『そこのみにて光輝く』
呉美保監督による佐藤泰志の同名原作の映画化。生き甲斐を失くした男が、函館の町で出会った一組の姉弟。そこから新しい何かが始まろうとしていた。綾野剛、菅田将暉、池脇千鶴、三人の実力派俳優が描き出す、忘れられない一瞬の夏。
公開:2014 年 時間:120分
製作国:日本
スタッフ 監督: 呉美保 脚本: 高田亮 原作: 佐藤泰志 『そこのみにて光輝く』 キャスト 佐藤達夫: 綾野剛 大城千夏: 池脇千鶴 大城拓児: 菅田将暉 大城かずこ: 伊佐山ひろ子 大城泰治: 田村泰二郎 中島: 高橋和也 松本: 火野正平
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
仕事を辞めブラブラと過ごしていた佐藤達夫(綾野剛)は、粗暴だが人懐こい青年・大城拓児(菅田将暉)とパチンコ屋で知り合う。
ついて来るよう案内された先には、取り残されたように存在する一軒のバラックで、寝たきりの父、その世話に追われる母、水商売で一家を支える千夏(池脇千鶴)がいた。
世間からさげすまれたその場所で、ひとり光輝く千夏に達夫はひかれていく。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
佐藤泰志と函館三部作
佐藤泰志という作家の存在は、『海炭市叙景』の映画化で初めて知った。彼が芥川賞候補に幾度も名を連ねながら受賞がかなわず、1990年に41歳で自ら命を絶った作家だと知り、更に衝撃を受けた。
だが、佐藤泰志が身を削って生み出した貴重な作品はその後再評価され、多くの映画化を果たすことになる。
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「函館三部作」と呼ばれる、熊切和嘉監督の『海炭市叙景』、呉美保監督による『そこのみにて光輝く』、そして山下敦弘監督の『オーバー・フェンス』はいずれも佐藤泰志文学をそれぞれの解釈で映像化し、作品としての完成度が高い。
監督が異なるのに三部作というのも珍しい気がするが、それに影響されたか、後に作られた三宅唱監督の『きみの鳥はうたえる』では、原作の国立市から函館に舞台が変更されている。
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佐藤泰志の小説は退廃的な日常に追われる若者が描かれることが多いが、カチッとした精緻な物語が展開されているわけではなく、監督や脚本家にとっては、独自で演出できる要素が多分にあるように思う。
それが、彼の原作映画に共通する、映画としての面白味に繋がっているのではないか。本作ではそれが顕著に表れており、生き生きとしたダイナミズムを感じることができる。ちなみに、公開年のキネマ旬報ベスト・テンでは堂々の1位を獲得している。
ライターなんか貰うんじゃなかったよ
目下無職の達夫(綾野剛)がパチンコ屋でライターを譲ってやったことで知り合った、粗暴だが人懐こい青年・拓児(菅田将暉)。
家で姉ちゃんの昼飯喰っていけよと、強引に連れていかれた海辺の狭いバラックでは、ちょっと色っぽいが素っ気ない姉の千夏(池脇千鶴)が炒飯を作ってくれる。
脳梗塞で寝たきりの父(田村泰二郎)と、その世話をする母(伊佐山ひろ子)の四人暮らしの貧乏一家の生活に、達夫が闖入した形になる。
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かつて同僚を刺して刑務所に入っていた拓児、スナックの奥で身体を売って家計を支えている千夏、もう会話もできない病状だが、性欲だけ旺盛で妻を求め続ける父。
底辺にしがみついて生きているような一家だが、不思議と達夫は千夏と惹かれ合う。函館の海水浴シーンは薄暗くてどうにも寒そうに見えるが、着衣のまま千夏が海に入り達夫と抱き合いキスする場面は情熱的で美しい。
三人のキャスティング
男二人に女一人は愛憎を生みだす映画界の黄金比だが、本作では口は悪いが姉想いの拓児が間を取り持つことで、この三人の関係はうまくいっている。
達夫はどんな過去があるかもなかなか映画では明かされない、寡黙でぶっきらぼうな無職の男。演じる綾野剛はキレ気味のヤンキー系の男もうまいが、今回は黙って佇んでいるだけでサマになる役。
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対照的に、常にしゃべくりまくって、誰にでも話しかけるお調子者の拓児には菅田将暉。彼の変幻自在な演技力、当時すでに『共喰い』あたりで認知されてはいたけれど、本作でも強烈な存在感をアピール。やや過剰感はあれど、無鉄砲で不器用な若者を熱演した。
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そしてヒロイン千夏の池脇千鶴。水産加工工場のパートに水商売に、艶めかしさだけではなく、生活にくたびれた感じをきちんと出しているのは、さすが女優魂を感じる。彼女が家の奥からぬっと姿を見せて、気の強いことを言う様子は、『ジョゼと虎と魚たち』を思い出させる。
今更レビュー(ここからネタバレあり)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
原作の二部構成を巧みに一体化
本作を観直す前に、改めて原作も読み返してみたのだが、原作をいじっている部分が予想外に多かったことと、それによって映画的には大きな効果をあげていることに驚かされた。
これは脚本家の高田亮の功績だろうか。彼が脚本の最新作『まともじゃないのは君も一緒』も面白かったし。
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感心した点を簡潔に。原作は第1部『そこのみにて光輝く』と第2部『滴る陽のしずくにも』の二部構成になっている。
第1部では、達夫は組合によるストライキ騒動があった造船所を辞めた過去があり、千夏の別れたはずの内縁の夫・中島に決着をつけるため縁日に出向いて、何度も殴られながら話をつけ、最後には求婚する。
第2部では、結婚し千夏に娘も生まれた達夫が、ポンコツのファミリアを買ったことで知り合った松本に願い出て、拓児とともに鉱山に働きに行くことになる。だが、その直前に、拓児はまた、酒場で姉を悪く言った、居合わせた男を刺してしまう。
この原作を二時間に収めるためか、映画では達夫はかつて鉱山で働いており、誤って部下の若者を発破で死なせてしまう過去のトラウマを持たせた。
これは原作にない、なかなかうまい人物設定と思ったが、佐藤泰志の短編『オーバーフェンス』に似たような過去をもつ男が登場する。ここから拝借したのかもしれない。
鉱山の経営者・松本(火野正平)は、再び彼を鉱山に誘い込もうとする役になっている。
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また、中島(高橋和也)は別れた筈の千夏の内縁の夫から、別れてくれない愛人になっており、更には自分の口利きがなければ拓児の仮釈放がなくなるぞと、彼女を脅かす卑劣漢に様変わりしている。
このおかげで、終盤で拓児が怒りを抑えられずに刃を向ける相手は(厳密には縁日のタコ焼きをひっくり返すピックだが)、中島という顔の見える存在になっている。
映画としてのまとまり
松本と中島という、二人の男のプロフィールに少し手を加えただけで、物語にはまとまりが生まれたように感じる。
生まれてくる娘の存在、或いは冒頭に出てくる妹からの手紙にあった、両親の墓の話は全体のバランスから捨象されたのも仕方ない。
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その代わりといっては何だが、父の性欲の世話をしてあげているのが、実は千夏だったという、原作から持ってきた事実に加え、弟が高橋を刺して自首したあとに、千夏が性欲尽きず妻を呼ぶ父親の首を絞めて殺そうとする場面を付け足した。
これは、原作のアレンジにしてはやや大きすぎる印象だが、映画の流れとしては、極めて自然だった。
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夏の函館をロケ地にしながら、あえてそれと分かる場所を使わずに、路面電車が少しフレームインして漸く函館と分かる程度の、ご当地映画にさせないさりげなさが好感。深夜の交番の前で強がって何気なさを装う、無様な拓児のカッコよさもいい。
そしてラストは、朝日が美しい浜辺での千夏と達夫の見つめ合い。スクリーンでは逆光になる達夫からは、千夏は朝日を浴びて輝いて見えているに違いない。
そこのみにて、光輝く。エンディングで初めてタイトルを出すスタイルは今どきよく見かけるが、本作にはよく似合っていた。