『ふたり』
赤川次郎原作を大林宣彦監督が映画化した新・尾道三部作の第一作。石田ひかりの初主演に中嶋朋子が共演。甘酸っぱい青春ファンタジー。
公開:1991 年 時間:155分
製作国:日本
スタッフ 監督: 大林宣彦 脚本: 桂千穂 原作: 赤川次郎 『ふたり』 キャスト 北尾実加: 石田ひかり 北尾千津子: 中嶋朋子 北尾治子: 富司純子 北尾雄一: 岸部一徳 神永智也: 尾美としのり 長谷部真子: 柴山智加 前野万里子: 中江有里 中西敬子: 島崎和歌子
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
千津子と実加は仲のいい姉妹だったが、ある日、姉の千津子が事故で死んでしまう。ショックを受ける実加の前に、幽霊となった千津子が現れる。以来、千津子の励ましによって、実加は様々な苦境を乗り越えていく……。
今更レビュー(ネタバレあり)
新・尾道三部作が始まる
石田ひかり第一回主演作品、そう堂々と冒頭に出てくるところから大林宣彦監督の世界が始まる心の準備ができる。本作は以降に撮られる『あした』と『あの夏の日 とんでろじいちゃん』と合わせて、のちに<新・尾道三部作>と呼ばれるようになる。
赤川次郎による原作では、姉が交通事故で死んで幽霊になって出てくるけれど、その幽霊は妹自身が、そう育ちたいと思っている願望の姿。しかも声しか登場しない。
なので、映画化にあたり、脚本家の桂千穂と、さらにそこに監督自らシナリオを大幅に加筆したという。結果、青春ファンタジーとして魅力にあふれたものとなっている。
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その分、この手の作品にしては異例の155分という長尺になっているが、この長さは妹にとって姉の存在がいかに大きかったかを伝える効果もあり、けして冗長ではないと感じた。
余談だが、公開当時、こんなに長い作品とは知らず、駐車場が閉まる時限がせまり、上映後に愛車まで長距離を家内と猛ダッシュした苦い思い出がある。
石田ひかりがまぶしい
とまあ、まじめそうに語ったところで、結局この作品は主人公・北尾実加を演じた石田ひかりという女優のみずみずしい輝きがすべてである。観るのが照れくさくなる自分に気づく、愛すべき大林作品のひとつだ。
まだ芸能界入りして日も浅い彼女が、主演を張れる女優への第一歩として、どのように本作で監督に鍛えられ、或いはスタッフや共演者に支えられ、成長していったのかが、実に仔細にカメラにとらえられている。
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撮影期間中は役者もスタッフもみな1か月以上も現地で実際に一緒に家族として生活をして、撮っている映画の世界の住人となることが大林組の基本スタイル。
その中でひと夏を過ごすことで、一人前の女優として磨かれていく石田ひかりがそこにいる。今の映画業界でも、そんな贅沢な手法は残っているのだろうか。
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冒頭、久石譲による主題歌「草の想い」を口ずさむところから、気だるさと少し甘さを感じる彼女の声質と、リックスした演技が馴染む。
思えば、原田知世も富田靖子も、最初の大林作品ではガチガチの緊張感を感じたが、石田ひかりは随分自然体だなあ。
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彼女は、その後『はるか、ノスタルジィ』でも主演をするが、大林監督は毎年彼女の映画を撮って成長記録にしようと思っていたそうだ。
すぐに途絶えてしまったのは残念だが、その後、大林組を離れての活躍をみれば、本作で得たものは彼女の財産になっているのだろう。
中嶋朋子のもつ透明感
実加の姉・千津子を中嶋朋子が演じている。交通事故で亡くなってしまい、実加だけに姿を見せる姉は、もう一人の主人公だ。
なかなか姉は映画の中に現れないが、実加を変質者(頭師佳孝)が襲ったところで存在を匂わせ、入浴シーンで初めて顔を見せる。
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夜道で襲ってきた変質者に姉の助けを借り反撃、警察には逮捕協力に感謝された娘に対し、「お前も襲われる年頃になったか」と、呑気に感心している父(岸部一徳)は異様なキャラだ。頭師佳孝の起用が黒澤明『どですかでん』を意識していたのにも驚いた。
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石田ひかりの姉役とくれば、石田ゆり子が頭に浮かぶだろう。でも、大林監督はキャスティング当時、実姉の存在をしらない。その後『青春デンデケデケデケ』で出演させているから、当初から知っていれば姉妹の共演もあったかもしれない。
でも本作には、実力派の中嶋朋子がしっくりくるし、バランスも良い。あの『北の国から』の蛍ちゃんを大林監督が当時知らなかったというのも笑える逸話だが、おかげで本作は中嶋朋子には珍しく、のびのび演技ができている稀少な作品になっている。
それにしても、尾道のあの狭くクネクネと曲がった細い坂道に、木材を大量積載した大型トラックを駐車させ、更には無人で動き出して人身事故にまでしてしまうとは、さすが大林組だ。トラックも車体を切断しないと撮影できないほどの狭道らしい。
事故で下敷きになる千津子に駆け寄り心配する実加が、おろおろするだけでろくに救出しようとせず二人で会話しているのはさすがに不自然だが、そこにケチをつけると、話が成り立たないか。
その他キャスティング
姉妹以外も、意外なほど見せ場があって儲けものの役だったのが、実加の親友・真子の柴山智加だろう。
彼女も本作から大林作品の常連の一人となるが、学校生活の盛り上げのみならず、時には姉の千津子以上に実加を元気づけ、或いは叱咤する貴重な親友として活躍する。彼女も石田ひかり同様、途中から輝く表情をみせるようになる。
中学校にはもう一人、ソリの合わない前野万里子(中江有里)という成績のよい生徒がいる。
『ねらわれた学園』の長谷川真砂美や、『時をかける少女』の津田ゆかりのような学級委員的キャラながら、中盤でモテ男・神永智也(尾美としのり)をめぐる恋愛問題が絡んでくるとは意外なのだが。なお、中江有里は、のちに『風の歌が聴きたい』で大林映画の主演を果たす。
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高校の演劇部では、意地悪な女生徒役で島崎和歌子が登場。本作の中では、中江有里と違って最後まで憎まれ役のままなのだが、実加から奪い取った文化祭の主役を演じながら歌い上げる『草の想い』は、実は誰よりもうまかったように感じた。
恐怖のハイビジョン合成
本作はNHKのテレビドラマとして製作され、その後劇場公開。最近なら黒沢清の『スパイの妻』のようなパターンだろうか。
おかげでハイビジョンの合成もあちこちに使われているのだが、このシーンだよねと分かるだけでなく、頭を抱えたくなるほどに技術が未熟だ。
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コンサート会場に花火があがるマリンパーク境ガ浜の海上水族館、姉まで悪ノリで参加する中学校の駅伝大会など。実験的アプローチが大好きな大林監督作品だから、映画としてさしたる違和感なく成立したが、他の監督だったらカットされてしかるべき代物。
本作にも、ハイビジョンは不要だった。終盤の姿見の鏡台の向こうの世界に入ってしまった姉との会話など、ローテクでも魅せる特撮が素晴らしかっただけに残念。
更に恐怖の男性陣演出
更にいただけないのは、男性陣の設定だろう。尾道といえばこの人といえる尾美としのり。でも、彼が似合うのは、尾道三部作のような役であって、本作や『姉妹坂』にあるような、モテる大学生役ではないのだ。それでは、尾美としのりの良さが霞んでしまう。
現に、本作の姉と妹、さらには従妹の万里子にモテまくる大学生役に、彼自身どうしたら<らしさ>が出せるか、対処に悩んでいるように見えてしまう。
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更にイケてない男性といえば、こちらも常連の岸部一徳が演じる姉妹の父親だろう。出張を断って娘の卒業式に出席したら、報復人事で小樽に左遷されるというブラック企業に勤める、ぶっきらぼうだが家族思いの父親かと思っていた。
ところが小樽ではすぐに女をつくり、その愛人・内田祐子(増田惠子)が病弱(のフリ?)の妻・治子(富司純子)のいる自宅に押しかけてくるのである。
修羅場を前に、終始無言どころか、ピクリとも動かない鉄面皮が岸部一徳っぽい。しかも、女が帰った後に、彼女の悪口をいう実加をビンタするのである。
「あのひとのことを悪くいうのはよせ!」
いや、すごいキャラ設定というか、すごい時代錯誤感。碇ゲンドウなみの暴走。当時は、この父親の言動を普通に見ていたのか、我々は。あのまま実加が父親を刺していても、ドラマとしては成立していた気がする(むしろそっちのが、納得感あったりして)。
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尾美としのりが実加の自転車を押して家まで送ろうとして「もうここで」と制されるのは『さびしんぼう』。
岸部一徳が女にもらったネクタイをわざとらしく締め直すのは『時かけ』。
どうにも男性陣の演出に監督の関心は希薄だ。
神永も最後には実加にフラれ、「寂しくなるな、僕が」などと、モト冬樹のギャグみたいに独りよがりなことを言い放ち海外に旅立っていく。
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本作の男どもでまともだったのは、あっというまに急死した、真子を溺愛する父親(ベンガル)くらいじゃないか。
頭を離れないのはメロディと笑い声
そう、本作はこうしたダメな男どものおかげで一家は離散し、ひとりで暮らし始める実加が、小説を通じて姉と向き合おうとするところで終わる。
最後に流れるのは、劇中で延々と流れ続けていた『草の想い』だ。しつこく流れるのは辟易したが、とても美しい曲であることに違いはない。
大林映画の主題歌としては、文句なしに一番心に残る。まさかラストで歌うのが、大林宣彦監督と久石譲の御両人とは思わなんだが、これも悪くない。
これでこの曲のメロディと、実加の部屋の壁かけマリオネットが繰り返す「アハハハハ」という不気味な笑い声は当分頭を離れないぞ。
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ところで本作のラストは、例の交通事故が起きた細い道を制服姿の実加があがってくるシーンなのだが、カメラが切り替わって後ろ姿になると、実加が千津子に入れ替わっている。
これは彼女が顔を見せるわけでなく気がつきにくいが、これからもお姉ちゃんと一緒に生きていくよ、というメッセージがさりげなく描かれているのだ。なにげに深い。