『サッド ヴァケイション』
Sad Vacation
青山真治監督が遺した、壮大な北九州サーガ三部作のラストを飾る一作。全てはここに繋がっていた。
公開:2007年 時間:136分
製作国:日本
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
中国からの密航者を手引きする健次(浅野忠信)は、父親を亡くした少年アチュン(畔上真次)を引き取ることに。
職業を変え、アチュンや幼馴染の男の妹ユリ(辻香緒里)と家族のような共同生活を送っていたある日、健次はかつて自分を捨てた母親・千代子(石田えり)に再会する。
捨てられた恨みを果たすため、母と共に暮らし始める健次だったが…。
今更レビュー(ネタバレあり)
北九州三部作が最後に繋がる
『Helpless』(1996)、『EUREKA』(2000)に続く、青山真治の<北九州サーガ>の第三作。
スタート時点ではここまで撮りきる構想はなかったらしいが、出来上がってみれば、それぞれが一つの作品として成立しており、かつ互いに美しく融合している。サーガの名に恥じない完結編といえる。
◇
冒頭、北九州の港町で、中国人の密航船を幇助する闇の仕事に手を染めている健次(浅野忠信)。父を亡くした少年アチュン(畔上真次)をみつけ、ガキは高く売れるぞと言われる中、家に連れ帰る。
部屋にはユリ(辻香緒里)が待っている。『Helpless』で自殺したヤクザの安男に代わり、親しかった健次が彼の妹のユリの面倒を見ているのだ。
「お兄ちゃんはいつ帰ってくるん?」
知的障害のあるユリは、兄の死も認識できずにいる。
こうして健次とユリは、日本語を解さないアチュンと共同生活を始める。だが、中国人のマフィアは、健次の裏稼業の同僚(豊原功補)を射殺し、アチュンをいつか引き取りに来ると健次を恫喝する。
梢捜索隊に入れてやるけん
まずは『Helpless』から本作への繋がりが分かった。二作目の『EUREKA』はどうだろうか。
東京に出張で訪れた茂雄(光石研)が、思いっきり北九州ノリで電話して押しかけたのは、なんと秋彦(斉藤陽一郎)のアパート。迷惑顔で茂雄に口答えしつつも、仲良さそうに焼酎を飲む二人が楽しい。
◇
前作を観ていない人にはさっぱり分からないだろうが、二人は北九州のバスジャック事件で繋がっている。生き残ったのは、運転手の真と、乗客の少女梢と兄の直樹の三人のみ。直樹はその後、殺人罪で少年院に入った。
茂雄は真の親友、秋彦は兄妹の従兄だった。二人の会話から、その後に真は病死し、高校を卒業した梢は消息不明になっていることが分かる。梢を心配する茂雄は、強引に秋彦を私設捜索隊に入会させる。
全編が重苦しいトーンの本作において、この二人のやりとりはコミックリリーフになっていてホッとする。
秋彦は『Helpless』でも健次の級友として登場するし、また同作で自殺したヤクザの安男も光石研が演じていたものだから、この人間関係は分かりにくい。
サーガの中で同じ俳優が別の役を演じるのは混乱を招く悪手だと思うが、きっと当時は三部作の予定ではなかったのだろう。
間宮運送にみんな集まる
さて、ここでようやく本作の舞台となる間宮運送の登場だ。篤志家の間宮社長(中村嘉葎雄)が、借金取立に追われる者を救済し雇っている、流れ者の巣窟のような小さな運送会社。
ヌケに赤く大きな若戸大橋がそびえる会社の立地は、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のブルックリン橋のようで、絵になる。ここに、仕事を求めて梢(宮崎あおい)がやってくる。
一方、運転代行の仕事を始める健次は、ホステスの冴子(板谷由夏)に気に入られ、次第に深い仲になっていく。
◇
健次と梢は本来、絡むことのない他人同士だが、ある晩、健次は間宮の運転代行でこの会社に現れる。そこで二人は顔を合わせることになるのだが、その晩には、もっと運命的な出来事が起きていた。
健次には、家族を捨て、彼の父親を自殺に追い込んだ母親がいたのだが、それがこの間宮の妻・千代子(石田えり)だったのだ。殺したいほど憎い母親との再会。そこから、新たなドラマが転がり始める。
女たちのサーガ
かなり物語が進行してからようやく登場の石田えりだが、実質的には主演といっていい。
今や日本を代表する俳優である浅野忠信や宮崎あおいは、このサーガの初登場から鮮烈な演技を見せてきた訳だが、最終作でいきなり現れた石田えりは、余裕でその二人に対抗してくる。
◇
唐突な再会に動揺しながらも、罵詈雑言をぶつけにきた息子に対して、健次だとすぐに分かったと平然という母。
「恨み事はなんぼでも聞くけど、あんたもここに一緒に住んでくれると?」
謝らないどころか、「あんたは連れ子だからここに住んでおかしくない。ユリも中国人の子も連れて来ればいい。種違いの弟の勇介(高良健吾)にも、昔から兄弟のことは言い聞かせている」という。
母親とは、そういうものか。子供に向けた、揺るぎない愛情の大きさで、自分の思う道筋に、当然のように家族を引き込もうとする。
サーガの過去作では、バス運転手の沢井真(役所広司)やヤクザの安男(光石研)、そして健次(浅野忠信)のように、北九州の男たちの系譜を描いてきたように思う。
だが、本作の主人公は、千代子(石田えり)や梢(宮崎あおい)のみならず、想像以上に重要な役割を担っていたユリ(辻香緒里)、そしてのちに健次の子を妊娠する冴子(板谷由夏)など、明らかに北九州の女たちであり、母親なのだ。
どん底に暮らす面々
それにしても、この間宮運送のならず者の巣窟感がいい。青山真治監督が意識したのはジャン・ルノワールの『どん底』(1936)という。さりげなく登場する面々が、なにげに面白い。
医師免許を剥奪されたインテリなご老体・木島に川津祐介。個人的にはドラマ『Gメン’75』の人だったが、そもそも医学生だった人だから、こういう訳アリな医者役は合う。
◇
そして、一匹狼的な同僚・後藤役にオダギリジョー。『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』と同時期だから、既に押しも押されもせぬ人気俳優だったはずだが、目立つことを避けるかのようなひっそりとした役。
オダジョーに代わり、ギラギラ感を見せてくるのは、健次の弟にあたる勇介役の高良健吾。まだ映画出演数の少ない時期だが、彼も北九州の人間だから、とんがった感じも物言いもサマになっている。
従業員で一番大男の曽根(嶋田久作)に背負い投げを食らって這いつくばるところは、大物になった今ではなかなかお目にかかれないな。
◇
間宮運送の狭い敷地に、浅野忠信、オダギリジョー、高良健吾の三人のイケメンが勢ぞろいするのは、いかにも映画的な華やかさがある。
復讐するは我にあり
さて、千代子に復讐する機会をさぐるためか、健次はユリとアチュンを連れて、間宮家に暮らし始める。千代子は、健次を会社の跡取りにさせるつもりだった。
だが、そんな立場に安住するつもりは健次にはない。彼は母親に反抗する勇介をけしかけて家出させた。それで千代子を苦しませるはずだった。だが、千代子の目には、健次だけが大切な存在に見えた。彼の復讐は失敗したのだ。
「復讐か。どげんするんが復讐になるんかのう」
梢に聞かれた健次は回答に困った。ともに母親に棄てられ、父親が死んでしまった者同士。だが梢は母親の元気な顔を見たがっていた。
中上健次の紀州サーガに対抗するように、本作の登場人物たちも、次々に試練がやってくる。アチュンは中国人マフィアに攫われてしまい(本間しげるの怪演!)、家出する前に勇介はユリをレイプし、そして健次は殴り合いがエスカレートした末に、勇介を殺めてしまう。
新聞記事を見て健次の所在を知った秋彦が、茂雄とともに間宮運送を訪ねてくる。折りしも勇介の葬儀中だが、そこにはなぜか偶然。梢がいる。秋彦が散々、探していた梢が。
ありきたりな再会シーンではなく、突如会社に現れた誰かを見とめた梢が、冷たい水を取りに事務所内に戻り、再会を喜ぶ二人に手渡すショットのカメラワークがユニークだ。
梢捜索隊はめでたく任務を果たしたが、結局秋彦は健次と対面できていないのも、不思議なストーリー構成だと思った。
生まれてくる者のことだけを
これだけでは陰鬱な物語だ。だが、息子同士が殺し合い、一人は死に、一人は逮捕されたというのに、千代子はどこか前向きで明るい。それは、葬儀に参列した冴子(板谷由夏)が、健次の子を宿しているから。
ここから、生まれてくる者のことだけを考え、みんなで健次の帰りを待って、血脈を繋げていこうとしているのだ。
◇
ユリは、自殺した健次の父親がほかの女に産ませた子だった。妹のように接していたユリは、健次の本当の妹だった。だから、ユリが処女だったことを知った千代子は、安心するとともに、「あんた偉かったね」と健次を褒めたのだ。
千代子が家を出たのは、父親の不倫が原因だった。これが健次に対抗できる、千代子の切り札だ。息子がどれだけ反抗しようが、ユリを養子として引き取り、冴子に無事子供を産ませ、それまで健次には面会させない。
みんなで健次の出所を待って、やり直すのだ。千代子の計画の中には、もう死んだ勇介の姿はない。寛大な夫・間宮繁輝(中村嘉葎雄)が彼女の頬を叩いたのも、無理はない。
でも、血脈というものは、このようにしぶとく繋がっていくものなのだろう。腹違いの兄弟だった健次と勇介、そして種違いの兄妹だった健次とユリ。つい家系図を書いてみたくなる複雑な人間相関だ。
『Helpless』と『EUREKA』はほぼ独立した作品なので、観る順番をあまり気にしなくてよいが、本作は単体で観ても理解しがたいため、最後に観なければ、味わいが薄れてしまう。
さほど連関性を感じさせなかった過去二作がここにきて一体となったうえ、サーガにふさわしい壮大なメッセージを残していく。
しかも、長大な三部作の映画のエンディングだというのに、大きなシャボン玉がはじけて終わるという、人を食ったラストも痛快ではないか。
虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。青山真治監督の早逝はあまりに悔やまれるが、彼の北九州サーガは、多くの人々の心に残り続けるに違いない。ご冥福をお祈り申し上げます。
最後にロケ地紹介
門司ターミナル
アチュン少年を自転車に乗せて走る健次
間宮運送から見た若戸大橋
運送会社はオープンセットだが、景色はこれ
白野江の採石場
健次と勇介が決闘する場