『廃市』
福永武彦原作を大林宣彦監督が映画化。福岡県柳川市を舞台にした古里映画の先駆け。
公開:1983 年 時間:105分
製作国:日本
スタッフ
監督: 大林宣彦
脚本: 内藤誠
桂千穂
原作: 福永武彦
『廃市』
キャスト
江口: 山下規介
貝原安子: 小林聡美
貝原郁代: 根岸季衣
貝原直之: 峰岸徹
貝原志乃: 入江たか子
秀: 入江若葉
三郎: 尾美としのり
大黒: 花柳美女月
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
大学生の江口(山下規介)は、卒論を書くため、あえて東京から遠方にある地方の町で過ごすことを決意。叔父の紹介で、とある古びた運河の町の旧家・貝原家に間借りして、ひと夏を過ごすこととなる。
貝原家で江口を出迎えたのは、まだ少女の面影を残す妹娘の安子(小林聡美)だった。その晩、なかなか寝付かれずにいた江口は、女性のすすり泣く声を耳にする。
その上、安子の姉の郁代(根岸季衣)がなかなか姿を見せず、何やら不思議な想いに誘われる江口だった。
今更レビュー(ネタバレあり)
古里映画の原型のような作品
『転校生』、『時をかける少女』と、尾道を舞台にしたジュブナイル映画で快進撃を飛ばし始めた大林宣彦監督が、突如作風を変えてきた文芸路線。
『姉妹坂』の撮影がしばらく延期になってしまったので、揃っていたスタッフで急遽撮ろうということになった作品らしい。原作は福永武彦、舞台は日本のベニスと言われる水郷、福岡県柳川市。
◇
大林監督にとって、檀一雄と福永武彦という二人の小説家は特に影響の大きな存在であり、檀一雄の『花筐』は商業監督デビュー前に書き上げていた脚本を焼き直し、晩年についに映画化。
一方、福永武彦原作は、自主映画時代に『青春・雲』(1957)を撮り、そしてこの『廃市』を突貫工事の過密スケジュールで撮りきる。
そんな製作サイドの慌ただしさを感じさせず、映画は柳川の水のようにゆっくりと流れる。
原作同様、「さながら水に浮いた灰色の棺である」という北原白秋の『おもひで』の一節から始まり、田舎の駅に都会からやってきた大学生の主人公、江口(山下規介)が降り立つ。
モノクロと淡い色彩の映像が優しく混じり合い、水郷に誘う。観る者は、江口と同じように、時間が止まったようなその退廃的な街に魅了されていく。
大林宣彦自身による語りもまた、ゆったりとした低音で、作品に落ち着きを与えてくれ、心地よい。
◇
映画は16ミリフィルムで撮られているため、切り取られた映像に空間的な広がりが乏しいのは残念だが、その空間の狭さが、死んでいく街<廃市>の匂いを醸しだすのに役だっている。
協賛している柳川市は当初、これでは観光のプロモーションにならないと難色を示したようだが、後に、この白秋や福永の生み出したイメージも、柳川の大事な資産だと考えるようになったそうだ。
私も数年前に柳川を訪れ、ロケ地の名残りを巡ってみたが、ひっそりと静かに掘割が流れ、いたずらに観光地化していない点に好感が持てた。
大林ファンなら愛せる作品
さて、映画そのものは、大林作品のファンかどうかで評価が割れるように思う。
本作は大林監督が後年に力を注ぐことになる古里映画の先駆けのような作品であり、観光地的なショットは一つもないが、観る者に郷愁を呼び起こす。だから、大林監督作品ファンには素直に受け入れられる。
川面に写る灯にみえるように壁や障子に陽炎のように揺れる光も、お馴染みの手作り感溢れる演出。
キャスティングも同様だ。静かな町に滞在し卒論を書きに来た大学生・江口(山下規介)を迎えて世話をしてくれる、旧家・貝原家の明朗な娘、安子(小林聡美)。大きな家には他に祖母の志乃(入江たか子)と女中がいるのみ。
安子の姉・郁代(根岸季衣)は家を出て寺に住み、婿入りした姉の夫・直之(峰岸徹)もまた、秀という愛人(入江若葉)を作って、余所に暮らしている。
◇
これに貝原家に仕えて渡し舟の船頭をしている三郎(尾美としのり)が加わって主要メンバーが揃うのだが、山下規介を除けば大林組常連俳優ばかりで、ファンとしては安心感を持って観られる。
『転校生』の小林聡美と尾美としのりが、まるで前回とは異なる役柄で共演している面白味もあれば、小林聡美が、明るく笑う可憐な乙女を演じるのかという意外性もある。彼女の弾力のある頬っぺたに、若さを感じる。
違和感あるキャスティング
ただ、常連俳優に馴染みのない一見客に、この配役はどうか。今や性格俳優として大活躍する小林聡美と根岸季衣の演技力は見事なものだが、物語の核となる微妙な三角関係を演じる美人姉妹という設定には無理がないか。
他の多くの作品で二人の演じている尖がったキャラが頭をよぎってしまうので、好きな男を相互に譲り合う、気立ての優しい姉妹には見えないのである。
『姉妹坂』において、大学の女生徒の人気を二分するモテ男の尾美としのりと宮川一朗太に比肩する、無理筋キャスティングだ。
勝手な意見だが、祖母に入江たか子を配しているのだから、娘の入江若葉を愛人役でなく姉役にする方が、自然だったようにも思う。
主演の山下規介も、本作はデビュー作だから演技は推して知るべし。『時をかける少女』の高柳良一路線を継承する。
脚本家ジェームス三木の七光りとはいえ、この新人の主役抜擢には、船頭の尾美としのりも心中穏やかではなかっただろう。彼が江口を睨みつける表情は、きっと作り物ではない。
尾美としのりが主演だったら、本作は『さびしんぼう』並みにもっと一般ウケする作品になったのではないか。
みんなが片想いの町なのか
直之(峰岸徹)が女を作って出て行ったから、妻の郁代(根岸季衣)もまた、家を出てしまったのだろう。江口はそう考えたが、実際にはそこに安子(小林聡美)が絡んでいる。
郁代は、夫と妹が好き合っていると確信し、それを嫉妬するのではなく、自分から身を引こうとしたのだ。愛する妻がそんな誤解で出て行ってしまったために、直之は仕方なく秀(入江若葉)と暮らし始める。
水は流れてもどこか澱んだように時間が止まったこの町は、死に向かっているだけなのか、すでに死んでいるのか。
盛大に行われる水神様の祭り。掘割に屋形船が溢れ、船舞台では歌舞伎が演じられる。女形を演じているのは直之だ。だが、盛り上がった祭りのあと、ついに騒動が起きる。直之が秀を道連れに、睡眠薬で自殺を図ったのだ。
「やっちゃん、あんたは馬鹿よ、秀なんかにあの人を取られて」
葬儀の場で郁代は安子をなじる。自分が身を引いたのに、なぜ安子は直之と一緒にならなかったのかと。確かに安子も直之を愛してはいたが、彼が愛していたのは、郁代だったのに、なぜそれを認めないのかと安子も反論する。
「あなたが好きだったのは、一体誰だったのです?」
郁代の虚しい問いかけに、棺は答えてはくれない。
台詞回しまで原作に忠実な本作だが、最後に江口が町を去る際に、アレンジが加わる。見送りの三郎(尾美としのり)が、走り出す列車に向かって叫ぶ。
「お客さん、この町はみんな思うとる人にちっとも気づいてもらえんとですよ」
三郎の言葉で、自分もまた、安子を想っていることに、江口はようやく気づく。
◇
余所者が田舎の町に出向き、ひとつの大きな事件が勃発し、それが一段落すると列車で去っていく。まるで金田一耕助のようなパターンだ。
江口という青年は、卒論提出とともに、この町でのひと夏の出来事も安子のことも、みんな忘れてしまう。
何年も後に大きな火が出て町の半分が焼けてしまい、文字通り廃市となったことを報道で知り、彼はようやくあの日々を思い出すのだ。死んだ町に残った安子は、今はどうしているのだろう。