり、「一切の責任は私にある」とも言い放つ。彼が死刑を覚悟していることは、傍目にも明白だった。

岡田中将が無差別爆撃の兵士を斬首したことに対し、裁判官は、「米国政府も認めている報復行為ではなかったのか」と助け船を出す。だが、「報復ではなく、処罰であります」と岡田は言い切る。

(C)2007「明日への遺言」製作委員会

この、敗戦後も自身の主義主張を変えず、保身に走らない岡田の生き様はカッコいいし、藤田まことの好演も光る。大岡昇平の新聞小説連載時には、多くの人々が岡田を英雄視し神格化されていたようだ。映画はそのように岡田を描いている。

だがその後、岡田にとって不都合な真実が明るみに出始める。どうやら、大岡昇平が築いたクリーンな岡田資は虚像であったとするのが、今のところ信憑性の高い説らしい。

映画はフィクションなのだから、神格化したままでもいいじゃないかという意見もあるだろう。だが、この裏事情を知ってしまうと、軍人の上官として理想的な描かれ方をされた岡田中将が、どうも眉唾に見えて仕方ない。

小泉堯史監督はこういう題材を選ぶのが好きなのかもしれない。『峠 最後のサムライ』役所広司が演じた越後長岡藩家老・河井継之助という人物もそうだった。

小説は面白いが、映画にするにはあまりに華がない、しかも歴史を振り返ればけして万人が認める英雄とは言えず、蛇笏のごとく恨んでいる人物も多い。

こんな人物の歴史小説ばかり映画化していては客が入らんだろうと余計な心配をしたくなる。

映画は最後の日まで動じることなく絞首刑を受け容れる岡田の姿をとらえる。暗がりの中で月明かりを浴びたようにみえる藤田まことが、まるで『必殺!』中村主水のように見える。

だが、彼は仕事をしに行くのではない、仕事をされに行くのだ。藤田まことの好演のおかげで、どうにか作品として体裁は保ったものの、映画化の意義はあったか。