『オッペンハイマー』
Oppenheimer
クリストファー・ノーランが描く、世界を変えてしまった天才科学者、原爆の父・オッペンハイマーの栄光と没落
公開:2024 年 時間:180分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: クリストファー・ノーラン 原作: カイ・バード マーティン・J・シャーウィン 『オッペンハイマー 異才』 キャスト ロバート・オッペンハイマー: キリアン・マーフィー キャサリン・オッペンハイマー: エミリー・ブラント レズリー・グローヴス: マット・デイモン ルイス・ストローズ:ロバート・ダウニーJr ジーン・タトロック:フローレンス・ピュー アーネスト・ローレンス: ジョシュ・ハートネット ボリス・パッシュ: ケイシー・アフレック デヴィッド・L・ヒル: ラミ・マレック ニールス・ボーア: ケネス・ブラナー フランク・オッペンハイマー: ディラン・アーノルド イジドール・ラビ: デヴィッド・クラムホルツ ヴァネヴァー・ブッシュ: マシュー・モディーン エドワード・テラー: ベニー・サフディ ウィリアム・ボーデン: デヴィッド・ダストマルチャン アルベルト・アインシュタイン: トム・コンティ トルーマン大統領:ゲイリー・オールドマン
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
第2次世界大戦中、才能にあふれた物理学者のロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)は、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、原爆開発プロジェクトの委員長に任命される。
しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けたオッペンハイマーは、戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するようになる。
レビュー(若干ネタバレあり)
バービーのおかげで待たされた
作品賞はじめ7部門でオスカーを獲得した、今年度最も注目された作品といえる本作。原爆の父・オッペンハイマーの栄光と没落を描いた作品だ。
日本では、世界で唯一の原爆被害を受けた国であることや、米国では同時期公開だった『バービー』とのインターネットミームで、キノコ雲を無神経に扱った悪ノリなんかがあったせいで、なかなか本作の公開が決まらなかった。
配給の東宝東和が待ったをかけ続けていたのだろうか。クリストファー・ノーラン監督の新作、しかもこれだけの話題作をずっとお蔵入りにしていたのは、異例なことである。
何はともあれ、ようやくビターズエンドの配給で公開が実現した。待ち焦がれたが、原爆を扱った作品ゆえ、公開する側、される側がともに神経質になるのは当然のことだ。
だが、少なくとも本作については、けして原爆を正当化する論調の作品ではなく、一人の天才科学者の人生を通じて、その是非を問う作品になっている。個人的には、公開時期を延ばすに足る理由は見当たらないと感じた。
かつてトホホな戦争エンタメ映画『パールハーバー』(2001)を何の躊躇もなく公開した日本の映画業界も、随分と気をつかうようになったものだ。
時系列を巧みに操ってSFや犯罪映画を撮ってきたクリストファー・ノーラン監督にとって、史実に基づく作品は『ダンケルク』(2017)くらいしか見当たらないが、英国軍に肩入れした同作品に比べ、本作は明らかに反戦のメッセージが強まっている。
キリアン・マーフィーついに主演に
歴史に翻弄される天才科学者オッペンハイマーを演じるキリアン・マーフィーが素晴らしい。
『バットマン・ビギンズ』で麻袋を被ったヴィランのスケアクロウを演じて以来、一連のノーラン監督作品ではお馴染みのいぶし銀俳優だが、それ以外の作品では正直印象が薄かった。
だが、本作を観ると、なるほどオッペンハイマーにはキリアン・マーフィーしか考えられないとさえ思う。
長年、本作に彼を主演起用する構想があって、そのためにノーラン監督は彼を助演で使い続けていたのではないかと、勘繰りたくなるほどだ。
映画は冒頭、ケンブリッジ大での研究環境に嫌気がさす若き日のオッペンハイマーがドイツのゲッティンゲン大学に留学する。
そこで出会ったニールス・ボーア(ケネス・ブラナー)やヴェルナー・ハイゼンベルク(マティアス・シュヴァイクホファー)に感化され理論物理学の道を歩み始める。
実験が苦手な劣等生なのかと思いきや、彼が得意とするのは理論物理学なのだ。そりが合わない教授には毒入りリンゴをくれてやるほど精神的に追い詰められた天才が、やがて本領を発揮し始める。
第二次世界大戦のさなか、オッペンハイマーは原子爆弾開発を目指すマンハッタン計画に招聘され、ロスアラモス国立研究所の初代所長として、原爆製造研究チームを主導する。
原爆の開発に成功するまでは、科学者として成果をあげることに夢中になっている時代である。
優秀な科学者たちを結集し、『トリニティ実験』と呼ばれるニューメキシコでの核実験で成功するまでは、いわば『プロジェクトX』的なサクセスストーリーだ。
だが、彼らは、<人類を滅亡させることさえ可能な代物>を作ってしまう。一度完成させてしまえば、それは早晩、敵国も開発することになり、競争はエスカレートする。
栄光と没落と
「(干している)シーツを入れろ」
極秘計画の情報管制のなか、妻キャサリン(エミリー・ブラント)に実験の成功を暗号で知らせるオッペンハイマー。
だが、そこを頂点に人生は陥落する。成功の瞬間から、政府はこの原爆に関する一切の指揮権を彼から取り上げる。もはや、ドイツが降伏した後の日本に原爆を投下するのか、どの都市にするのかさえ、彼には何ら決定権がない。
◇
話は前後するが、本作は当初から、カラーとモノクロのシーンが交錯して編集されている。時系列をツギハギだらけにして観客を混乱させるのは、『フォロウィング』や『メメント』の初期作品からの、ノーランの得意技だ。
カラーが原爆開発前、モノクロがその後の時代なのかと思ったが、どうやらそうではない。
開発後にオッペンハイマーは米国原子力委員会の委員長ルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)からプリンストン高等研究所の所長に抜擢されるシーンは、たしかカラーだった。
◇
つまるところ、オッペンハイマーの視線で描かれた部分はカラー、それ以外はモノクロという線引きだろうか。
戦後、赤狩りの嵐が吹き荒れる1954年、ソ連のスパイ疑惑を受けたオッペンハイマーは、裁判ではないという聴聞会で追及を受ける。こちらはカラーだが、事件の首謀者ストローズへの公聴会はモノクロだ。
広島・長崎のシーンは必要だったか
本作が原爆を正当化する作品とは誰も思わないだろうが、被爆した広島や長崎の悲惨な様子は全く映像化されず、むしろそれは不十分だったのではないかという意見があるようだ。
だが、本作はオッペンハイマー個人に焦点をあてた作品であり、その彼自身が、広島や長崎の原爆投下をラジオの報道でしか知り得なかったというのだから、本作での扱いは妥当なものではないかと思う。
◇
彼はその町の様子のスライドさえ正視できずに目を伏せ、「縞模様の服を着ていた者は、縞模様を残して消失した」という台詞をはじめ、この非人道的な兵器の破壊力は、映像がなくとも、伝わったはずだ。
それを不十分だという意見もあろうが、これ以上生々しく被害状況を見せることは、映画としてのバランスを崩す懸念もあると感じた。
戦後のプリンストン高等研究所でオッペンハイマーは、旧知だが意見の合わないアインシュタイン(『戦メリ』のトム・コンティ!)と再会する。
二人の天才物理学者。アインシュタインは相対性理論の父だが、本作ではやや時代遅れな科学者として描かれているように見える。
量子力学と相対性理論を駆使して、新たな真理を見つけ出すことに、オッペンハイマーをはじめとする物理学者たちは夢中になっていた時代。
冷戦、赤狩り、そして物理学のトレンド。こういった時代背景を予習しておくことは、本作の理解の助けとなっただろうが、いつも通りノーガードで鑑賞に臨んでしまい、理解に苦しんだ点はある。
血塗られてしまった手
それにしても、いつものノーラン作品に負けない豪華な助演俳優陣。
- 水爆開発反対論者のオッペンハイマーを潰そうとするストローズのロバート・ダウニー・Jr
- 米軍の原爆開発責任者レズリー・グローヴスにマット・デイモン
- 物理学者勢には、ケネス・ブラナーやトム・コンティ、ジョシュ・ハートネット
- 陸軍防諜部長にケイシー・アフレック
- 日本への原爆使用を反対するヒルにラミ・マレック
本作は伝記映画の興行成績で『ボヘミアン・ラプソディ』を抜いて一位になったそうだが、ラミ・マレックはどちらにも絡んでいる強運ぶり。
女優陣は妻キャサリンにエミリー・ブラント、元恋人のジーン・タトロックにはフローレンス・ピュー。
今月はドゥニ・ヴィルヌーヴの新作『デューン 砂の惑星 PART2』とノーランの本作が立て続けに公開される幸福な月だったが、どちらにもフローレンス・ピューが重要な役で出演しているのも興味深い。
そして、ワンシーンのカメオ出演ながら、トルーマン大統領を演じたゲイリー・オールドマン。『ダークナイト』のゴードン警部とは真逆のキャラ設定。
「一夜にして英雄だ」と持ち上げたオッペンハイマーが「手が血塗られたような気がする」と不安そうに語ると「恨まれるのは君じゃない、落とせと命じた私だよ」
だがそれは彼を気遣っての言葉ではない。勝利ムードに水を差す水爆開発慎重論者に、「あの泣き虫を二度とよこすな」と大統領は手のひら返しする。
ノーラン監督は、時系列をいじるに飽き足らず、時間を逆行させるという観客が脳をフル稼働させないと理解できない前作『TENET』において、プルトニウム強奪や第三次世界大戦の阻止を取り扱った。
本作はそこからの原点回帰といえるのかもしれない。
<ノブレス・オブリージュ>のように、科学者にも、自分が開発したものへの責任が伴うものなのだ。だが、オッペンハイマーがそれに気づいた時には、既に原爆は彼の手が届かないところにいってしまった。
それにしても、これまでの監督作品とは打って変わった、SF的な仕掛けも飛び道具のアクションもない伝記映画で、これだけの作品を作り、オスカーも興行成績も手にしてしまうとは、さすがノーラン監督、畏れ入った。