『愚行録』
石川慶監督が貫井徳郎の原作で描く、愚か者の記録。妻夫木聡と満島ひかりの、ギリギリの世界を生きた兄妹の愛。
公開:2017 年 時間:120分
製作国:日本
スタッフ 監督: 石川慶 脚本: 向井康介 撮影: ピオトル・ニエミイスキ 原作: 貫井徳郎 『愚行録』 キャスト 田中武志: 妻夫木聡 田中光子: 満島ひかり 田向浩樹: 小出恵介 夏原(田向)友希恵: 松本若菜 渡辺正人: 眞島秀和 山本礼子: 松本まりか 稲村恵美: 市川由衣 宮村淳子: 臼田あさ美 尾形孝之: 中村倫也 橘美紗子: 濱田マリ 杉田茂夫: 平田満 武志・光子の母: 山下容莉枝
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- 原作同様、観た後に気分が落ち込むイヤミス系。だが一家惨殺事件の関係者取材を進めるうちに観る者にも気づかされる愚行の数々、そして丹精に回想シーンを積み重ねたどり着く真実は見応えがある。
- 長編初監督にして、原作者・貫井徳郎と堂々渡り合う石川慶、なかなかのやり手とみた。
あらすじ
絵に描いたように幸せな家族を襲った一家惨殺事件が迷宮入りしたまま一年が過ぎた。
週刊誌の記者・田中武志(妻夫木聡)は、妹の光子(満島ひかり)が育児放棄の疑いで逮捕されたという現実から逃がれるかのように、一家惨殺事件の取材に注力する。
ところが、関係者たちの証言から浮かび上がってきたのは、理想的と思われた夫婦(小出恵介、松本若菜)の見た目からはかけ離れた実像、そして、証言者たち自らの思いもよらない姿であった。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
映画化困難な原作が好きな監督
貫井敏郎による同名原作の映画化に、長編初監督となる石川慶がメガホンを取る。イヤミスというと女性作家の活躍が目立つが、本作も登場人物の愚行の数々に、嫌な気分になること請け合いだが、なかなか完成度は高い。
長編監督デビューとは思えない石川慶監督の堂々たる演出力。原作を消化し、映画ならではのアレンジで勝負するスタイルは本作でもはっきり窺える。
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冒頭、妻夫木聡演じる主人公の田中武志が満員バスで老婆に席を譲れと男性客に高圧的に言われる。譲りはするが、田中は足を引き摺ってバスを降り、男性客に気まずい思いをさせる。だが実際彼は身障者ではなく、ちょっとやり返しただけだ。
この些細なエピソードは映画オリジナルだが、田中のキャラをさりげなく語るうまい導入だ。
本作と同様に妻夫木聡が物静かな狂言廻しを担う石川慶監督の新作『ある男』でも、冒頭の彼のバーでのシーンは原作にはないが、とても効果をあげている。
石川慶監督は映画化が難しそうな原作と対峙するのが好きだと最近どこかで語っていた。なるほど、恩田陸の『蜜蜂と遠雷』やケン・リュウの『ARCアーク』が選ばれたのにも合点がいく。
本作も、田中は週刊誌の記者として関係者に取材はするが、原作では全て関係者の語りだけで完結し、田中自身は妹の回想にしか登場しない。
その構成を大きく変えることは原作の良さを壊すことにもなりかねなかったが、妻夫木聡の個性を消す演技や向井康介の脚本力もあって、新たな味わいを創出することに成功している。
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監督がポーランドで映画を学んだことと関係があるのかは分からないが、撮影監督ピオトル・ニエミイスキによるカメラにも、あの寒々しい色調にポーランドを感じ取ってしまうのは気のせいか。
一家惨殺事件
冒頭でバスを降りた主人公の田中は、育児放棄で逮捕され収監されている妹の光子(満島ひかり)に面会に行く。娘のちひろは栄養失調で脳に障害もあり、入院治療中だ。
妻夫木聡と満島ひかりと来れば、思い出すのは『悪人』(2010、李相日監督)か『スマグラー』(2011、石井克人監督)、或いはやはり兄妹役だったドラマ『若者たち2014』か。
普段と違い感情を抑えて無表情で語る満島ひかりの演技に、新たなる一面を見る。
兄は憑かれたように、一年前に起きた事件の取材を始める。住宅街の一家惨殺事件。セカオワのFukaseが演じた『キャラクター』(2021、永井聡監督)や、妻夫木も出ていた『怒り』(2016、李相日監督)などと同様、世田谷一家殺人事件がモチーフになっているのだろう。
空き地だらけの住宅分譲地に、被害者の住戸だけがポツンと建っている犯行現場。いや、よく撮影許可がおりたものだ。
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ここから田中の関係者取材が始まる。本作の真骨頂は、この関係者たちの問わず語りの回想シーン。
これによって、まだ顔も明かされていない被害者夫婦のプロフィールが浮かび上がってくる。惨殺事件の被害者とくれば同情したくもなるが、話を聞くにつれ、そんな気持ちが薄らいでいく。
今更レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見・未読の方はご留意願います。
夫の会社同僚の取材
さて取材の内容で分かってきたこと。まずは夫の田向浩樹(小出恵介)。稲大(原作では早稲田)を出て、大手不動産デベロッパーに就職。街づくりの仕事にはつけず、マンション販売部署に。
田向浩樹について語るのは、同窓同期で経理部の渡辺正人(眞島秀和)。居酒屋で大ジョッキ片手に、田中相手に若手時代の武勇伝を語る。ジョッキの下には田中の名刺がコースター代わりに。いやな奴の表現がうまい。
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合コンで後輩社員の山本さん(松本まりか)と即ヤリした田向が、「そんな尻軽女は勘弁」と、渡辺と彼女をくっつけた挙句、「両方と付き合って男の友情を引き裂く性悪女め」と計画通り別れて捨てる。
なんともクズな男二人だが、それを楽しそうに思い出語りする渡辺の下衆度合いが凄い。最後には死んだ友人を悼んで泣くが、非道な武勇伝とのギャップ。大阪弁をいやらしく使う眞島秀和のキャラ立ち、最高!
夫の学生時代の元カノ
そして、今は田舎で子育てしている、田向の学生時代の元カノの稲村恵美(市川由衣)。一度捨てられたものの、彼女の父親のコネで就職できないかと、再び近づいてくる。
だがよく話を聞けば、別の会社の重役令嬢にも触手を伸ばしており、二股かけての就職活動。
女ふたりで問い詰めると、「人生の重要局面でコネを使って何が悪い。俺は父親の職業も含めて総合的に君たちが好きなんだ」と強硬な態度で開き直り。
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結局田向は女二人を捨て、実力で今の会社に就職するのだが、この下衆っぷりが、小出恵介の実生活のスキャンダルとオーバーラップしてしまい、いや臨場感がハンパない。
妻の学生時代の友人
さて、一方殺された妻の田向友希恵(松本若菜)、取材ではみな旧姓で夏原さんと呼ぶ。こちらは文応大(原作では慶應)出身。
家柄もよく裕福な、下からの内部出身者だけでコミュニティを作る学校のなかで、才色兼備で世渡り上手の夏原さんは、大学からの入学者でありながら巧みにこの内部生グループメンバーに昇格していく。
田中の取材に応じたカフェ経営者の宮村淳子(臼田あさ美)はそんな内部生組と距離を置く学生だったが、たくみに夏原さんに言いくるめられ、次第に親しくなっていく。
だが、恋人の尾形孝之(中村倫也)を彼女に横取りされたことで、逆上した淳子は二人とは訣別する。
素晴らしき内部生の世界
虫も殺さぬ上品な微笑みで周囲を惑わす知的美女の夏原さんに松本若菜は絶品のキャスティングだと思った。彼女が演じるとキャラの善悪が想像しにくい点も有効。
その点、臼田あさ美が出てくると、初めから意地悪さが透けて見えて、彼女が語るにつれ、夏原さんも淳子もともに嫌な女に見えてくる。
ラクロス部所属の尾形役の中村倫也は、今の彼を思えばあまり目立つ役ではないが、本作では比較的まともな人物。
◇
しかし、原作でもそうだが、本作の慶應の内部進学組の描かれ方は、あまりにイメージ先行でデフォルメされており失笑。貫井徳郎は早稲田出身だから、慶應は悪く書きたかったのかね。この辺の描き方は山内マリコの『あのこは貴族』の方がリアルだと思う。
愚行は積み重なる
さて、ここからいよいよ本質的なネタバレとなるが、兄妹そろって育児放棄や虐待を受けて育った光子(満島ひかり)は、両親から離れ岳父の世話になり文応大に合格する。
光子は、キャンパスで夏原さんと出会うのだ。おお、やっと話が繋がった!
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光子は彼女に惹かれ、真似をし、内部生の男たちを次々にあてがわれるようになる。夏原の仕組んだ罠であり、家柄もない光子は男たちに弄ばれ捨てられていく。
傷ついた光子の心情描写に使われた、独房で横たわる彼女の身体を無数の男たちの手がまさぐるカットは見事だ。
◇
宮村淳子(臼田あさ美)が田中を再びカフェに呼び出し、夏原さんを恨んでいる人物を思い出したという。それは光子のことだった。
「彼女のようにはなりたくないですね。育児放棄で逮捕されたんでしょう?夏原さんとの心労が原因かな。私が彼女なら殺しに行ってるかも」
同情しているようでいて、淳子の発言には毒気しか感じられない。
黙って聞いていた田中は、無人の店で花瓶をつかみ、淳子を撲殺する。窓の外からそれをとらえたカメラ。音声は拾わない。静けさの中で倒れ込む女。
誰も聞いていない自白
精神鑑定医(平田満)のカウンセリングのさなか、一人になった光子が独白で犯行を語る。
自分は愛する人の子を産んでささやかな幸福さえ掴めず、偶然町で出会った夏原さんと娘の後を追い、自宅に侵入した。帰ってきた夫も含め、家族全員を刺殺した。だが、その独白は誰も聞いていない。
医師が部屋に戻ると、彼女は口をつぐむ。
光子とたち兄妹は愛し合っていた。両親に虐待され続けた二人は互いを必要としあい、そして男女の関係になった。
兄がこの事件の取材を始めたのは、真犯人の手がかりを消すことだった。唐突のように見えた淳子の撲殺も、想定内の犯行だったのかもしれない。
映画では、兄が淳子を殺した犯行現場に、元恋人の尾形(中村倫也)の吸い殻を残す。こうして捜査の目を違う人物に向けさせるのだ。原作にはないアレンジだが、悪くない。
「愚行録」でいう愚かな行いとは、一家を衝動的に殺害した者の犯行であると同時に、その被害者夫婦のこれまでに行ってきた愚行や蛮行でもある。現に、殺された夫婦への同情心は薄らいでいるはずだ。
そして得意げにこの夫婦の過去について語ってくる関係者たちのふるまいもまた、愚行であることに気づかされる。
世間は愚行の積み重ねで成り立っている。そうとでも思わせるような、バス乗客たちの表情をとらえて映画は幕を閉じる。