『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』
Guillermo del Toro’s Pinocchio
誰もが知るピノッキオをギレルモ・デル・トロがダークなテイストのストップ・アニメーションに。
公開:2022 年 時間:117分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: ギレルモ・デル・トロ マーク・グスタフソン 原作: カルロ・コッローディ 『ピノッキオの冒険』 声優 ピノッキオ: グレゴリー・マン(野地祐翔) ゼペット: デヴィッド・ブラッドリー(山野史人) クリケット: ユアン・マクレガー(森川智之) ヴォルペ伯爵: クリストフ・ヴァルツ(山路和弘) 精霊: ティルダ・スウィントン(深見梨加) 市長: ロン・パールマン(壤晴彦) キャンドルウィック: フィン・ウルフハード(宮里駿) スパッツァトゥーラ(猿): ケイト・ブランシェット 神父: バーン・ゴーマン(横島亘)
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
第1次世界大戦下のイタリア。10歳の息子を亡くしたゼペットは、悲しみから立ち直れず、木を彫って息子を作ろうとする。
翌朝、ゼペットが目覚めると、命を吹き込まれた人形ピノッキオがいた。自由に振る舞うピノッキオに初めは手を焼いていたゼペットだったが、二人は次第に心を通わせ合うようになる。
しかし、行き違いによりピノッキオがカーニバルの一座と共にゼペットのもとを去ってしまう。
レビュー(ネタバレあり)
デル・トロ流のピノッキオ
今年度のアカデミー賞で長編アニメ映画賞に輝く。『シェイプ・オブ・ウォーター』に続くオスカー獲得となった、ギレルモ・デル・トロ監督のストップモーション・アニメーション。
ネタバレもなにも、物語は誰もが良く知るあの『ピノッキオ』だ。久しく離れてはいたが、観ているうちにあれこれと詳細を思い出してくる。
◇
ディズニーアニメにもなっている有名な童話を人気監督が映画化するとなると、ついティム・バートン監督の『ダンボ』(2019)の苦い出来栄えが頭をよぎる。
ただ、あちらは細かい指導のディズニーによる実写版、こちらは理解のあるNETFLIXのアニメーションと、どうやら勝手が違うようだ。
少なくとも、ギレルモ・デル・トロ監督の代名詞ともいえるダーク・ファンタジーの要素は多分に採り入れられており、子供の頃に慣れ親しんだ『ピノッキオ』とは一味違うものに仕上がっている。大人の鑑賞に十分耐え得る作品だと思う。
魅惑のストップ・アニメーション
ストップ・アニメーションとは、テレビで良くみかけ馴染みのある、いわゆるコマ撮りのことだ。手作りの温かみはあるが、動きはけして滑らかでない印象だが、本作をみると、その生き生きとした躍動感とリアルな質感に驚く。
共同監督をマーク・グスタフソンが務める。ウェス・アンダーソン監督の『ファンタスティック Mr. Fox』でもコマ撮りのアニメーション監督を務めている人物だ。
◇
一時期は製作費の膨張で企画が暗礁に乗り上げた本作は、ストップ・アニメーションから2Dアニメへと方針変更の妥協案もあったようだが、最終的にNETFLIXの資金援助により、どうにか完成に漕ぎつける。
そんな経緯を知ると、一層コマ撮りの手間と美しさに愛着がわく。
ピノキオ誕生までの悲劇
本作の舞台は第一次世界大戦下のイタリア。ゼペットが一人息子のカルロと仲良く暮らしている。
ゼペットといえば爺さんの印象だが、ここでは父だ。カルロも親思いの孝行息子だが、ある日、父の仕事を手伝って教会にいたところに、敵機が爆弾を投下する。
それも爆撃目的ではなく、帰還する戦闘機が重量を減らすために捨てた爆弾が教会に命中したのだ。なんという不運。
◇
ゼペットの眼前でカルロは爆死。形見となった松ぼっくりを墓のそばに植えると、やがて大木となる。その間20年、いつしかゼペットは爺さんになっている。
その松の木にクリケットが住み着く(なぜかコオロギという字幕はでなかった)。このクリケットは作家であり本作の語り部だ。
そして、この松の木をゼペットは切り倒し、器用に子供の人形をこしらえる。そこに精霊が現れ、人形に生命を吹き込む。こうしてピノッキオが誕生する。
リアルな造形のピノッキオ
亡くした息子の代わりに人形をこしらえるという発想は、『鉄腕アトム』に受け継がれている。『ブラックジャック』のピノコもそうか(名前からして)。手塚治虫はディズニーに数多くのインスピレーションをもらい、『ジャングル大帝』で『ライオンキング』に借りを返した。
◇
さて、本作のピノッキオの造形には驚いた。もっと人間の男の子に近づけるのかと思っていたら、本当に木製の人形の質感とデザインを保っているのだ。ディズニーの『ピノキオ』を見慣れた者には、結構なギャップがある。
この生命の宿ったピノッキオは、何にでも興味津々のわんぱく坊主なのだが、大人のいうことなどろくに聞かず、あれがしたい、これがしたいと、自分の感情にまかせて勝手し放題。なかなかの悪ガキ設定だ。
教会の礼拝に現れたピノッキオを、みんなが悪魔だと騒ぎ立て、ゼペットは困り果てるのだが、このピノッキオの天真爛漫に動き回る様子は、ちょっとホラーじみている。
◇
なんでそう思ったのか考えてみたが、浦沢直樹のコミック『MONSTER』の中に出てくるダークな絵本『なまえのないかいぶつ』が深層心理にあったのかもしれない。
どこまでもダーク・ファンタジー
ピノッキオは落ちぶれ貴族のヴォルペ伯爵にまんまと口車にのせられ、人形劇の花形としてカーニバルの巡業に加わる奴隷契約を結んでしまう。この辺の雰囲気は、デル・トロの近作『ナイトメア・アリー』のサーカス一座とよく似ている。
クルマに轢かれて死んでしまうが、死の精霊に出会い、何度も人生をやり直すことができるピノッキオのブラッシュアップライフ。そんな彼の才能を買い、「死なないのなら、母国のために少年兵になりなさい」と言ってくる市長が怖い。
◇
ピノッキオはそそっかしいが、決して悪い子ではない。人形劇への出演も、本人はゼペットへの生活費の仕送りがなされているものと信じている。
だが、ヴォルペ伯爵に搾取されているとようやく気付いたピノッキオは、ムッソリーニを主賓客として招待したステージで、わざと彼を怒らせ(うんこドリル作戦)、ショウを台無しにする。
ムッソリーニをこけにした演出はなかなかシニカルだが、ここもデル・トロ流のダーク哲学。
◇
ヴォルペ伯爵に迫害されている猿のスパッツァトゥーラや、参加させられた少年兵訓練施設で友だちになったキャンドルウィックを助けようとしたり、ピノッキオは随分と功徳を積み重ねてきた。
見た目はけして人間っぽくないままだが、序盤よりもだいぶキャラクターに親近感が増してくるのは、『アバター』のような手法なのか。
分かっているのに泣ける話
クライマックスの、わが身を犠牲にしてもゼペット爺さんを救いたいということを精霊に直談判するあたりなど、はじめから読める(或いは知っている)ベタな展開なのに、結構泣けてくる。
冒頭に我が子カルロを戦争で失ったゼペットが、今度はピノッキオまでも亡くしてしまい、悲嘆にくれる姿は痛ましい。
自己犠牲のピノッキオもいいが、そんな彼を生き返らせようと、ここでようやく控え目なクリケットの出番がくる。
「教会に飾られている男のひとも、ボクと同じ木の人形なのに、なんでみんなに愛されているの?」
町の人々に悪魔のように忌み嫌われていた頃のピノッキオは素朴な疑問をゼペットにぶつけたが、ついには彼も周囲の人たちに愛される存在になった。
◇
ゼペット爺さん、猿にコオロギ、みんなの寿命が尽きるのを見届けたのちに、ピノッキオも最後には本物の少年として人生に幕を下ろす。
スチル写真だけ見ると、いかにも野暮ったい人形劇に思えるが、動いて喋るピノッキオをぜひ観てほしい。