『さびしんぼう』今更レビュー|放課後の実験室に匂うはラベンダーか牛鍋か

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『さびしんぼう』 

大林宣彦監督、尾道三部作の最後を飾る青春ファンタジー。ひとがひとを恋うるとき、人は誰でもさびしんぼうになる。

公開:1985 年  時間:110分  
製作国:日本
  

スタッフ 
監督: 大林宣彦
脚本: 剣持亘、内藤忠司、大林宣彦
原作: 山中恒『なんだかへんて子』
キャスト
井上ヒロキ:  尾美としのり
さびしんぼう: 富田靖子
橘百合子:   富田靖子(二役)
井上タツ子:  藤田弓子
井上道了:   小林稔侍
井上フキ:   浦辺粂子
田川マコト:  砂川真吾
久保カズオ:  大山大介
木鳥マスコ:  林優枝
吉田先生:   岸部一徳
大村先生:   秋川リサ
岡本校長:   佐藤允
雨野テルエ:  樹木希林
雨野ユキミ:  小林聡美

勝手に評点:4.5
(オススメ!)

あらすじ

尾道の寺の跡取り息子でカメラ好きの高校生ヒロキは、放課後になるとズームレンズで隣の女子校を眺めていた。彼の目当ては、音楽室で毎日のようにショパンの「別れの曲」を弾く長い黒髪の少女。

ヒロキははかなげな横顔の彼女に<さびしんぼう>とあだ名を付け、ひそかに想いを寄せていた。

そんなある日、寺の大掃除をしていた彼の前に、こちらも<さびしんぼう>と名乗るピエロのような格好をした不思議な少女が現われる。

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今更レビュー(ネタバレあり)

尾道三部作の最終作

大林宣彦監督の尾道三部作のラストを飾る本作は、当初予定されていた『姉妹坂』の撮影が急遽1年延期になったことで、時間のできた富田靖子を主演に何か撮ろうということで生まれた作品だという。

一方で、もう一本撮って尾道三部作を観せてほしいというファンの声も多く、背中を押されたようだ。山中恒の児童文学を原案に持ってきて、限られた時間のなかで捻りだした傑作ともいえる。

だが、「人を愛することは寂しい事なんだ」という考えと<さびしんぼう>なる造語は、大林監督が古くから温めていたものだから、骨格はしっかりしている。晩年にようやく実現できた『花筐/HANAGATAMI』と同様に、若い頃から映画化を模索していた作品なのだ。

『転校生』は少年少女の身体が入れ替わってしまう物語。尾美としのりと小林聡美のダブル主演だが、演出的には少女がメインの印象が強い。『時をかける少女』は完全に、原田知世演じる少女が主人公だ。

なので、三部作としては初めて、少年が主人公の映画になっている。全てに出演している尾美としのりも嬉しかっただろう。三部作を時系列でみると、彼は役者としてすでに成熟しているし、危なっかしい演技にハラハラせずに映画が楽しめるのはありがたい。(『時かけ』は、そのスリルもまた魅力だったりするが。)

男子高校生の映画ゆえの悪ノリ

男子高校生を主人公に据えたこともあり、映画は必要以上にアホな男子のノリを強調する。

カメラ好きの寺の住職の倅は、成績は冴えないが人付き合いはよく、悪友二人とバカなことばかりして結束が固い。80年代の映画にはステレオタイプなドラマの主人公か。

悪友の一人マコト(砂川真吾)はJAC出身だからといって、尾道の細い街路で無駄に宙返りを繰り返す。画面に動きが欲しかったのか。校長先生(佐藤允)自慢のオウムには、「たんたんたぬきのキン〇マは~」を覚えさせ悪戯する。

女教師の大村先生(秋川リサ)に至っては、何の脈絡もなく何度もスカートが落ちて下着姿になるサービスショットがあり理解に苦しむ。

とはいえ、大林映画において、この程度のおふざけはかわいいものだ。それに、これら全てが場の賑やかしにも貢献している。

このような男子校のノリがあってこそ、女子高に自転車通学し、放課後に音楽室でピアノを弾く橘百合子(富田靖子)人一倍おしとやかで魅力的に映ってみえるのだ。

さびしんぼう 予告編

<静>と<動>ふたりのヒロイン

百合子は、ヒロキ(尾美としのり)がファインダー越しに憧れているだけの存在。彼女が友だちと談笑する姿も見せず、プロフィールも明かされないため、かえって<さびしんぼう>よりも謎めいて見える

そんなマドンナが、寺の前で自転車のチェーンがはずれて困っている。何という好機。ヒロキは修理に失敗し見せ場を逃がすが、強引に自転車を引き摺って一緒にフェリーに乗り込むことで親しくなる。この辺の展開にはつい甘酸っぱい思いで頬が緩んでしまう。

尾道の細い坂道に自転車の女学生、そしてフェリーで島に帰るロケーション。黄色がかった色調がまた郷愁を誘う。この作品にはあえてオプティカルな合成処理を加えず、アナクロな特撮で処理したというが、そのおかげで美しい尾道が十分に堪能できる。

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百合子が<静>ならさびしんぼうは<動>。突如寺に現れたこのへんてこな娘は、ヒロキの母タツ子(藤田弓子)の昔を良く知る幽霊のようなものかと思ったが、触れば実体があるようだし、ヒロキ以外の人にも見える。

富田靖子は、百合子のおしとやかさの鬱憤を晴らすように、さびしんぼうで道化師のようにすばしこく動き回る。

本作のポスタービジュアルや同時期のケンウッドのコンポのCMなどでは、富田靖子は橘百合子の清楚でおしとやかなキャラで売っていたように思う。

私もその戦略にまんまとハマっていた一人だが、今思えば、彼女は本来、さびしんぼうのように激しく動き回る系のキャラだった。

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母の思い出と父の包容力

タツ子の旧友雨野テルエ(樹木希林)が娘のユキミ(小林聡美)を連れて寺を訪れては、さびしんぼうに過去を暴かれて怒って帰るシーンが面白い。樹木希林振袖で新年早々では、まるでフジカラーのCMだ。

大林監督は当初、小林聡美を本作の主演に誘っておきながらのこの役だそうで、彼女には無念だったろうが、さすがに三部作で二回も尾美としのりと共演というのは、座りが悪い。

ところで、本作を改めて観ると、実は一番見事な配役は藤田弓子だったのではないかと思う。

勉強しろと口うるさく女性らしい麗しさのかけらもない母親と言われれば、そうにも見えるし、終盤でヒロキと仲良く語り合う様子などをみると、意外と美人で優しいお母さんにも見える、絶妙なポジションだ。

母親役としては小栗康平監督『泥の河』での名演に並ぶのではと思っている。そういえば、富田靖子のデビュー作『アイコ十六歳』では、彼女の母親役だった。

昔好きだった男性は成績が良くてピアノが上手で、フラれたけど最後に「別れの曲」を弾いてくれた。その未練から、見合い結婚のあとでその男によく似た子を生んで、同じ名前を付けて、さらには同じ曲を練習させて…。

冷静に考えると、タツ子のやったことは、夫である男目線からは結構ドン引きする話なのだが、ヒロキと狭い風呂に入った父・道了(小林稔侍)の器が大きい。

「きっと母さんの昔の素敵な思い出があるんだろう。父さんはその思い出も大切にしてあげたい。」

いや、参りました、小林稔侍。この言葉のおかげで、本作はファンタジーになりえた。『天国にいちばん近い島』の憎まれ口のツアコン役から、大昇格である。

©1985 東宝

そして怒涛のラストへ一直線

終盤は怒涛の展開。まさに大林監督が好む、序破急なのか。「一晩中ニコニコして過ごしてしまったけど、もうこれっきりに」といわれた百合子にプレゼントを渡しに、ヒロキはフェリーに乗って会いに行く。

夜道での再会。ああ、緊張する。百合子が魚を買っている店先にいる女性は児童番組「透明ドリちゃん」柿崎澄子じゃないか。感動。

プレゼントのオルゴールは受け取ってもらえたけれど、百合子は病気の父を抱え貧しくピアニストの夢を追うことも難しく、大きな寺の跡取りで呑気な放蕩息子のヒロキとは住む世界が違う。

「好きになってくれた、こっちの顔だけ見て、反対側の私は見ないでください」

これだけでも、切ない別れで十分打ちのめされる。だが、まだ終わらない。夜遅く大雨の中を寺に戻ったヒロキを心配そうにさびしんぼうが待っている。彼女は水にぬれると死んでしまうというのに。

「16歳の私は17歳にはなれないの。」アイコではなく、さびしんぼうの話だ。もうすぐいなくなってしまう彼女は、ヒロキの恋路が心配で、ずぶ濡れになって待っていた。

氷雨の降る階段で、抱きしめ合う二人。涙とともに、アイラインが流れ落ちる。一晩に二回も連続で富田靖子と別れる展開が畳み掛けるとは思わなかったが、ここは感極まる名場面だ。

©1985 東宝

人は誰も、さびしんぼうになる

富田靖子は二役だと思っていたが、ラストにはなんと未来のヒロキの妻と娘も演じており、都合一人四役ということになる。ただ、最後は現実なのか想像なのか判然とはしない。

娘のピアノの上には、ヒロキが百合子にあげたオルゴールがある。ならば、妻はやはり百合子なのか、或いは母・タツ子にオルゴールを買うことを考えていた父・道了の置き土産か。はたまたヒロキが娘にも同じオルゴールを買い与えたのか。想像はめぐる。

振り返れば、ヒロキの憧れの女性・百合子は、母の16歳の頃にそっくりだったということだ。なるほど、タツ子の言うように、「男の子はみんな母親に恋しているものよ」なのか。本作が何となく人に薦めるには照れくさい映画なのは、そのせいかもしれない。

なお、音楽については最後になってしまったが、ひたすらショパン「別れの曲」を様々なアレンジで聴かせる。時には木魚が加わったり、大林宣彦監督自らヒロキの後ろで二人羽織で演奏していたりする(らしい)。

エンドロールでは時代を感じさせるアップテンポなアレンジで富田靖子がこの曲を歌う。さすがにやりすぎと思ったのは、私も大林監督と同意見。

だが、この歌がないと、ラストに元気な笑顔を見せる富田靖子の映像が見られないから、やはりこれで正解。劇中では、ピエロのようなメイクの彼女の笑顔しかないから、これは貴重なのだ。