『ハズバンズ』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『ハズバンズ』今更レビュー|カサヴェテスから金曜日の夫たちへ

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『ハズバンズ』
 Husbands

ジョン・カサヴェテス監督による、三人の中年男たちのバカ騒ぎのリアル

公開:1970 年  時間:131分  
製作国:アメリカ
 

スタッフ 
監督・脚本:   ジョン・カサヴェテス

キャスト
ハリー:        ベン・ギャザラ
アーチー・ブラック:ピーター・フォーク
ガス・デメトリ: ジョン・カサヴェテス
スチュワート:デイヴィッド・ローランズ
メアリー・タイナン:ジェニー・ラナカー
パール・ビリンガム:
        ジェニー・リー・ライト
ジュリー:        ノエル・カオ
レッド:       ジョン・クラーズ
アニー:         メタ・ショウ
レオラ:       レオラ・ハーロウ

勝手に評点:3.0
  (一見の価値はあり)

あらすじ

互いに家庭や仕事を抱えた平凡な中年男性のハリー(ベン・ギャザラ)、ガス(ジョン・カサヴェテス)、アーチー(ピーター・フォーク)

仲の良い三人はある日、もうひとりの友人スチュワート(デイヴィッド・ローランズ)が突然死んだことにショックを受ける。

葬儀に参列した後、三人は酒場で痛飲して他の客と歌ったりわめいたり、悪酔いして吐く。

翌日、いったん帰宅し、それぞれの生活に戻ろうとしたものの、どこか空しさを感じた彼らは、今度はロンドンの街に繰り出し、ホテルにそれぞれ女性を連れ込んで一夜を明かす。

今更レビュー(ネタバレあり)

友人の葬儀から始まるバカ騒ぎ

ジョン・カサヴェテス監督が前作『フェイシズ』に続き放った、胸がヒリヒリと痛くなるようなリアルな作品。

とはいえ、冷え切った夫婦関係とそれぞれが不倫に走る物語だった『フェイシズ』に比べれば、本作は比較的コメディタッチな陽気さが目立つ。

主人公は、ハリー(ベン・ギャザラ)ガス(ジョン・カサヴェテス)アーチー(ピーター・フォーク)の三人。

若い頃からの遊び仲間だった彼らには、もう一人スチュワート(デイヴィッド・ローランズ)という友人がいたが、若くして突然に死んでしまったことで、その葬儀に集まる。

ベン・ギャザラピーター・フォークも、本作以降カサヴェテス作品にはよく登場する常連俳優となる。

(c) 1970 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

NYで暮らす広告マンと新聞記者、そして歯科医。それぞれ社会的な地位がありながら、いざ集まってしまうと、仲間うちで意気投合しバカ騒ぎ。言ってしまえば、終始そればかりの映画だ。

スチュワートを偲んで三人で夜通し飲んで騒ぐが、しんみりするわけでもなく、周囲の客の迷惑も顧みずに大騒ぎが続く。

そのまま朝を迎えて、地下鉄の中でも三人で盛り上がり、バスケや水泳に興じたかと思えば、今度はまた酒場に行って、他の客に歌を歌わせては、真剣にダメ出しする。

(c) 1970 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

そのままのノリでロンドンに

『フェイシズ』でも、高級娼婦のジーナ・ローランズ相手に、いけ好かない男性客が延々と自慢話を披露するようなシーンが特徴的だったが、本作は更にグレードアップ。

そして、男性優位社会の強調ぶりも前作譲りで、本作ではハリーが仲間を待たせて自宅に戻り、妻や義母を相手に大喧嘩をして、妻のアニー(メタ・ショウ)が刃物まで振り回す騒動になる。

「こんな家にいられるか」と、パスポートを持ち出して、「ロンドンに行く」と言い出すハリーに、他の二人が追随する。

このあたりも仲のよい三人は、結局揃って英国に向かい、当地でカジノにはまり、そして旅の恥はかき捨てと、それぞれ女漁りを始める。

(c) 1970 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

中年男三人がいくつになっても仲良しで、揃って街中で飲んだくれてバカ騒ぎ。構図的に思い出すのが、アメリカン・ニューシネマの佳作『さらば冬のかもめ』の続編にあたる『30年後の同窓会』(2017)だ。

ただ、あの作品には、旧友三人が久々に再会し、ちょっとした旅をする確固たる理由もあったし、飲んで騒ぐのにも節度があった。それに何より、そもそも、ドラマとして成立している。

だが、こちらは何せジョン・カサヴェテス監督のインディペンデンス作品だ。お仕着せの起承転結ドラマがあるでもなく、男どものバカ騒ぎにも節度などない。

浅ましく情けない男ども

初めから終わりまで、ひたすらバカをやる。そういうのがカサヴェテス監督のスタイルなのだと、段々わかってきた気がする。

脳の老化防止には、食べたことのない料理を注文してみるとか、日頃は縁がないジャンルの映画や本に接するとか、脳が想像できない刺激を与えるといいらしい。

その意味では、先の読める展開のドラマに飼い慣らされた私の脳に、カサヴェテスはいつも喝を入れてくれる。映画の出来不出来とは別に、新鮮な体験であることは確かだ。

それにしても、何とも見苦しい、というかあさましい男たちの振る舞い。舞台がロンドンに移っても、所構わず大声で品のない会話をし、女性蔑視の態度をとり、ドルは使えるかと常に聞く。

それはカサヴェテスが描く、典型的な米国人男性像なのだろう。『フェイシズ』では小粋なアメリカンジョークのつまらなさを強調し、本作では粋のかけらも感じさせない男たちのナンパの話術が辛辣に映し出される。

家庭内に暴力を持ちこむような昭和をひきずる男・ハリー、女性扱いには手慣れていると自負する軽薄短小な歯医者のガス、一見愚直で奥手そうなのに相手が年増やアジア人だと突如横柄になるアーチー。まあ、三者三様のゲス男だ。

(c) 1970 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

ママはカンカンだよ

カサヴェテスに言わせれば、人生は<笑えないコメディ>なのだろう。ネタが滑っているという意味ではなく。

今回鑑賞したのは配信版なので尺が131分。最長の154分版まで、尺の違いでいくつかバージョンが存在する。

どの辺がカットされているのか分からないが、おそらく長くなっても、観終わってスッキリする起承転結があるわけではないのだろう。そうなったら、もはやカサヴェテス作品とはいえない。

どちらかといえばカッチリと型にはまった作品が好きな私には、本作などは評点が厳しくなりそうなものだが、そんなに辛口になりきれないのは、そこにインディペンデント映画の不屈な精神を感じさせるからか。

いや、本音をいえば、「私、カサヴェテス苦手です」というのが悔しいからなのかもしれない。

本作のラストでは、子供たち用にロンドンみやげを抱えたハリーが自宅に戻ってくる。突然出て行った父親の帰還に、幼い弟は泣きべそで迎え、生意気な兄は「ママはカンカンだよ」と脅かす。

ラスボスとの対決を目前に映画は幕切れとなるのだが、そこを想像すると、また気が重くなる。